見出し画像

2022こうしよう。

今までブログには「商品づくり」について、熱っぽいことを書いてこなかったけど、それは「ユーザーの大半はそこまで求めてない」からだと思ってる。

人によっては(ありがたいことに)「そんなことない!もっと知りたい!」と思ってくれているかもしれないけど。
でも大半どころじゃなくほとんどのお客さんはライトな情報でじゅうぶんで、そして「求められているもの」と「与えるもの」ができるだけ重なること、「余計な部分を削り落としておくこと」が大切である。

だから、長文で語るときはnoteに書き、読みたい人だけたどり着いたらいい、という感じにしてある。
むしろ、ここの文章はお客さん向けではないので、それは強く言っておきたい!


さて、仕事でも趣味でも波はあるもので、自分にとっては気持ちの波を整えるのが特に大事なことである。
ぐーっと下降線に入っているときは褒め言葉をいただいても全然だめで、「こんな、現状を褒められて浮ついてるようじゃだめだ」となってさらに下降して沈殿してしまう。

そういうときは、自分の思考をもう一度根底から遡っていって、行動や為した仕事がそれに沿っているか確かめる、ということをする。

沿っていればそもそも根本から変えていく必要があるわけだし、沿っていなければなぜそういう行動をしてしまったか、流れを修正する必要があるとわかる。

そして、もうひとつ、自分の考えや研究したことを精査するためにいろんな文章や論文を読む、というのがある。

感覚でやってきたけど、理論としてはどう成り立っているのか。
基礎理論ではこうだけど、実際隠れている部分というのがないか。 
ひとまず横に置いておいた結果、曖昧に進めていることはないか。

同業でなくても、ものすごく考えて考えて試して、とやってる職人さんのブログなどはすごく役に立つ。
そして、修正したり実験したり、時には励まされたりもする。


閑話休題。

先日、新しいブルワリーに立ち寄らせてもらって、そこのビールを持ち帰った。
使われてる素材や立地、ラインナップなどから、「こういう味なんじゃないか」と予想して飲んだんだけど、結構それが合ってて「おお!」となった。

それから、改めてホップの種類、成分、性質、発酵について調べ直した。
その時に出会ったブルワーさんの文章がすごくよくて、毎晩ワクワクしながら読んでいる。

一文を引用。

“なんの予備知識もなく口に入れて「こりゃうめえ!」と思ってもらえることこそが、ブルワーとしての最高の喜びなんじゃないかなあと思っています“

さらに引用。

“伝統的製法ってのは、いわば「基礎」にあたるものではないか、と考えています。
きちんと理解していなければいけない。ちゃんとできなきゃいけない。
けれど、われわれがいるのはものづくりの現場です。ビール醸造の前線にいるのです。すべてのブルワリーは。ブルワーは。
「伝統を守る」という字面はいいですが、それはすなわち進歩から背を向けることに他なりません。 

....(略)...

デコクションも瓶内二次発酵もドライホッピングも、編み出された当時は「革新」だったのを忘れてはならないと思います。

先人たちが考えに考え、ときに失敗に失意し、そういう苦労を重ねて革新的な製法を産み出し、それが広まって時を経て「伝統的製法」になったんですよね。
ぼくらだって、先人たちと同じように、未来の伝統的製法となるてあろう「革新」を志すのがスジってもんだ、と強く思います。“

いいなぁ!と思いました。
それでいいんだよね!って。

いいなぁと思ったのは自分の中にそういう考えがあって、なんとなく外に出せなくてモヤモヤしていたんだけど、それがバーンと打ち出されてた、そういう感じでした。

自分は飲食業としても、パン•菓子製造業としても、師匠がいるわけでなく、学校に行ったわけでもなく、弟子入りした店があるわけでもありません。

そのことでなんとなく発言することに引け目があったのかもしれない。
他の人に相談されたら「そんなの関係ないよ、打ち出せばいいじゃない。受け入れてくれる人は受け入れてくれるし、そうでない人もいるけどそれは一定数必ずいるものだし」とか返してたと思うんですけど、自分ではできてなかった。

でも、反省するというよりは殻を破って出られた、みたいな感じがしました。

で、話は仕事だけでなくプライベートのことにも及ぶんですが。

先日、とある人に「えっ、なんで言わないの。直接言えばいいじゃん」と言われる事があってドキッとしたんですよね。
その人に「言えない」のはなんでか。
なんか考えてしまって、そこから冒頭の気持ちの波の話に入ったというわけなんですけど。

言えないのは「その人が気にするから」じゃなくて、自分の思ってる事が弱いからなんだなと、あー情けないなと思いました。


もういい歳して、いい年月この仕事して、店やって、人の言葉に励まされてる場合じゃない。
今年は自分の言葉で、行動で、轍を作っていこうと決めました。

中途半端な「思いやり」や「配慮」という名の自分に対する甘えが、結局めぐりめぐって自分を困らせることになる。
この10年何度もそれを経験してきたのに、経験してしまったからこそ、それに慣れちゃったとこがあるんだな。

てことで、今朝も布団はねのけて
朝トレに出かけました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?