小説 雨上がりの博物館 5

大事な人の遺骨の欠片を、ペンダントに入れて肌身離さず持っている人に何度か出会ったことがある。

子供の頃は、それをとても気味の悪いことだと思っていた。しかし、40歳を過ぎた今、私はそのように思わなくなった。むしろ、その気持ちがよく分かるような気がしてきた。骨を持つ人の気持ちも、そして、骨になった人の気持ちも何となく少しずつ。

次の像も大変有名な高僧の像だった。自分の死後に、自分の遺骨をこの像へ収めてほしいと遺言していたそうだ。近くに座っている女性の学芸員の方へも確認したが、本当に本人の遺骨の一部が像の中に入っているそうだ。

この像はとても人気があるらしく、人だかりが絶えなかった。

人が少なくなるまで、暫く離れたところから眺めていることにした。

確かに、仏像に遺骨を入れると、沢山の人から拝んでもらえることだろう。ここは美術館なので、手を合わせている人は少ないが、きっといつも安置されているお寺の中であれば、皆手を合わせるのだろう。

今まで見てきた絵画や仏像はほぼ全て本来は拝むべき物のはずだが、博物館の中だからなのか、ここへ来るまで拝みたいとは思わなかった。しかし、骨が入っているとなると急に拝みたくなるから不思議だ。

暫く経ち、少し人だかりが引いてきたので、像の正面へ立ってみた。
その像は、座禅を組んでいる体勢なので高さはあまり無いが、台の上置かれているため、像の目線は私のよりもほんの少し高く、そして力強く前をしっかり見据えているようだった。お顔は凛々しいが、頭頂部が少し不気味なくらい高く盛り上がり、どこか異様さがあった。

流石にこの像の顔に似ている人は見つかりそうにない。そう思って次に行こうとした瞬間、あるお客さんお顔が浮かんできた。

3年程前も、今と同じリフォームの会社の仕事をしていた。いつものようにショッピングモールでティッシュを配っていると、4人の子供たちを連れた男性がモールへ入ってきた。
小学校前くらいの赤いTシャツを着た男の子が駆け抜けて行くと、小学生らしい子が2人それにつられて走り出した。後から来た中学の体操服を着た男の子が、全速力で走っていくその小さな男の子を追いかけて、片手をギュッと握って何か嗜めたようだった。それからすぐに、丸刈りの屈強そうな男性がゆっくり追いつき、一番小さなその男の子のもう片方の手を握った。
その男性が私の目の前を通った時は、少し異様な怖さを感じた気がしたが、手を繋いでいる男の子を見下ろしているその眼差しはとても優しかった。
ティッシュは貰ってもらえなかったが、その5人の後ろ姿には温かみを感じた。


数時間後、またその家族が歩いてきた。小さな赤いTシャツの男の子は、今度もお父さんと手を繋いでいた。とてもご機嫌な様子は、繋いでいない方の腕の振りで分かった。

近付いてくるその家族へ、先ほどよりももっと大きな声をかけた。
今度はティッシュを貰ってくれた。
そして、ティッシュに書いてある、ウチのリフォーム会社の広告を見ながら数歩通り過ぎて急に振り返り、急に言った。
「小さな部屋と部屋の間にある壁を無くして大きな部屋にしたいけど、いくらくらいになるの?」

後日その方のお家を訪問することになった。久保田さんという方で、お家はショッピングモールから車で数分の、大きな通りに面したお宅だった。

ご説明とお申し込みが済み、資料を片付けでいると、奥様がお茶を入れ直してくれた。お話の間、小さな男の子がたまに、少し空いたドアの隙間からこちらを覗いているのが見えていたが、お話が終わった雰囲気を感じたのか、今度は部屋の中へ入ってきてお父さんの膝の上へ座った。

「良かったね。今度小学生になるから、お父さん、机を置ける場所作ってくれたよ。嬉しいね。」
私がそう言うと、涼太君というその男の子は、大きく頷いた。

一番上の中学生の翔君は来年受験生になるので、今まで物置にしてきた小さな部屋を少し改装して、そこを翔君の部屋にすることになった。
そして残りの3人の小学生の子供部屋は、2つの小さな部屋を合わせて出来る大きなお部屋になることになった。

「ランドセルはもう買って貰ったのかな?」
私は涼太君にそう聞くと、
「まだだよ。今度貰えるんだって。」
一瞬だけ私を見てから、ロボットのおもちゃを動かしながら少し恥ずかしそうに答えた。
「それは良かったね。おばあちゃんからかな?おじいちゃんからかな?」
涼太君の横顔に話しかけた。
「分からない。」
私は奥様の方を見た。すると、
「あ、この子と、あと小学生の一人は、里子なんです。ランドセルを寄付してくださった方がいらっしゃって、今度いただけるそうなんです。」
と、和やかに、でも至って普通に答えた。
「そうでしたか。全然分かりませんでした。先日お会いした時から、良い家族だなって思ってました。」
私は予想外の答えに少し驚きながら言った。すると、久保田さんが涼太君の頭を撫でながら、
「そうですか?ありがとう。1年くらい前、5歳少し前頃にうちに来たんだよね。」
と言うと、涼太君はロボットのおもちゃをいじりながらコクリと頷いた。
「こう見えて、とてつもなく寂しがり屋なんですよ。この人は。」
奥様が照れ隠しのように、少し茶化しながら言った。
「まぁね。それもあるけど、未来に何を残せるのかなって思うとね。どうせ、死んだら骨になっちまうんだから。」
久保田さんの言った、「未来に何を残せるのかなって思うとね。どうせ、死んだら骨になっちまうんだから」が頭の中で何度も繰り返し聞こえ始めた。


「え、真面目。今日どしたの?」
「たまにはそういう時だってあるよ。」
・・・・

「未来に何を残せるのかなって思うとね。どうせ、死んだら骨になっちまうんだから」
頭の中で鳴り止まないその言葉で、久保田さん夫妻の漫才ような会話が少し遠くから聞こえているように感じた。

暫くして会話が落ち着いたところで、私は何故かとても嬉しくなって言った。
「なるほど。私は日々ただ生きることだけ、育児と仕事だけで精一杯で、未来に何を残せるかなんて、特に子供が生まれてからは考える余裕がありませんでした。でも、今、ハッと気付かされたような気がしましたよ。」
急に前のめりで話し始めた私に、久保田さんは一瞬少し驚いたような表情をしてから言った。
「私の兄は、東北の実家を継いでいて、農家をしながら、部落の伝統のお囃子を次の世代にも伝える事をしていてね。夜や休み日はぼ地域の子供達に稽古をつけたり、お面や衣装や櫓を修理したりしていて。決してお金になるもんじゃないし、義理姉はお金がかかって困りもんだと言ってるけど、そんな兄を立派だなといつも思ってたんですよ。方や俺は至って普通で。普通に生きていくのも楽じゃないけど、でもね、生きてる間にあと何が出来るのかなと、兄を見ていて思ったんだよね。ウチの奥さんも似たこと実は考えてて。自然と里親やってみようかなと言うことになったわけですよ。」
少し前のめりな私に、久保田さんは答えてくれた。

「いや、私はそんなに難しいこと考えてないですよ。ただの寂しがり屋ですよ。」
奥様はまた少し照れながら言った。
「で、何で俺こんなこと言ってんだよ。照れるわ。言わすな。」
照れていたのは奥様だけではなかったようだった。
「言わしてないわ!こんな丸刈りで真面目に語られたら、笑っちゃうじゃないのよ。」
本当に仲の良い夫婦だ。漫才のような夫婦の会話に多少強引に巻き込まれながら、談笑は暫く続いた。

「ただいま。」
玄関の方から声がした。
「翔が帰ってきた。今日はテストだから帰りが早いんですよ。お昼ご飯作らなくちゃ。」
そう言って奥様はお部屋を出て行った。

「翔くんも、弟くんもとてもお優しそうですし、久保田さん御一家だからこそ出来ることだと思いますよ。里親って、誰もが出来ることではないと思います。とても素晴らしいですよ。」
私は筆記用具を片付けながら言った。
「いやいや、ここまで来るまでに、色々あったの。5年前に初めて里親になったときは、思った以上に大変だった。実子も、本当に色々あって。元々、ひどく自己中心で、自分のものにしないと気が済まないタイプだったから、本当に兄弟喧嘩が絶えなくて。上の子が今みたいに割と面倒見良い子になるとは思わなかった。本当に変わった、あの子は。それだけでも、里親になって良かったと思うね。」
「そうなんですか?」
「反抗期もあったかもしれないけど、最初は、子供の言う通り、やはり里親辞めようと思ったけど、俺が騒げば親は里親やめる、なんて息子に思われても困るなと思ったわけですよ。思い通りにならないことがある度に、変な反抗されるの嫌だからね。今回は絶対に折れないと決めてからは、長男と我慢比べだったよ。そんなこんながありまして、今があるわけですよ。今は笑い話だけどね。」

そう言うと、膝に座っている涼太君を抱き直した。
「そうでしたか。久保田さんは懐が深いですね。今のお話を聞いていたら、なぜか胸が痛くなってきました。多分、翔くんの気持ちですけど。私は普通の家で育ちましたけど、親と沢山喧嘩しましたし、親戚の叔父さん叔母さんとも沢山議論というか、喧嘩しました。他にも色々な人に途方もなく莫大なのエネルギーと時間を使ってもらった事を思うと、胸が痛くなってきました。」
「ま、そんなもんよ、人間。みんなそうなんじゃない?息子もだけど、俺もそうだったもん。今じゃこんなに丸くなってますけどね。」
「私は奥様のようには突っ込めませんけど、でも確かに、その丸さには敵いませんね。」
久保田さんは、にっと笑った。

うっかり巻き込まれるところだった。お客様と話している事を、笑い過ぎて忘れそうになるのが危なかった。なんてね。

お部屋から玄関へ向かう廊下を進みながら久保田さんが急に言った。
「水田さんも里親どうですか。色々あるけど、良いですよ。きっと。水田さん、里親向いてるかも。」
「そうですか?久保田さんのように、家族みんなで成長できるなら素敵なことですね。翔君みたいに好青年に育ってくれたら、親も苦労のしがいがありますよ。里親っていいですね。でも、私が向いてるかどうかは自信ないですけどね。」
玄関に着いて靴を履きながら私が言った。すると、久保田さんが少し何かを考えてから言った。
「水田さんの雰囲気、里親会で会う人の雰囲気に似てる気がするよ。」
「そうなんですか?」
私は自分でも不思議なくらい嬉しくなった。


「うん。それに、可愛いでしょ。この子も。」
足に抱きついている涼太君の頭を撫でながら久保田さんは続けた。
「色々あるけど、最後には良いもんですよ。きっと。」
「僕のこと?」
涼太君は急にお父さんの顔を見上げて言った。
「当たり前だよ。涼太、可愛いな。」

微笑む久保田さんのお顔が、仏像に重なって見えた。

未来に何を残せるか。
何も無い私でも、未来に何か残せるのかもしれない。そう思って生きることは大切だとあの日感じたのを思い出した。

今日博物館へ来て良かった。
そう思いながら、次のお部屋へ進んだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?