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本を買った。

あれが欲しい、これがほしい、と思うことがあんまりない。
所有したい、と思う気持ちがあまりない。
必要になれば、必要なだけ買えばいい、と思っている...

そうして、なにかが必要になったら買い、買っては何かを手放して、というようにして、あまりモノが増えないようにしている。

モノが増えると管理しなくてはいけない。
管理するのに時間も気持ちもとられてしまう。
そんな気がする。

そんな感じなのだけど、今年はぽつぽつと買い物をしている。

今回はスリングと、本。

スリングはクライミングに必要だから買ったのだけど、少し前に貸してもらった本が面白くて、同じようなテーマの本も同時に何冊か買った。

登山、それも冬山、自分には縁遠い世界の話なのだけど、縁遠い世界だからこそ、引き込まれたのかもしれない、と思う。

きっと、足を踏み入れることがない世界だから、だれかの言葉をもって、頭の中でその世界を覗き見てみたい.....
という感じなのかも。

誰かが夢中になっているもの、
誰かがひとすじに追いかけているもの、
それってなんなのか、

どんな世界が見えているのか、
そのときどんなことを思っているのか....

同じことを書いたとしても、その立場によって書き方は変わるし、思いを乗せた言葉の選び方も変わる、
だから、同じ出来事をテーマに書いた作品をそれぞれ読み比べるのも興味ぶかく思える。

いつか、子供の頃「藪の中」という作品を読んだときのことを思いだす。

あれはそれぞれのエゴイズムから生まれた食い違いの話だったけど、
同じことを見たり体験したりしても、人によって全く違うことがある....

だれかの感じたこと、考えたことを読むことは、自分との相違を感じることでもある。

だれかと自分の相違を感じることは、自分と他者の隔たりを感じることでもある。

その隔たりが、近いものなのか 遠いものなのか 深い溝なのか 手を伸ばせば届くものなのか
そうやって自分のいるところを探っているような気もする。

遠く離れている、思いもつかないような場所のひとのことを知ることもある。

そういうときは、ああ、世界は思っているよりもっと広かった、と思うし
実感として、頭の中の地図が広がっていくのがわかる。

自分の大事にしていたことは、誰かにとって意味のないことだったり、
誰かのこだわっていることは、自分にとってとうでもいいことだったりもする。

そうして、いま自分のいるところが絶対ではなく、あっちやこっち、遠くのどこかから見たら地図のはしっこの小さな点にしか見えないものなのだと、いつでも感じていたいと思う。

こういうことって、仕事と関係ない話じゃない、と思うでしょう。

まあ、大筋は関係ないのだけど、でも、すごく関係あることでもある。

毎日おなじ場所で、おなじ店を続けていると
特定の意識や考え方、価値観が根付いてしまいがちだから、ときどき自分の頭を揺さぶってやらないといけないのだ。

今日、はっとした文章。

「こうしていると、地形が見えてくるだろう。地図が地図でなく、写真のように見えてくるだろう。」

仕事もおなじだ、
あれこれ本で読んだことを頭の中にいれていても、それは文字や数字や写真でしかなくて
ひとつひとつ経験していくたびに、それが文字でなく、数字でなく、写真でなく、実体験として想起されるようになる。

こういうとき、本っていいなぁ、と思う。

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