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穏やかで、刺激的な、というなんでもない話

「今日はなんだかゆるっとしてますねぇ」と、私。
「お給料日前だからかねぇ」と、隊長。
「暑すぎますしねぇ」

ひとの途切れた店内に、サーフミュージック、
つづいてバラード。
静寂を埋めるような、やさしい曲が流れる。

静寂よりは、すこしの音が欲しい。

音楽でもいいし、包丁がまな板を叩く音や、フライが揚がる直前のはぜる音、
熱したフライパンに鶏肉を投じたときの、じゅうっという音、そういうのでもいい。

麺をすする音、水を飲み干してカランと鳴る氷の音、野菜を食むシャリシャリとした音。

密やかではないけど大声でもない、穏やかな話し声と、時々起こる笑い声。

穏やかな音はいい。

だけど穏やかな空気が好きなひとも、きっとながい静寂には耐えられないんじゃーないか、と思う。

静寂っていうのは、感覚の負荷がないってことで、刺激がまったくないってことだ。

刺激がまったくない、負荷のない生活、
これもまたなんだか味気ない、耐えられないような気がする響きだ。

そして同時に、おだやかな空気が好きなひとは、小さな音からふくよかな刺激を感じ取れるひとなのかもしれないな、なんてことも考える。


自分で刺激を生み出せる、小さな力からも負荷を得られる人は、見た目穏やかな日々でも楽しんで過ごせるし、
そうでなければ外界からの刺激を求めて、波のある日々を送るんだろう。

どっちがいいとかはなくて、どっちもいいんじゃないかって思う。

毎日同じようなパンを焼く。

毎日同じようなのしかなくてつまんないって思うひともいるし、
同じのがあってよかった、と思うひともいて、
同じパンを焼くなかに毎日の刺激がある、と思う私がいる。

毎日おなじようなから揚げを揚げる。

毎度から揚げを頼むひとがいれば、
毎日あるから頼まないってひともいて、
(せっかくなら限定ものを頼む)
仕込みかたや作り方を少しずつ変えながら、おなじから揚げになるように揚げ続ける私がいる。

毎日それを繰り返して、考え込んだり、やり直したり反復したりしながら、
気づいたら何年も経っていて、でもまあ確かに振り返ってみればそれだけの年月やってきたな、とも感じる。

新しいことを日々に組み込みながら、
自分の習慣ややり方を変えながら、
続ける、ってことだけをやり続けている。

穏やかで、刺激的な日々。


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