憧れと現実の狭間

少し前になるが、とあるアーティストがお酒の勢いそのままにナンパ→撃沈→ビンタ。という彼の知名度同様、世間をほんの少しだけ賑わせた話があった。率直な感想は、何やってんだか…。といった感じだったが、日がたてばたつほど未然に防げたのではないだろうかと考えてしまう。

実のところ僕はあのグループに憧れを抱いていた時期があった。

自分のパッとしない見た目に反してとてもキラキラしていた彼らは、自分とはまた別世界に生きているのではないかと思わせる勢いや感動があった。と同時に誤解を恐れずに言ってしまうが、初期の頃の彼らは、自分もこんな感じの人間になれるのでは。と感じさせてくれるぐらいの決してハイには見えないパフォーマンスを見せてくれた。(皮肉ではなく)それは中学生ぐらいの自分にとってとても夢のある話だった。多数の人間が一度は憧れる芸能の舞台への希望を与えてくれたのであった。

しかし、自分もいろんな経験を重ね、芸能だけが自分を表現する場所ではないと感じ、いつしかその憧れも冬の陽が照らす時間ぐらいにあっとゆう間に消え去った。

ただ、憧れの感情や何よりも優先するぐらいの好きがなくなったものの、割と最近まで彼らの活動はたまたま目にする機会があれば少しだけ手を止めて、その様子を目で追っていた。(様に思う。)

まさに思い出を振り返る時間の様だった。あの頃は楽しかったな。こんな些細なことに憧れを抱いていたのか。今も元気かな。回顧する時間を楽しむかの様に彼らの活動を気にしていたのだと思う。

勝手な話だが、割と初期の頃に熱中するのを辞めてしまったため、彼らのことはその時点の印象で止まっている。=彼らの知名度は全くで、代表作も特に世間一般に広まっているわけでもない。と言うかそんな代表作がない。強いてあげるならハリケーンぐらいか。そんな印象。

だからこそ、今回の件で加害者側が憤りを感じた要因の一つ、「あんたのことなんて知らない。」は僕は被害者側と同意見であった。誰しもがお前のこと知ってるわけじゃねーよ。ばかやろう。

被害に遭われた方にしてみればこんな理不尽な話ないと思う。本当に気の毒に思うし、どうか傷ついた心が癒されることを願うばかりである。

その上で加害者のことを考えてみるのだが、満たされない気持ちと言うのは誰にでも存在し、画一的な解消方法は存在しない。ライブの動員数などの定量的な成果や歌姫とのコラボレーションなどの憧れるポジションの確保を以ってしても彼の気持ちのどこかにあった満たされない気持ちが解消されないのかと思うと、人の幸せは千差万別であると同時に数や憧れの到達は幸福度数を必ずしも高めるわけではないのだと思った。彼にとっての幸せとは一体なんだったんだろうか。

大の大人だから…。は関係ない。

ニュースを見ていると彼の年齢に驚いた。もう30代も半ばを過ぎたのね。僕も年とるわけだ。

いい加減落ち着けよ。と言いたくなる人の気持ちも分からなくもない。

しかし、年齢など関係なく、やはり人間ダメなところは常に存在し、それが熟せば熟すほど解決には困難を極める。

彼にも何かとの付き合い方(モノでも人でも)には難があったのだと思う。

これには色んな解決方法や向き合い方のアプローチがあると思うのだが、そういう専門的な役割を担った場所はあの事務所にはないのだろうか。あるのかもしれないが、誰も勧めなかったんだろうか。彼自身が拒否したのだろうか。今回の件で事務所の連帯責任などと放言するつもりはないが、彼に依存する問題があればあるほど、根が深ければ深いほど、上手にサポートできる機関が必要だった様に思う。加えて、弱さも受け入れることの必要性を説く必要があった様に思う。芸能人だから30を超えた大人だから。そんなことは関係ない。困ったことや辛いことを打ち明ける場所こそ彼には必要だったのではないだろうか。

何度も言うが、程度の差があれど人間誰しもダメなところがある。完璧超人などこの世にはいないと思う。だからこそ、そういうのを専門的に相談できる場所やサポート役として成立する職業があるのだと思う。

憧れられる存在だからこそ

今回の件を見た中高生たちはどう感じているのだろうか。

あの舞台に憧れている人たちは何を感じただろうか。

私見だが、芸能の舞台に立ち、一度有名な立場になればなるほど、その存在はその人一人だけのモノではなくなり、不特定多数のイメージという名の所有物になってしまうのではないかと思う。

良いイメージは、憧れの対象となりやすいが、その分対象となる人間は自我を保つのが難しくなっていくのかもしれない。

だからこそ、弱さも受け入れる度量がもしかするとファンには必要なのかもしれない。憧れの対象が憧れの感情を育んてくれるだけの存在、その維持というのは、なかなか難しいのではないだろうか。

ダメな部分を克服する姿もオープンにできれば少しは楽なのかもしれない。今こそその時なのかもしれないし、もう遅いかもしれない。ただ、もう一度活躍する場を願ってくれている人にはそんな姿も見てもらいながら一緒に克服していく可能性も模索できないだろうか。そんなことも少し考えてしまう。


最後になるが、ファンであった人間として彼がどうか少しでも改善の方向に向かうことを祈ると同時に、被害者の方が今回の件から精神的に一刻も早く解放されることを祈るばかりである。