影法師、光を背に伸びる

むかーし書いたお話です。せっかくなのでこちらに再掲

――。

 スカサハは影の国を統べる女王であり、しかしスカサハ=スカディは世界を統べた女神でもあった。

「これ、キャスターと呼ぶのはよさぬか。お前が私に仕えているのであり、私こそお前の主なのだからな」

 マスター。召喚者。魔術師。人間。生命……エトセトラ。彼女の手を取ったこの男を解釈する上で用意できるいかなる視点を用いても、神霊である己を尺度にすれば、「それ未満」のか弱き者である。慈愛をもって包むべき、吹けば飛ぶいのち。

「そうさな……スカサハ、様。だぞ。私を呼びたければそうするがよい」

――。

「キャスターの”私”か」

 照明の落ちた通路に佇むスカサハの眼前に優美に、しかしそれ以上に毅然と歩み寄るはスカサハ=スカディ。闇の帳が隠すにはあまりにも鮮やかな白装束は、深淵を纏うがごとき魔境の女王とまるで対。

「あれを殺しかけたそうだな」
「む? ああ……弱いからな」

 空気がひりつき、ぱきぱきと音を立てて霜が壁に根を張る。その気になれば文字通りにこの空間を凍てつかせることすら容易い女神は、しかし己を律し不快げに視線を投げるにとどめた。
 皆が朝食を済ませた後、己がマスターである魔術師を連れたスカサハは区画の一室でルーン魔術を行使し、ありとあらゆる情報を外部に伝えることなくその消息を絶った。
 懸命な解析の末に昼食時を前にようやく解錠された”本来倉庫であるべき”そこは果てしのない荒野の像をとっており、殺到した職員と顧問らサーヴァントの眼前でスカサハはあらゆる命を絶つ赤き魔槍の穂先を揺らし、へたり込んだ己のマスターの首筋に当たるか否かの境を撫ぜていた。
 いかなる理由があったのかすら知らせることなくスカサハは去り、彼もまた相棒を含む面々による追及に対しなだめそらすかあやまるばかりで、遂には誰もが諦め折れたままに消灯を迎えた。しかし小耳に挟んだ一人の女神はただ一人、足取りを”自分自身”のいる場へと向けた。

「私は神霊であり、生命とは私自身が生殺与奪を選ぶものだ。”私”とて神霊に片足を踏み入れたそうだが、その理を損ねることはゆるさん」
「赦さなければどうする。私を殺してみるか?」

 布地で隠れた口元同様に内心をうかがわせることのない怜悧な瞳がすぅと細まる。しばしの間。スカサハ=スカディより放たれていた剣呑な気配が不意に途切れた。

「……私の中には”おまえ”もいる。その望みも断片的ながら、わかっているつもりだよ」
「そうか」

「愛すと決めた者は愛し、殺すと決めた者は殺す。生殺与奪とは等価であり、なればこそ”世界の全てを得ること”以上に”己の全てを失うこと”を至上とする者を殺すのはその者への無上の愛に他ならない。私には敵を愛する狂気もなければ、いとし子から全てを取り上げる倒錯もまたない」
「だろうな」

「矛盾とは絶対の矛と絶対の盾を突き合わせる前提の語であり、対立軸とは各々の距離をとることによって二つの軸として個々に成り立ちうる。”私”に対する私の接し方もそうあるべきであり、故に私がしてやることなど何もない。残念だったな」

「つまるところ手に負えないから放っておくというわけだな」
「えっ? いや、そのだな? むむ……コホン!」

 賢人よろしく諭すように振舞っていたところに梯子を外され、大層あわててしどろもどろになった自分に気づいたか、バツが悪そうに咳払いを一つ。

「……私の中に”おまえ”が含まれたようにやや無理やりなモノさえ含めて、今現在人理に訪れている危機に至るまで人の子らは神を見る上で万華鏡が如き解釈を投げかけつづけていた。そしてこうした拡大解釈に対して相応しい”物は言い様”という言葉がある。そういうことだ。わかったな」

「わかるよ」
「わかればよろしい……ふーんだ」

頬をむくれさせそっぽを向いてなお白百合の如き可憐さを放つ、己と限りなく同一でありながらいくらか幼い全くの別人。スカサハはこらえきれないと言わんばかりに微笑みをもらし、口元を覆うその面頬をたおやかに下げた。

「これから私が語るのは、全くの独り言だ」
「……?」
「なにしろここには私と”私”しかいないのだからな。独り言に他ならないとも」

 きょとんとした様子の女神を掌で制し、影の女王は穏やかに語り出す。

「私が今ここにいるのは、影の国が魔術王とやらにきれいさっぱり焼かれて死んだからに他ならない。死人になって初めて私の魂は座に至り、そして彼奴が滅びて間もなき内に起きた諸々が辛うじて私を繋ぎ止めている」

 掲げた掌の感触を確かめるようにぐっと握り、また開く。

「私が何を望んで聖杯戦争に身を投じたかは”私”の知っている通り。だが人理が正しく動き出すということは」

”正しく動く”という語を投げた時、影の女王は己の失言を内心で恥じ、矯められ摘まれた事象を統べていた女神にちらと視線を投げた。女神は小さく首を横に振り、続きを促す。

「……ということは、焼け落ち凍り付いた影の国、そしてそこに眠る私へと還ることに他ならない。次に人理が脅かされるのは、私が楔から解き放たれるひと時はいつになるだろうな」

 未来を摘まれた故に座に取り込まれ、その救済によって本来あるべき時節へと還るはずだった稀人たち。スカサハを含む彼女らが今もなおカルデアの召喚に応じているのは、カルデアの召喚システムの曖昧さ、そして今起きている異常が引き起こすねじれに乗じているに過ぎない。
 やがて死に至るその直前より聖杯戦争に身を投じた英霊がいたという噂もあるが、「影の国のスカサハ」にはそのやがてすら本来起こりえなかったのだ。

「ここの面々はよくやっているよ。全てを失ったと諦めても誰も責めなかったろう逆境に幾度となく叩きつけられて、それでもなお立ち上がり最善を尽くす。だからこそ、私には時間がないのだ」

 人理を救う英霊の役目を果たそうと躍起になるほど、己に残された時間はより狭まり、座に至ったその願いは滑稽なお題目へと零落していく。かなわぬと知って闘うとはなんと無様なことか。

「人理焼却を巡る旅の中で聞いたのだがな、あの小僧は大層な野望を抱えてカルデアに来たわけでもなければ、まして魔術師ですらなかったというではないか」

 カルデアの、そして人類最後のマスター。適正が高かったというだけで半ば拉致じみてスカウトされた、誰にも期待されていない数合わせの末席。

「ロシアで立ちはだかった男は何故と叫んだ。何も背負っていない者が、夢も野心も抱えず転がり込んだ者が何故生き残り、己の願いを挫くのか」

 スカサハ=スカディとそのクリプターに直接の面識はない。己が、そして己を掲げたクリプターが敗れる前にカルデアと相まみえ、同じように潰えた男がいたらしい。断片的な知識。

「野心、夢、大望。魔術王との戦いは生存を賭けた戦いであり、そんなものを掲げる理由も見出す機会もなかったのだろうが、クリプター共相手にそのようなことは言ってられなかった。なにしろ生き残りたいのはお互い様だからな」

 生き残りたいがための戦いを終えた凡人の前に立ちはだかった、生き残り果たしたい願いを抱えた天才たち。願いの有無が正しさを担保するなどという理屈はない。が、しかし

「あれはな……私たちのマスターは、影の国のスカサハを殺したいんだと」

 スカサハ=スカディが目を見張る。

「いつも連れている相棒はどうしたと訊いたがな、あれと添い遂げることは願いに掲げるなんて思いもしなかった、つまり奴にとって当たり前のことなんだと……とんだ惚気話だよ」
 ため息を一つ。女神はその様子に心なしか呆れよりも哀しみを読み取った。

「人界より神秘が途絶え足を踏み入れることすら不可能になった影の国へ、聖杯戦争の中で生じた私や”私”、あと霊基を弄った私……まあ大小雑多な縁をたぐりよせて辿り着き、挑んで殺す」

 実現できるかどうかもあいまいな、大言壮語一歩手前の夢物語。

「ふざけた話だが、それを言うならばここに私が立っていることすら本来あり得ない例外的な出来事だ。もしかしたらがあっても、不思議ではないさ」

 ただ、と付け足し指を一本立てる。

「根本的な問題だが、影の国は凡夫が歩めるようにはできていない。ましてあれが殺すつもりなのは私たちではなく影の国のスカサハだ」

 カルデアに召喚されたスカサハは「影の国のスカサハ」を様々な権能のほとんどを削り落として「槍兵」の位置に定着させた、不完全なまがいものに過ぎない。本来のスカサハがいたならば、諸々の問題すらまとめて消し飛ばされたかもしれない。それほどの存在を殺すと。

「私にすら及ばない男が抱える夢など信じる価値もない。だから今朝は連れ出して、本気を見せてもらった……そういうことだ」
「あれは、お前に届いたのか?」

 スカサハは小さく笑みをこぼした。

「まさか。光の御子すら及ばぬ私に勝てる者などここにはいないよ」

 当然の帰結、予定調和。それでもスカサハの表情は晴れやかであった。

「最後の最後、私に槍を突きつけられるその瞬間までもがき足掻いて食い下がった。今はそれだけで十分だよ」
「そうか……」

 互いの納得が生じ、”独り言”は終わった。面頬をあげなおしたスカサハはスカサハ=スカディの側を歩み去ろうとし、何か思いついたか真横で静止して耳元へと小さく屈み込んだ。

「……”私”も気が向けば、肩の力を抜いてあれに色々託してみるといい。人恋しさを取り繕っても全て終わって還る時に悔やむだけだぞ」

「な、な、な……! 何を、知った風に!」
「おや、白を切るか? これでも人生経験は豊富なつもりだし、友だちが欲しい小娘の浮ついた様子も見慣れておるよ。神霊は年を取らないらしいが、わしはそうでもないからな」

 はっはっはと高笑い。去りゆくスカサハを見やる顔を上気させるはスカサハ=スカディ。

「き、聞かれていた……いつ、どこで!? ず、ずるいぞ!」

――。

 スカサハ=スカディは遍く人々を見守る女神であり、スカサハは勇士を統べる覇者であった。

「お主が私を殺せるのはいつの日だろうな、マスター。呼ばれてやったからには、私の願いもかなえてくれよ?」

 マスター。召喚者。魔術師。凡庸無才の徒であるこの男が己の首を落とす日が訪れるだろうか? 光の御子を筆頭に生涯にわたり関わり続けた勇士たちに魔術でも武勇でも遠く及ばず、しかし時代を過ぎ去り歴史になったそれらと違い彼は生者である。

 己に届くことなどないと断じるには眩すぎるほどに今を生きるちっぽけな命に穂先を突きつけながら、しかしその声色は柔らかく暖かかった。

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