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『魔法少女まどか☆マギカ』感想


【注意】

この記事にはTVアニメ版『魔法少女まどか☆マギカ』の大ネタバレが含まれます。
また、本文もすべてアニメを観てる前提で進行する(あらすじとかもない)ので、もし観てなかったら観てから読んでください。

アドベントカレンダー企画用の記事なのに、いきなり読む人を限定してすみません。10年以上前の超有名作品なのでいけると踏んでしまいました。
なんならこんなん読まなくてもいいんですが、まどマギはぜひ観てください。新しい映画やるらしいし。

あとついでに

『王様戦隊キングオージャー』
『Fate/Zero』
『呪術廻戦』


のひとつまみほどのネタバレもあります。
こっちは塩だったら2粒ぶんくらいの内容だと思いますが、それもアレな方は各自でアレして頂けると幸いです。よろしゅう頼んます。


はじめに


観た。『魔法少女まどか☆マギカ』を。

一応視聴前の知識としては、

  • 絵柄から連想されるようなゆるふわしたストーリーではない

  • ピンクと黄色と青と黒のキャラがいる

  • ソウルジェムというものが濁るらしい

  • 「僕と契約して魔法少女になってよ!」と言う白い使い魔みたいな奴が諸悪の根源らしい

  • ループしてる人がいるらしい

  • 主題歌がめっちゃいい

くらいはなんとなく知ってる状態だった。
白い使い魔みたいな奴は、なんらかの悪ノリで入試期間中の大学に展示されたりもしてた気がするから、とりあえずよっぽどのことをやったんだろうなとは思っていた。

1周目視聴直後は延々コネクトを聴き続ける謎の生命体になっていたので、ここでは主に2周目を観ながら思ったことをポンポン書いていこうと思う。ざっくりだし全体的にとりとめもないが、そこはご容赦願う。

そんじゃいくわよ!


魔法少女システムのなんやかや


ソウルジェムの真実、人類側からしたら「それを先に言え!!」案件すぎる。
もし自分が当事者だったら、「行間読め」で全てを片付けようとするジェラミーにツッコんだ時の王様戦隊の面々くらいの声量は出るかもしれない。

もーちょいこう、インフォームド・コンセント的なアレがさ。あると思うやんね。ない。嘘ォ。

でも初手(魔法少女化)さえ決まればほぼ勝ち確かつ、実際相手する一個体がなんと言おうと個体の属する種族全体には莫大な利があることは確実となりゃあ、そらキュウべえなら説明せんわなという納得感はすげーある。アイツ〜! 同意を掠め取るな!

とはいえ、キュウべえみたいな一応会話は可能でも根本的に視座が異なる存在っていいよな。


美樹さやかと佐倉杏子


美樹さやか、良い。なんたって思い込みと正義感が強い。

思い込みと正義感の強さに駆り立てられて茨の道を突き進んで自縄自縛になる奴って本当にいい。

正確には「思い込みの強さゆえに選び取った信念を、ゲロ吐こうが血反吐吐こうがひたすら意義あるものだと自分に思い込ませ続けようとする傾向が強い」とか言った方がたぶんここで意図するところには近い。

魔法少女美樹さやかを見ている間、私の中で『Fate/Zero』における衛宮切嗣や『呪術廻戦』における夏油傑などを見ている時と同じフロアが沸いていた。
もちろん同一視するわけではないんだが、沸くフロアは同じというこの感じ、伝わるんかな。

本編の話から少し逸れるんだけど、見返りのない他者救済を決意する時って自分に益がない状況は想定していても、救済対象から害される(救済対象の在り方に摩耗させられる)状況は全く想定していなかったり、したとしても具体的なところまでは想像しないってのは結構よくあることだと思うんだよな。

無報酬でみんなを守る正義の味方になるという宣言は、すなわち理不尽に怯える善良な市民もゴミカスみたいな精神性の市民も等しくひたすら己の身を削って守る者になる宣言である、というところまでの立体の覚悟が最初からガッチリあるかと言われると、な…くないすか? ないよな大抵。

だからもし「救済対象からのプラスは求めない」という信念の中に「最悪はゼロ」という条件を無意識のうちに内包してしまっていながらそれに本人が気づいていなかった場合、「マイナスになることも余裕でありえる」現実を鼻先に突きつけられた瞬間突然、はたして彼・彼女らの掲げる信念にはその負荷に耐えうるだけの強度があるのかが試されることとなるわけですね。

なるわけですねじゃないよ。厳しいって。

話を戻すんだぜ。
美樹さやかの場合、そもそもデフォで既に上条恭介からの愛情を望んでいる。
この時点でもう若干嫌な予感はしているが、そこに奇跡とその代償とかいう厄介な要素が絡んできてしまった。

契約後に衝撃の事実が判明したあとも変わらず上条恭介は奇跡の理由を知らないし、志筑仁美は美樹さやかの肉体の件を知らない。

美樹さやかは奇跡を起こしたのは自分だなどと言えるはずはなく、ソウルジェムラジコンとしての己の肉体を受け入れられない以上はラブ戦線からも身を引くしかないので、イチャこいとる2人を陰から見てるしかない。
そのうえ自分にはもうこれしかないと必死で魔女から守っていた一般市民も、なんかカスかもしれないと思えてしまう。

あ、あんまりだぜ。美樹さやか、キュウべえの情報後出しが効きすぎている。

恋愛感情がねじれて精神がグチャッとしちゃったのはまぁそうなんだろうが、上条恭介にまた演奏させてやりたくてそれを自分も聴きたいと願ったのは悪いことでもなんでもないし、なにより魔法少女美樹さやかの為したこと全てをバカな真似だったとは言いたくないよな。


佐倉杏子は今回アニメを観るまで、メインで登場する魔法少女5人の中で唯一存在ごと知らなかった。追加だ!!

今更だけど、メインどころの魔法少女たち全員苗字の響きが微妙に名前っぽいよね。そういう縛り?

過去の経験に基づいて佐倉杏子が選択した生き方はある意味では健全とも言えるものだと思うんだが、こう…生き抜くために変化できる器用さはあっても結局魂の形(比喩)は変わっていないから、佐倉杏子にとって美樹さやかを見捨てることは、今なお奥底にいる過去の自分を見捨てることに等しかったんだろうと思うとな。そら見てらんねぇよな。

佐倉杏子の過去を知ってしみじみ思ったのが、たとえば魔法少女化後の自分の肉体が美樹さやかにとっては「好きな人に抱きしめてもらえないもの」で佐倉杏子にとっては「自業自得の結果」だったように、起きた事象をどう受け取るかは人や状況によるもんだから、事前の擦り合わせなく取る行動はどんな高潔な動機があろうと、必ずしも行動した方が望んだ結果になるとは限らんのよな。
すげー当たり前のことなんだけど、ままならね〜。

佐倉杏子はほぼ最初から破滅の足音が聞こえている美樹さやかとは違って、鹿目まどかたちと関わらなかったなら初登場時の感じのまま魔法少女としてそこそこ上手くやってくことはできたんやろねという雰囲気がある。

でもきっと佐倉杏子は美樹さやかと出会えてよかったよな。
結末はどうあれ、彼女の場合は自分以外のなにもかもを足蹴にして空虚な気楽さを食い尽くす人生より、諦めたくないとわめき散らして抗いたくなる存在がいる人生の方がずいぶんマシだっただろうと思う。


暁美ほむらと鹿目まどか


暁美ほむらのおさげメガネ、本当にびっくりした。初めて全編通して観た時、一番ストレートにびっくりしたのはあそこだったかもしれない。

完全にまっさらな状態で観ていたら衝撃を受けたであろう重要シーンたちはあまりにもインターネットで有名すぎて逆に覚悟ができており、「あーやっぱ死ぬんやね」「キュウべえがボロカス言われとんのはこのせいなんやね」くらいのリアクションだったのだが、その点暁美ほむらのおさげメガネは鎧の隙間から鋭めなものでブスーいかれたような感覚だった。痛い痛い痛い。刺さってる刺さってる。

暁美ほむら、改めて見てもガチの鹿目まどか一点集中型魔法少女だ。そして覚悟の決まり方が尋常ではない。

「誰のためでもない、自分自身の祈りのために戦い続けるのよ。誰にも気づかれなくても、忘れ去られても、それは仕方のないことだわ」

『魔法少女まどか☆マギカ』より引用


エ? すご。

対象になんらかの報酬を求めてしまいがちな「誰かのため」の方ではなく「自分自身の祈りである」という方に重心を置くよう努めていたから、鹿目まどかにとっての暁美ほむらがどういう存在だったとしても、自分のやることはブレさせずにいられたんだろうな。 

……いやでもそれにしたって、コレを折れずにずーっと実行してたのはマジですごい。運動ダメダメだった奴がキレキレになる以上の回数って相当だぞ。


鹿目まどか。

OPにドジっ子魔法少女!みたいなシーンがめちゃくちゃあったが、本編での描写はほぼなかった。
あんなん見せられたら「新人魔法少女鹿目まどかの日常」的な楽しいだけの話が1話くらいは存在するんかなと思うだろ。ないんかい。

結果的にラストループの鹿目まどかは最終局面まで魔法少女にはならなかったが、ただの少女鹿目まどかのままであっても一貫して「魔法少女とともにある」という選択をし続けていた。

ラストでついに自らも魔法少女となった鹿目まどかは、暁美ほむらの祈りによって積み上げられた膨大な量の因果を燃料に、全ての魔法少女をいずれ魔女となる運命から解放した。

ルールが書き換えられた後の世界において魔法少女たちは常に鹿目まどかとともにあるし、たとえ世界を呪うほどの絶望に蝕まれることになったとしても、鹿目まどか(円環の理)が出迎えてくれるからひとりではない。

そしてほんの少しの本当の奇跡として、暁美ほむらは鹿目まどかを忘れない。

願いを叶えた鹿目まどかはそもそも自分がひとりだとは考えていないだろうが、はっきりと彼女の存在を覚えている友達が1人いるという意味でも、鹿目まどかもまた決してひとりぼっちではないのである。

かつて鹿目まどかが守ろうとした世界を生きる暁美ほむらには、目に見えずともいつもそばにいる、でも願わくばまた会いたい最高の友達がいる。
いつか彼女と再会するその日まで、もう挫けないと誓えるほどの望み。それは確かに最上級の希望だろうと思う。

急に文が硬くなったな。キショいか? キショかったらごめん。

おわりに


思ってたよりちょっと長くなっちゃった。感想って大体いつもこうだから、死ぬ時もこれ言うかもな。

一言で言えばすごく面白かったので、そのうち叛逆の物語も観ようと思います。あと公開されたら新作映画も。

そういえば新作映画は来年冬公開と発表されているんですけど、冬って年間通して見た時、頭とケツで2パートあるじゃないですか。
映画で来年冬公開と言う場合、普通はどっちを指してるもんなんすかね。やっぱケツの方? 

まぁとりあえず待っとこう。

それではー。



【出典】
Magica Quartet. 『魔法少女まどか☆マギカ』. Aniplex・Madoka Partners・MBS, 2011.

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