「劇場アニメ版 100日後に死ぬワニ」を見て泣きました。

公開からだいぶ経ったので正直に言うと「劇場アニメ版 100日後に死ぬワニ」を見て泣きました。
ボロ泣きしました。
公開時の炎上理由も分かってはいる。
かえる君という余計なオリジナルキャラクターを出現させたこと以上に、かえる君のウザさが嫌悪感に拍車をかけている。
作品に対して怒っていた人たちは結局「100日後に死ぬワニ」を見たかったので、ねずみ君とかえる君を見たかったわけではないのだ。
なのでタイトルは「100日後に死ぬワニと、その100日後に泣くねずみ」であるべきだったのだ。
閑話休題。
僕が泣いたポイントは物語終盤、ねずみ君とかえる君がバイクで山の絶景まで行ったシーンである。
かえる君に対してねずみ君が「6時の真似!」をしてかえる君がねずみ君の口を心配して、それから笑う。
そしてねずみ君も笑う。
そしてねずみ君が6時の真似をしたまま、笑いながら泣くのだけど、ここがやばい。
おそらくねずみ君はワニ君が死んだあと、泣けなかった。
友達のカバ君は大泣きしていたけれど、感情の発露があまり得意ではない(ように勝手に思っている)ねずみ君は、うまく泣けなかったのではないだろうか。
お通夜と葬式を経て、日常に帰る。
親友のワニ君は死んだのに。
テレビをつければバラエティが流れており、お笑い芸人が騒いでいる。
ワニ君は居ないのに。
まるでそんな人は最初からいなかったかのように、地獄のような日常が続いていく。
うまく泣けなかったねずみ君は、うまく笑えなくなってしまったのではないだろうか。
親友が死んでも泣けなかった自分に、笑う資格があるのかと。
そこへやってきたかえる君である。
距離感ウザいなと思いながら、だんだんとかえる君にも思うところがあると知り、同じバイク乗りということもあり慰めようとする。
そこでワニ君との思い出の地でもある場所へ連れていき、ワニ君のギャグをする。
そしてかえる君は笑い、つられてねずみ君も笑う。
そこで彼は、親友のワニ君が死んで以来初めて笑ったのだと思う。
自分が笑っていることに気付いたら、後はもう早い。
(俺、笑えるやん!)という気付きと、人を笑わせているという状況が、彼の罪悪感や自責の念を吹き飛ばして涙を呼んだのだ。
親友のいない世界、それでも続く日常に舞い戻るための一歩が、笑顔であり涙だったのだ。
だからこそ僕は(良かったね。進めたね、ねずみ君!)と思いながら号泣していた。
(笑えたね、泣けたね、良かったね!)と。
知るか!ワニだけ見させろ!と言われてしまえば言葉もございません。
終わり。



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