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宮古島100kmワイドーマラソン(うのき)


こんばんは、うのきです。
宮古島1周出来なかったですが、レースレポート書きます。

【エントリーまでの経緯】
きっかけ:23/6/30の同学年トラ部WEB飲みでの紹介
その時は楽しそうだなと思いながらも出るつもりはなく聞き流していた。
エントリーが始まった時、出場しようかどうか迷っていた。というのもアイアンマンにはなれたけどウルトラ出場/完走の経歴が欲しいなと…
一人では絶対に出ないだろうから今回出場することにした。※エントリー:10/B

【練習】
神戸マラソン(11/M)までは、フルマラソンに向けての練習(筋トレ&Jog+Half1本)
神戸マラソン後、膝に違和感があったこともあり距離を減らす
60Km走った方が良いとサイトには記載されていたが、実行は出来ず…
年末に20km、年始に長崎ゆかりの小林/大倉と一緒にじゃがちゃん目当てに42km走った。圧倒的に走る距離が足りていないが、他の誘惑に負けたため仕方ない。一つのことに打ち込むよりも幅広く楽しみたい気持ちが強くなった気がする。

【装備/携行品】
・シューズ:ASICS ゲルカヤノ30
・靴下:Tabio 5本指
・足裏(左)/膝(右)サポーター:ZAMST
・ロングタイツ:ASICS
・ハーフパンツ:ASICS
・アームカバー:ASICS
・半袖アンダー+Tシャツ
・ポンチョ
・帽子:adidas
・リュック:THE NORTH FACE TR6
・薄ウィンドブレーカー:モンベル
・ハイドレーションボトル:サロモン
・マグオン×3
・大福×2

【レース前々日~前日】
21:00前に仕事終え、博多駅行きの新幹線へ。福岡で一泊し早朝の便で那覇経由で宮古島へ。初めての沖縄/宮古島。午後、GaiaOB/OG勢と合流し多少観光し受付済ませ買い出ししたら一日が終わってしまった。

【レース当日】
3:00起床、3:45のシャトルバスに乗り会場へ。特に緊張せずふわふわとした感じでスタートを迎えた。
5:00Start。ポンチョを着脱しながら風雨をしのぎ、6'10"/kmを目安に淡々と刻んでいった。伊良部大橋を折り返す(19km付近)までは真っ暗でファミマとマックの明かりがまぶしかった。暴風雨の橋を渡り切り写真を1枚。今度は天気のいい日に観光したいな。

夜が明けると天候も曇り、気分は上昇、ペースは安定してきた。池間大橋手前で西川・松本とすれ違い、フルマラソンの距離にあたる池間島を4時間22分で通過。3年前の青太の記録(自己ワースト)と殆ど変わらない。第一関門(46.5km:12:00)を9:52通過。炊き出しでエネルギーを蓄え、着替えして出るころに小林・佐竹と会う。軽く話した後追いつかれるかもなと思いながら10:15再スタート。

スタート直後、もう雨は降らないだろう/暑くなるだろうと薄着にし過ぎたことを後悔。半袖アンダーとアームウォーマーは外すべきではなかったと(もう一着準備しておけば良かったなと)。すぐさまウィンドブレーカーを着用し走り進める(たぶんこの時ボトルを落としてしまった)。50km地点を10:37通過、ここまでは6'10"-20"を目安に刻めていた。60km地点を11:55通過、この10kmは雨も降ってきて体力を奪われ、上り坂もありペースは7'00"-10"に落ちた。でもまだ完走は可能だからペースは問題ないと気持ちを落ち着かせた。ここから第二関門までの7kmは地獄だった。ずっと続く上り坂、ペースは8'30~9'30"にダウン、遂に時折歩いてしまった。第二関門(67km:13:15)を12:43通過、佐竹に追いつかれる。5分ほど休憩し再出発。

すぐさま佐竹のペースについていけなくなり一人旅、下り坂が膝にきて時折歩きながらペースは変わらず…。完走諦めモードで走るの辛すぎると感じてた頃、70km付近で小林にも追いつかれ何とかついていこうとするのが必死だった。良いペースだったので付いていきたかったがトイレ我慢できず離脱。ここのトイレが転機だった。今までのしんどさが嘘のように消え、小林/佐竹に追いつくぞという気持ちが気分とペースを上昇させる。6'10"前後で刻み小林を直ぐ捕らえ、一緒に77km付近で歩いていた佐竹を捕らえた。灯台の折り返し付近で左足裏と/右膝に違和感を覚える、これはまずい…。ちょうど持ってたサポーターを装着し走り始める、何とか走れそうだ。向い風でペースは7'30"前後に落ち小林/佐竹に再度離される、第三関門(80km:15:15)を14:56通過。

82km付近で小林/佐竹を再度捕らえ、2回目の炊き出しでエネルギー補給、この時は完走は出来ると信じていた。その後小林に再度抜き返され、足裏の違和感もありそのペースには付いていくことは出来なかった。フル2本分の距離を超えたころ左足裏に激痛が走った、少し立ち止まってストレッチして走りだそうとしても走れなかった…。仕方ないが完走は無理だと諦めた、ただあと5kmの最終関門までは頑張ろうと決め歩き出した(歩いても関門ギリギリに通過出来る計算だった為)。歩くから体は冷え、ポンチョも含め防寒着を全て着用した。小林の完走可能性のあるタイムでの90km通過をLINEで確認した時、尊敬と悔しい気持ちになった。なぜ自分は歩いているのかと。90kmが目前に迫っている中、後ろからハイペースで走ってくる人がいた。こんな距離の所で誰だよと思ってたら佐竹だった。最後の最後で越されたからなんか悔しい気持ちになったが、ゴールを除く最終関門の通過者になったからまあいっかと。最終関門(90km:17:00)を16:58通過しDNF。

(ウルトラマラソンの完走者をウルトラマンと呼ぶのかは知らないが)ウルトラマンにはなれなかった。出場した経歴だけ残ってしまったため、またいつか気が向いたら完走目標で出てみようかなと思う。キツ過ぎるので今は考えたくない。学生時代より練習量は減り、タイム志向よりエンジョイ/健康志向が強くはなっているが、年を重ねてもタイムは現状維持をしていきたいと思う。来月の熊本城マラソンでは、学生以来5年ぶりのサブ3を目指す。

明日も仕事頑張ります、おやすみ。

元気いっぱいだった時の僕


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