桜花
「綺麗な――桜――ですね」
不意に、背後から声をかけられた。
満開の桜の下である。
私は、手に円匙(シャベル)を持ち、やっと土を盛り終え、満開の桜を眺めていたところだ。
しかし、恐らくまた掘り返さねばなるまい。
そしてまた盛るのだ。
「ええ、とても綺麗ですね」
振り返らずに答える。
振り返る必要がないからだ。
振り返らずとも、私の背後には、彼女がいるのだろう。
それは、予感ではない。
予定調和だ。
「あなたは――ここで土を掘り続けているのですね」
澄んだ声である。
まるで、薄い水晶を打ち合わせたかのような、透明な音(こえ)。
「もう、掘り続けているのか盛り続けているのか――それすら忘れてしまいました」
そう、私は何をしているのだろうか。
もう、判らない。
しかし、解っている。
これは、全て予定調和なのだ。
だからこそ、桜は咲き続け、彼女は私に声をかけた。
何一つ、寸分すら違(たが)うことはない。
「この桜は、何故こうも紅いのでしょうか」
そう彼女は私に問うた。
私は、答える代わりに、
「桜が――紅いでしょうか」
そう問うた。
彼女は答える。
「私には――そう見えます」
暫し沈黙が流れる。
満開の桜の下、五月蝿いほどの静寂。
やがて、彼女が口を開く。
「この桜の下には、死体が埋まっているのでしょう」
私は、何故そう思うのですかと尋ねた。
きっとその答えを私も知っているというのに。
そして私は、土を掘り返し始める。
再び、埋めるために。
「この桜の下に埋まっているのは、きっと、過去の私です」
掘り返す。
「過去の――私」
掘り返す。
「私だった――モノです」
掘り返す。
「人は、死ねばモノになりますか」
掘り返す。
「死体は、もう人ではないのでしょう」
掘り返す。
「では、人とは何なのでしょうか」
掘り返す。
「記憶――なのだと思います」
掘り――返す。
「記憶――」
死体が一つ入るほどの大きさにぽっかりと空いた穴の中には――
「記憶があるからこそ、人は人でいられるのでしょう」
――何も無い。
桜の木の下には、何も無い。
「記憶が無いのなら、それは――人ではありませんか」
私は、ゆっくり彼女へと振り返る。
赤い鼻緒。
桜色に染め抜かれた友禅。
白い首筋。
透き通る頬。
凛とした眼。
深い緑を湛えた束ね髪。
私の知らない彼女である――まだ。
「記憶が無いのなら――それはモノなのでしょう」
ならば、私は人ではない。
私は――モノだ。
私には、記憶などない。
あるのは、ただ諾々と続いていく、この今だけだ。
「ならば――私はモノです」
彼女は頷く。
「ええ」
この今だけが続いていくのなら。
せめて。
だから。
「あなたを記憶に残したい」
私は、円匙を満開の桜へと掲げる。
「ええ」
彼女が近づいてくる――音も無く。
「私は、そのためにいるのです」
その言葉を聴き終える前に、私は円匙を振り下ろした。
彼女は、音も無く、声もなく、静かに、ゆっくりと倒れていく。
表情すら、変わらない。
彼女の首筋から舞い散る、数千の花弁。
全てを染め抜く、桜色の紅。
私という名のモノをすら、紅く染めていく。
全てを紅く染めぬいて、彼女は穴に納まった。
桜という名の棺に。
その棺を、私は静かに埋めていく。
彼女は私の記憶となった。
そして、私は、漸く気付く。
桜とは、かくも紅いものであったのかと。
しかし、この紅もやがて消えていくのだろう。
そんなことを思いながら、満開の桜を眺めていた。
どれくらいの時間そうしていたのか、何故、そうしていたのか。
私にはもう判らない。
すると、
「綺麗な――桜――ですね」
不意に、背後から声をかけられた。
了
・『桜花』あとがきのようなもの。
この作品は、大学生時代に書いた物です。モチーフとなっているのは、京極夏彦さんの『絡新婦の理』という小説です。『絡新婦の理』は、京極堂と呼ばれる憑き物落としが活躍する超絶ミステリ小説の第5弾として発表されました。現在、そのシリーズは第8弾まで刊行されており、その他に短篇集もあります。そんなシリーズの中でも、僕が一番好きなのが、『絡新婦の理』なのです。
『絡新婦の理』は、物語りの構成が非常に美しい作品です。その美しい構成と、梶井基次郎さんの、『櫻の樹の下には』の有名な書き出し「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」とをミックスして書きました。
ちなみに、表紙になっている写真は、茨城県日立市にある熊野神社というところの桜です。桜の密度が高く、また、枝が長く垂れ下がっているので、桜に抱きしめられているような感覚でお花見をすることができます。
季節外れも甚だしいですが、今回は桜のお話でした。
ではでは!
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