バーン・トゥ・シンダー! 4

「――なんのつもりだよ」

 管制室の扉を開く直前で、巧は不意に振り向いた。

「おやぁ、お久しぶりのご対面なのに随分な物言いですね、たっくん?」

――愉快そうに漏れ出る含み笑いに同調するように、光源と物理法則を無視して己の影が立ち上がる。それは次第に巧の像としての形すら歪め、気づけば彼のものではなくなった影は色素の薄い紫色の髪を伸ばした、無貌の少女の像を取っていた。

――。

――特異点Fを越え、マスターとして正式に任命された乾巧が初めてカルデアで召喚サークルを起動した、あの日。

「おいロマン、何も出てこないぞ」

――眩い輝きが収まったサークルの中には、何もなかった。

「……ロマン?」

――頼りないようで芯の通ったカルデアの暫定所長の名前を繰り返し呼ぶ。驚いたように目を庇った姿勢のまま、微動だにしない。

「ダ・ヴィンチ、マシュ? ……おい、なんだこれ」

――目を見開いたままの自称天才。巧を庇おうと咄嗟に駆け寄った不安定な姿勢で静止する、盾使いの少女。

「――こんにちは、ヒトでなしさん」
「!?」

――声の主を探してあたりを見回す。誰も彼も静止したカルデアで、嘲笑だけがこだまする。

「――ぷ。あ、あははは! い、いや失礼しました。誰かが慌てふためく様子を特等席から眺めるのってどうしてこんなに楽しいんでしょうねえ、解けない謎です」
「どこだ!」
「仕方ないですね、ヒントは”あなたの裏側”ですよ、たっくん」

――反射的に足下から伸びるそれを見て、ありえない異常に気づく。

「……影!?」
「ええ。あんなぼんやりしたヒントですぐここを見る辺り、オルフェノクの”サガ”って感じで実に気持ち悪いです」

――オルフェノク。人より出でてヒトを滅ぼす新たな種……このカルデアでは誰も知らない、巧の正体。

「おまえ、いったい」
「あなたがそれを知る必要はないのですが……まあいいでしょう。私はBB。ムーンキャンサー、月の裏側の支配者、人類の守護者、そして、”邪神を視た者”の一人」
「……」
「なーんにもわからない、って顔してますねえ。だから言ったじゃないですか、知る必要なんてないって」
「……あいつらになにした!」
「どうにも。人類の守護者がヒトに害なすわけがないじゃないですか。ちょっとばかり”召喚直後の0.001秒”をループさせ続けている、それだけですよ」

――改めて周囲を見る。静止しているようで微かな揺らぎが見えるが、それだけ。

「まさかヒト以外が私を召喚する日が来るなんて思いませんでしたが、”視た”方の私と繋がってしまったあなたの運のツキ。こうなったBBちゃんの辞書には、躊躇いや慈悲といった言葉は登録されていませんので、さっそくあなたの影をハックして私専用の霊基ホルダーに改造させていただきました。英霊によっては影でコソコソするのがお好きな方もいるみたいですが、これにてキープアウト、です♡」
「なっ」
「もはや私はあなたの影。あなたと共に歩み、あなたと共に在るもの。さてさて、あなたが動き影も動くのか、影のままにあなたが吊られるのか、見物ですね?」
「言ってろ……令呪をもって」

――令呪、ドクターロマンにレクチャーされた、サーヴァントと彼自身の繋がり。カルデアの電力で賄われるその関係は正式な令呪程の強制力は持ち合わせていないが、サーヴァントに経由されている魔力パスを一時的にカットする程度ならば……。

「言ってろ……令呪をもって」

――令呪、ドクターロマンにレクチャーされた、サーヴァントと彼自身の繋がり。カルデアの電力で賄われるその関係は正式な令呪程の強制力は持ち合わせていないが、サーヴァントに経由されている魔力パスを一時的にカットする程度ならば……。

「言ってろ……令呪をもって」

――令呪、ドクターロマンにレクチャーされた、サーヴァントと彼自身の繋がり。カルデアの電力で賄われるその関係は正式な令呪程の強制力は持ち合わせていないが、サーヴァントに経由されている魔力パスを

「言ってろ……令呪をもって」

――令呪、ドクターロマンにレクチャーされた、サーヴァントと彼自身の繋がり。カルデアの電力で賄われるその関係は正式な令呪程の強制力は持ち合わせていない

「言ってろ……令呪をもって」

――令呪、ドクターロマンにレクチャーされた、サーヴァントと彼自身の繋がり。カルデアの電力で賄われるその関係は正式な令呪程の

「言ってろ……令呪をもって」

――令呪、ドクターロマンにレクチャーされた、サーヴァントと彼自身の繋がり。カル

「言ってろ……令呪をもって」

――令呪、ドクターロマンにレクチャーされた、サーヴァントと彼自身の繋がり。

「言ってろ……令呪をもって」

――令呪、月に巣食う癌に侵食された、BBと彼自身の繋がり。影を通じて虚数空間から引き込まれた彼女の魔力で賄われるその関係は正式な令呪を遥かに上回る強制力を持ち、乾巧はその干渉から逃れる術を持たない。

「令呪をもって命じる、乾巧は私の許可なくして私を認識してはいけない――なあんちゃって♡ 一度言ってみたかったんですよね~これ」

――。

――BB。人類管理AIを自称する謎の女。乾巧がマスターとして正式にカルデアで召喚サークルを起動してからというもの、彼の影を乗っ取って暗躍し続けるハタ迷惑な何者か。

「……やっと思い出した。お前もいたな」
「人理修復おめでとうございます、たっくん♡ ヒトでなしのなけなしのわるあがき、BBちゃん感涙しちゃいました~! はー、うるうる」

 敬意が欠片も見受けられない、慇懃無礼を形にしたかのような態度。

「何しに来たんだよ」
「なにって、もちろん! お祝いに決まってるじゃないですか」

 塗りつぶされたような漆黒の貌がパチリと目を開く。表立って顔を出さない薄気味悪い女がこうして現れたということは、何かしらの企みが始まるか、あるいは既に終わったか。

「嬉しいなあ。ようやく人類の敵、忌まわしきオルフェノクの一人が滅びるんですよ。クラッカーも用意しちゃいました、イェイ♡」

 影を突き破り瞬時にBBの手元に現れたクラッカーが破裂し、灰がサラサラと流れ出る。

「……」
「もう、露骨に嫌そうな顔しないでくださいよ。薄々”お気づき”なんでしょう?」
「……気づいてっからこういう顔してんだよ」

 影法師が三日月のように笑みを浮かべる。

「あの3人……3人と1匹か? あいつらで“終わり”だろ」
「……ええ、たっくんも律義ですよねえ。時間神殿に臨む前夜でわざわざサーヴァントの皆さんへお別れを済ませて、それでも残ってるお馬鹿さんたちの心配までしちゃうなんて。マメな男はモテますよ、このこの~」
「うるせえな」
「そして、底抜けのお馬鹿さんですよねえ。あなたも、あなたの限界を見誤ったカルデアの皆さんも」

 振り返ったままの巧の視界では、彼に向かって優しく手を振っている天才とにこやかに見送るスタッフらが、その様子のまま静止していた。

「60分のインターバルはかわいい後輩ちゃんとあなたの体調をおもんばかってのことだったのでしょうけど」
「……」
「肝心のあなたが30分持つかどうかさえ知らないんだから、哀れな方々ですよ」
「あいつらを馬鹿にするんじゃ……」
「しますよ! おかげで余計な根回しばかりなんですから、もー」

 プンプンという擬音を影から飛ばしながらBBが腕を組む。

「……アサシンから何を訊いたか覚えてますね」
「あの馬鹿は”カルデアのマスター”に負けたって。何も終わってないんだろ」
「それで?」
「それでって……そうだな、そのマスターはマシュに”先輩”って呼ばれてた」
「いやあ~いいですねえ”先輩”。たっくんは人類ですらないので”センパイ”とすら一生呼んであげませんけど」
「……」

 悪趣味なジョーク、思わず閉口する。

「……それで、たっくんはどう思いましたか?」
「……俺はもうダメなんだろ」
「ええ。どうにもなりません♡」
「やっぱな」

 ため息をついた巧は……小さく笑った。諦念とは違う、むしろ希望に満ちた微笑。

「世界は救われたんだろ。これからアイツの言う”先輩”だって、俺じゃなくてもいくらでも見つかる……どうだ」
「え。さあ? どうでしょう」
「あ?」

 肩透かしな返事。巧の笑みが引っ込んでいつもの仏頂面が現れた。

「結構未来からやってきたんだろお前、知らねえのかよ」
「あなたたちとは辿ってきた時間が違うって言ってるじゃないですか。まあ仮説としてはいい線行ってると思いますよ? あ、もしかして”よくできましたね~”なんて頭撫でてほしかったり?」
「お前……」

 伸ばされた手を払いのけて徒労感にガックリとうなだれる巧。

「……でも」

 払われた手がもう一度のび、巧の顎を引き寄せる。

「後輩ちゃんが”先輩”に巡り合えるかどうかも今からのあなた次第だって、思いません?」
「……」
「あ、どうせ彼女の知らないところでひっそり消えちゃおうなんて思ってたでしょう」
「……悪いかよ」
「アーチャーさん、何を悔やんでいましたっけ?」
「……」

 生前己が愛した男の最期を見届けられなかった、名無しのサーヴァント。

「アイツの話とマシュと俺とは、違うだろ」
「……」
「な、なんだよ?」
「たっくん……サイテーです」
「うるせえな……」

 漆黒を割いて開かれた瞳が、ジトっとした視線を投げかける。

「……まあ、私がわざわざ”乾巧の死”を起因にするループなんて面倒な手順を踏んだのも、今になるまでそれを気取らせなかったのも。そろそろおわかりですね」
「……ちゃんと会ってこいってか」
「アヴェンジャーさんと一緒に走って自己満足も済んだでしょう? アーチャーさんの未練も晴らせたでしょう? アサシンのおかげで託す相手を知れたでしょう? さすがに彼女に託そうとした時は正気を疑いましたが……」

 オルフェノクは”そのように”ならなければバイタル面ではヒトとなんら変わりない。多少では済まされない程度に打たれ強くこそなるものの、脈拍血圧などといった日々のチェックを通して、ついにカルデアの誰もが彼の正体を知ることはなかった。
――あるいは、あの天才とふにゃふにゃした頑固者なら何か気づいてはいただろうが。

「あいつが俺を信用してるのは、俺をヒトだと思ってるからだ」
「だから最後まで騙すんですか?」
「……」

「”世界中の洗濯物が真っ白になるように、みんながしあわせになりますように”」

「!」
「あーあ、彼女は結局みんなじゃないんですね」

 訊かれなかったから誰にも言わなかった、巧だけの夢。

「……お前!」
「随分と今更な反応ですねえ。あの時だってあなたに名乗られる前からあだ名まで呼んであげたのに」

 思考か記憶か、両方か。なんにせよ、彼女が影になった時点で既に巧は全てを知られていたとでも言うのだろうか。巧は苛立ちをぶつけようとして……しかし、思いとどまった。

「……ダ・ヴィンチの言ってた”座標”までいかなくちゃいけないんだろ」
「ええ」
「そこへいく時間もねえんだろ」
「ええ」

 時間神殿に挑む直前に倒れ込んだように、肉体の限界を迎えているのは巧だけではない。ダ・ヴィンチの示した60分という数字も致し方ないものだろう。それに仮にインターバルを踏まなかったとして、カルデアの外に出て何かする前に己が朽ち果てない保証があっただろうか。
――だが、

「できるんだな」
「もちろん」

 目の前にいるこの女にかかれば、きっとわけはないのだ。

「これより“乾巧に流れる時間”を60分後までループさせます――さて、というわけでお別れですね」
「そういうもんなのか」
「そうですよ。後輩さんと水入らずなんでしょう? 人理も救われ薄汚いオルフェノクも無事に滅ぶとなれば私のすることも特にありませんので、邪魔者はこれにてお暇をいただきます」
「……」

 胸を張る影とは逆に、巧は目を伏せ押し黙った。

「もう、なんですか! まさか名残惜しいとか言い出したりしませんよね?」
「……」
「……」
「……悪いかよ!」

 開き直った巧と向き合った影は……彼の想像に反して儚く微笑をつくった。

「”私が邪神を演じている”のか、”邪神が私を演じている”のか」
「?」
「どっちだと思いますか?」
「……知るかよ」

 くすくすと笑う影。立ち上がっていた像が徐々に床へ壁へと溶け込んでいく。

「”邪神を視た私なんかいない”し”影に溶けたサーヴァントなんかいない”に決まってるじゃないですか。これはあなたの白昼夢。乾巧が初めて起動したサークルは完全に空回り、ショックで現実逃避したあなたは”このうえなく理不尽なわたし”という妄想に逃げて今に至る、それだけ」
「……」
「だいたい、戦闘にだってろくに顔を出さないであなたをいたぶる時だけ支配者面するようなサーヴァント、おかしいでしょう? もしかしたらBBちゃんというのはあなたの想像上だけの」
「――フランスのファブニール」

 既に髪の色も失っていた無貌の影が、改めて目を見開く。

「ローマのロムルス、オケアノスのヘクトール、ロンドンのメフィストフェレス……まだ言ってやろうか」
「……」

 アメリカ大陸のアルジュナ、聖地のアモン・ラー、ウルクのゴルゴーン。

「いつもいつも横槍入れてくる奴がいたなって思ってた」
「……なんのことやら」
「まあ、いいけどな」
「……言っておきますが、マシュとあなたの別れを済ませるために動いたのは私情ではありません。彼女はこれからも人類のために戦う宿命。こんなところで心折れてもらっては困るのですよ」

 それだけなら――あえて巧は口にしなかったが、影はその思考を感じ取って露骨に視線を泳がせた。

「あなたもヒトでなしにしてはよくよく頑張ってくれましたからね。飼い主が機嫌のいいときにペットに普段より上等な餌をあげるような、そういう……アレです」
「……」
「なんですかなんですか! せっかくミステリアスな別れを演出してあげたのに! 本当に本当に、たっくん、サイテーですよ!?」
「……かもな」

 本当にマシュらを、人理のことのみを考えての行いなら、そもそも巧の待ち人全てに会えるように根回しする必要などきっとなかったのだ。多少強引な手段をとろうが最短最高効率のルートなんて、他にいくらでも……。
 “邪神が少女を演じている”のか、“少女が邪神を演じている”のか。そんなことはきっと誰にもわからない。どちらにせよ、影に溶けて寄り添っていたこの厄介者はなんだかんだで情を捨てきれないところがあり、だからこそ今までだって憎みきれなかったのだ。巧は、ようやく思い出せた。

「……それでは、最後のループです」
「……おう」

 巧の意識が次第に遠ざかっていく。

「――さようなら、愚かで哀れで気取り屋なオオカミさん。せいぜいかわいい後輩ちゃんを受け止めてあげてくださいね。灰になるまで燃え尽きるのは、それからでも遅くないんですから」

 閉じていく瞼越しに微かに映った影は――なんてことない、己の影だった。

――。

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