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★キャンピングカー生活まであと207日★「個人的コロナを振り返る」

あした何の日?

こんばんは。
私が関西にいる間に関東は梅雨入りしてしまいました。
今日は仕事ですが、雨の中、車内での休憩中に執筆しています。

夏も近づき雨の蒸し暑さも相まって、以前よりマスクを付ける人たちは街から減ったように思われます。
しかしながら、まだ今まで通りマスクをつけたままの人も同じように多いです。

割合で言うと3:7ぐらいでまだマスクを着けている人が多いような印象です。

本日のNoteは「コロナ初期を振り返る」回にしたいと思います。

コロナを知った大学4回生の時

私がコロナを知ったのはちょうど大学4回生の卒業間近、1月か2月の頃でした。
中国武漢でパンデミックだ、という報道をニュースで見ました。

私がこのニュースを見て、真っ先に心配したのは卒業旅行。
過去の記事にも投稿していますが、フランスとドイツに旅行する予定を立てている最中でした。

しかし飛行機やツアー代も払った状態です。
正直な気持ちは、ここで引き下がるわけにはいかない。ヨーロッパに被害はないんだから渡航には問題ないでしょ。というものでした。

実際、何の問題もなくヨーロッパには行けたけど、現地で「中国人?」と聞かれることが多かったのが「やはり世界が何か変だ」といよいよ感じるところでした。
(私より後にヨーロッパに行った人たちは日本人でも差別的な扱いを受けたとのこと)

そしてフランス滞在中に、ついにフランスで初めての感染者が報道されます。
コロナは世界的な感染症なのか、とウイルスの猛威に驚かされたのを覚えています。

まあ、なんとか(というか当時は何の問題もなく)日本に戻ってきて。

改めてTVニュースを見ると毎日、感染者数の増加を報道していましたから内容の変化がないテレビに飽き飽きしていたのを覚えています。
100人の感染で「もう終わりだ」と大騒ぎしていたのはもう懐かしいですね。

真偽のほどは恐らく未来永劫分かりませんが、
コロナは人災とか。日本でコロナやマスクが収束しないのは国と医療関係者が癒着しているとか。ワクチンの中には色んな体に良くないものが入ってるとか。

色んな情報が出てきたり出てこなかったり。
正直、何が正解かなんて考えるだけ無駄だと思っていました。
だって、世界が初めて経験することなんだから。

何が何だか分からないけど、とにかく世間を様子見するためにインドアの趣味を充実させようとしてみたり。
この頃はドラマや映画、自炊と今となっては殆ど考えられない時間の使い方をしていました。

しかしそれも長くは続きませんでした。
初めての一人暮らし、初めての上京、初めての社会人という期待に溢れた年でもありました。
大人しく家にいるというのが、今思えば自分の性格的にも厳しかったのだと思います。早速SNSを活用して友達を作って飲みに出かけていました。

この時期の外出には賛否が多かったけど「ウイルスごときに私の自由な社会人生活を潰されてたまるか」という気持ちがあったのかもしれません。

緊急事態宣言中で空いている店は少なかったけど、上野や新橋など探せばお店は見つかりました。
おかげで新天地でのフッ軽さとある程度のコミュ力、知り合いの作り方など初めて経験するようなことで、対人力が培われたと思っています。

車を借りて、日光まで一人旅したりもしました。
観光客がすっかりいない観光地を独り占めできる、あの体験は今思えばとても貴重なものでした。正直、めちゃめちゃ気持ちが良かったです。

という感じで1年目は全くコロナには無縁の生活でした。
最初の半年は現場研修でガソリンスタンドの店員でしたが、コロナだから何が変わったとか、ほとんど何もなく。

会社においては歓送迎会を含む、飲み会が制限されていたので、会社的な集まりが苦手な私からすればむしろラッキーでした。
さらに研修もオンラインで負担が少なく助かりました。

ちなみに私は今、Instagramでグルメを紹介していますが、自分が飲食店やカフェ巡りをするようになった原点はコロナで家にずっといる不満の反動でもあります。

これだけ人に会いまくって飲んだり食べたりしている私がコロナにかかっていないんだから、と自分の免疫を過信していた節はありました。病は気からでしょ、と。

しかしコロナ2年目の夏についに感染してしました。
2年目は異動で名古屋でしたが、当時副業のビジネスで毎週のように東京に行っていたことを思えば「やっとかかったか」ぐらいでした。

その日は珍しく家で一人飲みをして、次の日も休みだからと布団の中で夜更かししようと思って横になったのですが、だんだん頭が痛くなって熱を帯びてきました。

皮肉にも寝たいのに寝られない状態になってしまいました。
次の日には熱もどんどん上がって39度ほど。辛い思いをしました。
正直「あー、これ絶対コロナだ」とは思いました。

にんにくの瓶を嗅いでも匂いが分からない。
ほんとに嗅覚が効かなくなるんだ。

これが、無臭。こわいって。

流石にこの時だけはコロナに対して弱い気持ちになってしまいました。
当時は1週間は自宅待機。ずーっとYouTubeを見て1日を過ごしていました。
外に出られないのがここまで辛いとは。
(1年目は買い物ぐらいは行けていたので、しっかり軟禁状態)

そしてやっとコロナから解放された私は、住処を東京に移し、本格的にビジネスに打ち込み始めるのでした。
(ちょうどこの時、会社を辞めるタイミングと重なっていました)

そこから色んな経営者の方やビジネスマンに会っていく中で「どうもコロナおかしい」と思い始めるようになりました。

どうやら経営者層や富裕層にしか流れていない情報があるような気がする。
結局のところ真偽がわかりませんが、アンテナが立っているビジネスマンほどコロナにもかかっていないしワクチンも打たないしマスクもしない。
そして推奨していない、と口々に言う。

肌感での統計だけど、そう感じ取れました。

私は会社でのワクチンも本人の自由ということでしたので打ちませんでしたが、なぜか周りは私以外全員が例外なく何の疑問も持たずにワクチンを打っていた。
何かあるぞ、と。

しかしそこまで深く考えることもなく、とにかく目の前の仕事と自分の人生だけに向き合った年でしたけどね。

それでもコロナを恐れそうになった事件が一つだけ。
時期は違いましたが、当時のシェアハウス仲間が1人、2人とコロナにかかってしまったのです。

家は一緒ですが、隔離したりホテルに移ったり。
幸い、自分が感染することはなかったのですが、一番身近な人がコロナにかかると精神的に窮屈な思いをしたことは正直なところ。

コロナだけで色々とありましたね。
会社や組織などは考えることも多かったと思います。

しかし、この時から私は「自分の人生」の軸を無意識的に持っていたのだと思います。
「自分の直感に従う」「我慢しない」「自分が感じる楽しみの方へ向かう」

自分の良いところでもあり悪いところでもある「素直さ」が、コロナ時代には私を救ってくれたのだと思います。
どう考えても人生で最も行動したのがコロナ禍であり、人生で最も人との繋がりを作ったのがコロナ禍であり、人生で最も自分を見つめ直したのがコロナ禍でした。

コロナがなければ今の自分はいなかったかもしれない。

確かにコロナが原因で亡くなられた方などのことを思うと不用意にこのような記事を投稿するのは良くないのかもしれない。

でも、私は生きている。
それならばコロナなんかに怯えた人生を送るのはもっと格好悪いんじゃないか。
自分の体もそうだけど、精神を腐らせては何も前には進まない。

私は、細かなことを考えることはあるけど、それが枷になって自分の行動が制限されるぐらいならば突破できるだけの勢いで進む人。

得体の知れないウイルスに意識を奪われ、しなくても良い心配と持たなくても良い疑心で牽制し合うより、自分たち一人一人が「軸」「覚悟」「信念」をしっかり持って自分の人生を生きていくことに集中する方が、はるかに豊かで生産的ではないか。

そう思っていたかもしれないここ数年。

<<<あと207日>>>
相当ズルして楽したい
そんな虫のいい話はないから
ちょっとは汚れてみな
from 「だけじゃないBABY」by ネクライトーキー


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