見出し画像

法人営業 (同人誌「流星」2023年5月掲載予定)

私はとある店舗の前で、アポイントの時刻になるのを待っていた。あと5分で約束の時間になる。まだ10分しか待っていなかったが身体の震えが止まらなかった。一月の最終週の中日、数日前に降った雪がまだ所々に解けずに残っていた。丈の長いコートもマフラーもカイロも無意味に感じた。

約束の時間になり、訪問予定の店舗のドアへ近づいた。ドアに鍵が掛かっていた。営業時間内のはずなのに。半分閉まったカーテンの隙間から覗き込んだ店内に人の気配は無かった。そして、何とも言えない不自然さがあった。汚れがありそうな物に、シミひとつも見えなかった。積まれたタオルがどれも新品のようだ。

携帯電話を取り出し、お客様の一人のS社長からの昨日のメッセージを確認した。
■明日昼の12時に埼玉県◯◯市2−34−12のお店に行ってみて。T社長。プランも値段もウチの契約と同じのでお願い。よろしく。S■

「おかしいな、合ってるはずなんだけど。」
私はそう呟きながらドアの前に立つ自分の足下の煉瓦の隙間から生えている草が風に靡いているのを見た。

私は都内のとある会社で対法人の営業のお仕事をしていた。法人向けのWebサイト制作、Web広告を扱っていた。電話や飛び込みで顧客を開拓し、営業プレゼン、契約までが職務内容だった。この仕事を開始して数ヶ月経った頃から、飛び込み営業は必要が無くなった。ご紹介の案件が増えてきたからだった。

ご紹介案件の場合、大抵プレゼン時間は30分もかからなかった。そのため、この日は帰りに美術館へ寄ってから帰ろうなどと考えていた。日の下りてきた寒い空を見上げながら、今日は美術館へ寄れないのではないかという考えが頭をよぎり、心がどんよりとし始めた。

T社長が現れたのは約束の時間の30分後だった。T社長は目も合わせず言葉だけの挨拶をすると、店舗の入り口の2ヶ所の鍵を開けた。そして、後に続いて私も店舗へ入るとすぐに、T社長はドアの2カ所の鍵を閉めた。私は奇妙に思った。この社長は、少なくとも今日は店舗を開けないようだ。奥にある美容室の機材の乗ったカートを見た。ハサミも櫛も、妙に綺麗だった。ドライヤーのコードもよじれた所が無かった。

「この度は弊社のサービスをお選びいただき、ありがとうございます。S社長からのメッセージには、同じプラン、同じ料金とのご指定がございましたので、そのように書類を作成して参りましたが、お間違いはございませんでしょうか。」
「あ、うん。それより、あんたどこに住んでるの?会社の近く?どうしてその会社入ったの?」
T社長は私の会社をある程度お調べ済みのようだった。
「はい、近くです。たまたま入りました。人材紹介会社が最初に面接を設定した会社でした。営業未経験でしたが、雇ってくれまして。職務内容なんて想像もつきませんでしたけど、やってみてから考えてみようかと。」
「そう。」
T社長はやっと私の顔を見た。私はギョッとした。言葉では表しにくいが、何とも言えない、多くの修羅場を超えてきたような雰囲気があった。少なくとも、28年しか生きていない女の子に向けるお目目では到底なかった。
「出身は?」
この後、良子は1時間近く、T社長からの質問にひたすら答えた。先が見えない質問攻めに、私は疲れてきた。何を知りたがってるのか、腹の中を割いて見せたくなるような気持ちになってきた。すると急に、
「ペンある?朱肉ある?(契約書)書くから貸して。」
と言うと、T社長は数分で書類にサインをした。

「銀行からのご融資を受けるご予定がありますか?」
「無いよ。」
そう言うと、T社長は店舗の奥の棚の中から、印鑑を取り出した。
「そうですか。」
私は、不思議な気持ちになった。

「(Webサイトは)普通に作ってくれたらいいから。」

そう言うと、T社長はタバコを吸い始めた。
「普通と言いますと?」
私は、この店は喫煙OKな美容室?と思いながら質問した。
「当たり障りなく、あればいい。」
「そうですか。」
あればいい?どう言うことなんだろう、融資関係でもない、集客目的でもない、この契約で出来るWebサイトはなんためのサイトなのだろう。モヤモヤした気持ち悪さをどうにか解消したくなった私は、思い切って質問した。
「あの、社長。どうせお金をかけていただくなら、社長の本当のお力になりたいです。」
T社長は少し沈黙した。沈黙の中で、私はこのサイトは何かを欺こうとしているような、そんな意味のものなのではないかと思い始めた。

「社長、お店の実態通りのWebサイトと、実際よりもとても繁盛しているかのようなサイト、どっちが嬉しいですか?」
T社長は急に動きを止めて言った。
「Sから何か聞いてるの?」
「いいえ。私が知っていた情報はこれだけですよ。」
私は携帯電話のS社長からのメッセージの画面を見せた。

「どうして(そんな事を聞くの)?」
「どうしてでしょうね。何となくです。」
違和感の数々を言って並べたら心を閉ざされそうな気がしたのでやめた。その代わりに、少しおどけた表情をして見せた。

T社長はタバコの火を消すと、
「あの、ウチの会社は夜逃げ」
と話し始めたが、私はそれを遮るようにさらに冗談ぽく言った。
「あ、あの、大丈夫です。それ以上言わなくても大丈夫です。税務署に怪しまれないように繁盛している感を醸し出しましょう。」
知らなかったことにして、でも淡々と作成をこなした方が、T社長のためになりそうな気がした。誰も好き好んでする仕事じゃないから。それに命をかけてやってるんだから。私のできる応援は、これくらいしかできないから。
「ああ。よろしく。駅まで送るから(車に)乗ってって。」
「ありがとうございます。」
美術館の閉館時間近くになっていたが、寒い中、バスを待たずに済むと思うといくらか気持ちが明るくなった。

「Sが最近、怪しい女の話ばかりするんだよ。どんな奴かと思った。」
「まさか私ですか?」
T社長は苦笑いをした。
「健全な業務上のお付き合いをさせていただいております。」
「ははは。」

T社長はこちらを向かず、車の運転をしながら笑った。
「T社長も今後ともよろしくお願いします。たまに、御社のサイトを、私が適当に繁盛させときますね。」
「ありがとう。」
「こちらこそ、ありがとうございます。怪しいですけど、宜しくお願い致します。」

帰社の途中の電車の中で携帯を開くと、メッセージが入っていた。
■花屋だよ。東京都〇〇市3−4−25 Aさん。ウチらと同じプラン、同じ金額で。明後日、〇〇月〇〇日の午後3時ごろによろしくね。T■
私は、今度は何屋だろうと思った。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?