UBI montreal への感謝文: Child of Light レビュー(ネタバレあり)

▲人の心を打つ作品

 人の心を打つ作品に必要なものがあるとすれば、それは人の心の構造に対する理解ではないかと思う。長く愛され続ける多くの古典芸術作品にはそうしたものが確かに貫かれていると思うし、それら「哲学」とも呼べるような何かは今でも探求が続けられていて、決して古めかしいだけのものではない。その時やその時代において求められるものは少しずつ変わるし、個人の人生において遍く万人が例外なくその「哲学」を繰り返し探求し続けているというのがこの世界の構造の一面でもあるだろう。

 私は普段ゲームのレビューというものを書かない。発売当初の印象からゲームプレイを通して受けた感性をどうしても形に残しておきたくて、今回は一念発起したような形となった。だから、ゲームレビューとしては不適切な内容になるだろうと思う。安価かつ短い内容という作品であることが事前に判明している中で、この作品を「JRPG」というシステムをなぞっただけのものとして「プレイ(処理)」されてしまうのはとても勿体無いことだと思った。ありがたい事に、このゲームは周回プレイに関するいくつかの機能が備わっていて、このことは改めてゲームと対話してみようと思わせる為に書かれたこのレビューの一助となっている、ということを先に宣言したい。

 そう、このレビューはネタバレを含み、更に言えば「ゲームの購入を悩む諸兄に対するアドバイスではない」ものである。作品内における描写にどんな説得力があったのかを確認する作業を行うような、そんなレビューだと考えて頂ければ良いかと思う。念の為、作品の深いネタバレにあたるような部分には<ネタバレ開始・終了>の表記をしておきたい。

▲Child of Lightの良い点・悪い点

 とは言えレビューの体裁を取るので、まずは作品全体を俯瞰してみたい。

■オススメできる点
 ・安価
 ・最低限に抑えられた良好かつ直感的な操作性
 ・極めて芸術的なビジュアル
 ・堅実ながらしっかりと盛り上げる音楽で、それでいて主張は強すぎない
 ・自分に合った難易度へ、常に調整しながらプレイできる
 ・もったいぶったストーリーがなく、キャラの行動に無理がない
 ・戦闘は少なからず思考が必要となり、挑戦的な方法も選択できる
 ・ファストトラベル等の配慮

■場合によりオススメできない点
 ・アイテム収集はほぼ存在しないに等しい(回復アイテムくらい)
 ・スキルも事実上は各キャラ数種のみと捉える方が正確
 ・各イベントの演出は非常にあっさりしている
 ・音声はナレーションのみ
 ・敵の種類は限定的
 ・8~10時間程度でストーリークリア
 ・セリフが詩的かつ韻を踏んでいるとされているので
  翻訳の問題もあり、受け付けない人がいる恐れ
 ・キャラビジュアルも絵本的

■不満な点
 ・エリアに入ると発動するイベントを予測しづらく
  また発動すると戻れない場合がある
 ・吹き出しのセリフがすぐ消えてしまうことがあり
  再読できない場面がある
 ・アイテム収集要素がないので
  宝箱の探検にそこまでワクワクしない
 ・キャラが割合多く、戦闘面であぶれやすい
 ・ほぼ終盤で仲間になるキャラに描写不足を感じやすい
  その為周回プレイで育成するまでの準備が長い
 ・良くも悪くも、雰囲気ゲーとも取られる

 上記は個人的な感想なので、とても偏っているから購入の参考程度にして頂ければと思う。概ねマイナス要素は「システム的な不便さに対するちょっとした愚痴」くらいのもので、あとのことは「そういうゲームを求めているか否か」という部分に関わるから「場合によりオススメできない」という表現とさせて頂いた。

▲作品レビュー

 さて、私がこのゲームにおいて感心させられた点は以下になる。
■人の心の動きに対する表現の適切さ
■人の心の動きに対する行動の適切さ
■笛の存在

 私の持論となってしまうので申し訳ないところではあるが、例えば「人の心を打つ小説を作るには何が必要か」と問われれば、冒頭に示したようにして私は「哲学」が必要だと答え、更にはその為の人生経験と実験が必要だろうと答えると思う。

 ラッパはどうするものかと問えば、多くの人は「吹くもの」「演奏するもの」だと答えるだろう。「買うもの」「貰うもの」と答える人もいるだろうし、それは間違いではない。「作るもの」「掲げるもの」と答える人も時々いて、間違いではないだろうしそれを否定するものでもない。ただ、もし「吸うもの」とか「カッコつけるもの」とか答える人がいるとすれば、それは何かを勘違いしていたり話が違っていたりするのだろうと、まずは疑うだろう。

 同様のことが「勇気」にも言える。勇気はどうするものかと問われたとき、どのように答えるだろうか。どのように答えるのが適切なのであろうか。そこは文学的な感性(と言って単なる感情)だけの判断で、常に変わるとする者があれば、私は明確にそれは異なると申し上げたい。先の例で、もし「ラッパを吸う」キャラが出てくるのであれば、それは既に「ラッパは吹くものというのが本来的に正しいからこそ」フォーカスされるキャラの表現であるという点を無視することはできないからだ。これがハーモニカなら「まあ、吸うこともあるよね」で終わってしまうことからも、分かることだと思う。

 勇気とは「出すもの」である。

 勇敢な人物というのは存在する。しかしながら、勇気は「出す」ものである。Child of Lightの冒頭、主人公オーロラは謎の人物から目的を与えられる時に「勇気を出しなさい」と告げられる。これが「勇気を貰いなさい」ではいけないし「オーロラにしか勇気がない」のでもいけない。

 なぜ勇気は「出すもの」なのか。出すものということは、既に持っているということを前提にしなければならない。逆説的に、勇気とは万人が必ず内に秘め持っている大きな法則のひとつだから、ということを確認することとなる。私達の命の構造として、勇気は誰にでも備わった本然的な力であることを信じて根っことし、人生の実験において経験を積み、これを栄養として更にその根を強くしていくのである。

 私はこの類まれなる表現力のゲームを開始して、その絵画的な雰囲気に圧倒され浸りながら、冒頭に伝えられるこの短い一言を目にした時「ああ…… 信頼できる」と感じたのだ。

●力・使命・勇気 そして励まし 笛の存在

<以下からややネタバレあります:読んでもたぶん大丈夫> 

オーロラは強い少女である。

 しかし何も分からぬまま、見知らぬ土地で暗い森を歩けば、孤独を重荷として恐怖と寂しさに対する闘争を続けなければならない。いつしか心は疲弊して、涙を零し、くじけてしまいそうになる。どれほど勇敢な人物であっても、それは変わらない。

 そこに現れるホタルと謎の人物。まずホタルは涙を拭いて顔を上げよと励ます。謎の人物は剣を取れと力を託す。オーロラに使命を与え、恐れる少女に勇気を出せと激励する。最後に羽を与え、世界へ飛び出すように促していく。傍らに笛を贈り、どうしようもなくなればそれを使いなさいと言って、謎の人物は立ち去ってしまう。

 オーロラには目的があって、それは与えられた使命とはじめのうちは少しだけ剥離している。あくまでもその使命は目的を果たすための過程・手段でしかないのだ。

 道中オーロラは様々な人物と出会う。彼らは一様にして大きな悩みを抱えていて、途方にくれたまま時を過ごしている。目的に向かって邁進するオーロラに彼らは同行を願い出る。旅を共にするうち、彼らは知らず知らずのうちにオーロラから励まされ、勇気を出して戦う決意を固めていくのだ。

 しかし、彼らの悩みを文字通り命がけで解決したところで、彼らに壁が立ちはだかる。ネタバレを避けて言葉は濁すけれども、その悩みの解決によって大きく感謝されたり、認められても良い場面のところを、彼らはそれを受け入れてもらえずに拒絶され、責められ、孤独になってしまう。

 彼らは誰かを恨みこそしないが、報われず孤独になったところで、自己を卑下して立ち止まってしまう。これも勇気と同じく、人間に備わった心の動きである。どうすべきか困ってしまったオーロラはそういう時に、この笛を人の為に吹いて励まそうとするのだ。

 同じメロディ、同じ音程の短いフレーズに、彼らは顔を上げる。しかし彼らはそれぞれ受けた傷と対応してそのメロディに異なる印象を持ち、力を得て再び立ち上がる。その笛に込められたオーロラの気持ちとは、明らかに「苦しみを同じく分かち合う」ものであり、「共に戦おう」というメッセージなのだ。

 なぜ私が「笛」に感心したのかはここにある。

 作中、魔法の王冠だとか、光の子である使命だとか、それぞれの仲間の能力だとかいったファンタジーな要素が大事なものであることに変わりは無い。しかしながら、笛についてはストーリーの最後まで特別に何かを明かされることはない。そのメロディに逸話があり、それが役立つ場面はあるけれども、その笛そのものに何か大きな力が秘められているような描写がされることは、実は一度も無いのだ。

 私はおそらくあの笛は「本当に単なる笛」なのだと思っている。
 魔法の王冠によってオーロラは超越的な力で守護されたり、闇の女王によって人々が苦しんでいたりということはあっても、人の心を本当に動かせるのは寄り添った人の心以外にはないのだということを表現したアイテムなのだと思う。

 打ちのめされた仲間に掛ける言葉もなく、光の子としての能力すら役に立たず、他にどうしようもないからこそ、オーロラは最も根源的な「慈悲」の心を出して、やれる限りの演奏で寄り添おうとするのだ。その時のオーロラの中に動く心を想像しようとするほどに、悲しく・愛おしい瞬間はなかった。だからこそ、仲間である彼らは動かざるを得ないのだ。顔を上げて、立ち上がらざるを得ないのだ。一切明言されず、作中の魔法だとかのメイン要素のように目立たないが、作品を通じて貫かれているものはこの「勇気と励まし」であったと私は思う。そしてそれは、正しい哲学によってのみ表現が可能となるものだと、私は信じている。

●あっさりした表現の中に 筋道の通った行動がある

 勇気は出すものであり、使命は自覚するものであり、目的には力が必要で、孤独では何も為せず、だからこそ激励に生きる人がいて、そこには鼓舞がある。

 こうしたことは、外しようもない命の構造である。Child of Lightにおいては、児童書のそれのようにして愚直なほどこれらの構造に従った流れを取っている。しかし、この構造を本当に理解することというのは途轍もなく難しいことでもある。私自身、人間の心の在り方に日々悩み、自らの心すら制御できない場面だらけで、いまだに表面的なことしか理解できていないように思える。

 オーロラは剣を手にした瞬間から、勇敢に(やや蛮勇に)戦いに挑む。小説やアニメならば、もう少しその間に表現がありそうな所を、案外あっさりと切り替えて行く。これはオーロラに限らずChild of Lightの作中では誰もがそんな感じではあるけれども、考えてみれば絵本的なものというのはそうしたものが多い。

 ただし、突拍子も無いといったことはない。ずいぶん突然戦えるようになったなと思っても、やはりしっかりとした理由と筋道がある。目の前の戦いの為には力が必要だからだ。

 しかし、その後使命を告げられるとオーロラは「出来ない」と泣いてしまう。そして勇気を出せと励まされ、新たな力と仲間を与えられる。単なる目的だったものが使命の自覚へと変化して行くからこそ、明確に勇気を振り絞っていけるようになるのだ。

 だから、途中の段階で使命よりも自分だけの目的を優先したことで仲間を傷つけ、その結果独りになってしまった時にオーロラは「決意」するのだ。そこには仲間からの「慈悲からくる叱咤」があり、それに応えるようにしてオーロラは改めて…… 涙を溜めた力強い表情で…… 誓いを立てるのだ。

 そうした「命の構造」に忠実な脚本があるからこそ、オーロラの成長物語としてちゃんと受け入れてプレイできた。優れた古典文学には、読み進めているうちいつのまにか主人公を応援してしまう不思議な魅力がある。そのような豊かな感動を体験させてくれたゲームだと、私は評したい。

<ネタバレここまで>

▲UBI montrealへの感謝とJRPG

 発表当初から「JRPGをリスペクトして製作」したとしていただけに、個人的に注目していた作品で、その文言通りだったと思う。最近のSteam等を見るに、日本語対応というものは何か謎のハードルがいくつかあるようで、そのあたりも他言語と比較して苦労した部分があったのではないかと推察する。それでも丁寧に仕事をして頂いたなと感じるし「世界のゲーマー・メーカーが日本に対して抱いている危うい期待感」を受けたような気さえした。

 いつのころからか「JRPGに対する絶望」のようなものが、日本国内で広がっているようにも思えていて、私は「そんなことはない、今でも十分すばらしい作品は日本から出ている」と考えていたりもしたけれども、無視はできるものではないと感じていた。

 その根本的な原因はどこにあるのだろうと時々考えていたけれども、私自身は明確な答えを持てなかった。しかし、今回Child of Lightをプレイして、この短い体験の中にひとつの答えがあるかもしれないと思えた。

 このレビューのテーマでもある「命の構造に根ざした哲学」が、ある面でゲームを救うのかもしれないという点である。

 日本という国に限ったことではないのかもしれないが、私個人の環境だけを見てみれば「映像ゲームというだけ」で理不尽な勘違いをされる場面はいまだに割とたくさんあると感じている。

 私のような何も知らぬ若輩が偉そうなことを言うのを許してもらえるのならば、Child of Lightは「芸術作品」として成り立っていると思う。芸術は哲学の表現だったり、実演だったり、証明だったりする。(芸術の勉強なんて、これっぽっちもしてないから、本当に恐れ多い発言なのですけど)

 ゲームはエンターテイメントであることに違いはない。エクスペリエンスの欲求に対する呼応というものでも良い。だからマネタイズされなければならないし、売れるゲームを追い求めるのは当然だし、激しい表現や新たなシステムを研究するのも大切なことだと思う。

 でも、芸術性という面を探求するという精神を捨てることはしてはならないんじゃないかと思う。UBI montrealがどのような心情でJRPGに対しリスペクトを投げかけてくれたのかは分からないが、ひとつの警鐘と「激励」を頂いたんじゃないかと思う。だから私は、UBI montrealに感謝を贈りたい。

 私は単なるゲームの「消費者」だから、何かを生み出す力はないけれども…… オーロラがそうであったように、JRPGがこの激励を受けて立ち上がり、より力を付けて世界中のゲーム文化を激励していく未来を願っていきたい。

 UBI montreal すばらしい作品をありがとう。
 短いけれど、貴重な時間を体験できました。

<以下ネタバレ>

■PS……

 姉さんの件は悲しすぎました。
 本当に使命に生きる人とは、確かに孤独なのだと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?