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携帯電話をなくした話。




こないだの休みに携帯電話を
なくして
「あーきっとここで落とした」という
とこはズバリわかったのだけど
戻った時にはどこにもなく

諦めてたら、遺失物届けがでてますと
お知らせがきて

やったー!ってなってたのだけど
戻ってきたその子は水没して
目覚めることがなく📱

雨の後だったんですよね。
水たまりに落ちたらしい。
ジッパー袋にはいってたケースは
湿気ぽく、SIMには水滴が....


とはいえ、データはほぼ
バックアップしてた分で戻ってきたし
とくに不都合もなく
新しいiPhoneが手元にきた、
というだけのことになって
便利なもんだなーーと。

あと、拾って届けてくれた人、
本当にありがとうございます🙏

さてー
新しいiPhoneは快適です
なにしろ画像がますますきれい。
画面が大きいのもよくて。
(結局ケースにいれるから
薄さも軽さもあんまり関係なく)

変わらないのがいいってこともあるけど
アップデート方式はほんとによい、
あとはアップデートしたものに 
合わせることのできる
自分がいれば良い。

アップデートしたものに合わせるのって
つまりは変わっていくってことだから
やっぱし
変わることにストレスを感じない
人間でいられたらいいな。

なんだかんだいって
変わるのは大変なことだ。
他者や外部要因によって
変わらされるのって、ものすごい
ストレスを感じる人が多い。
ストレスを感じるようなことを
されるってことに怒る人もいる。

人に何かをさせられる、
って感じだ。

もしそれが正しいことや
理にかなっていることだとしても
自発的にそうしようとならない限り
「やらされてる」になって
嫌だなってなる
そういうシーンって多いんじゃないか。

なんかね。
毎日そんなことを思いますね。

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