見出し画像

ポコポコキッチンはキッチンにあらず

1.ババメの住人


秋田市の自宅からBABAME BASE(ババメベース)までは、車で大体40分。正式名称は「五城目町地域活性化支援センター」だけど、みんな「ババメ」と呼んでいる。

私はスケジュール管理があまり得意ではないので、覚えられない以上の予定はなるべく入れないようにしている。ババメまでの道すがらはいつも、「今日はオフィスで何をしようかな」と考えるのが好きだ。

念の為にとスマホで大事な予定が入っていなかったかと確認した刹那、それまで車窓の美しい秋田の景色に感嘆しながら、「今日はあれについて書こう」とか「これは黒板に向かってアイデア出しをしたいな」と考える幸せな時間は消えてしまう。だから、この移動時間はいつも大切にしている。

途中の信号がわずか2つだけの広域農道を走っているときに見える景色
「ぼくのなつやすみ」っていうゲームがあったけど、あの世界観に近いかもしれない。


私は、このババメの101号室をオフィスとして借りていて、週の3〜4日はここで過ごしている。原稿の締切や授業準備が追いつかないときは夜遅くまでいるし、そのまま泊まってもいいように簡易ベッドも置いてある。だから、ここに住んでいるのに近いときもある。

さて、このババメにはもう数名、いつも夜遅くまでいて「本気でここに住んでいるんじゃないか」という人たちがいる。納期3日の案件を瞬速で打ち返すグッドデザイナー、Zoom部屋に籠もってオンライン研修を手掛けるプロのファシリテーター、そしてPoco Poco Kitchenの丸ちゃん。

ババメにいる曜日や時間が異なるので顔を合わせる機会は少ないけれど、みんなまるで住人のようにここにいて、それぞれのことに没頭している。そういう空間が私は好きだ。

2.「ポコポコはポコポコだよ。」


そんな愛すべきババメの住人のひとりである丸ちゃんが手掛けているのがPoco Poco Kitchen(ポコポコキッチン)。「キッチン」と名前に入っているし、実際に食事もできるのだから、確かにキッチンなのだろう。でも実は私は、ポコポコキッチンはキッチンじゃないと思っている。

「じゃあ何なの?」

「ポコポコはポコポコだよ。」

そんな会話を実際にうちの学生たちが来たときにした。

Poco Poco Kitchenの丸ちゃんとうちの学生たち。
「ポコポコ」がスペイン語で「ゆっくりゆっくり」っていう意味だということを
このときひとりの学生に教えてもらったことはみんなには内緒。
「もちろん、はじめから知っていたさ!」(笑)

ポコポコキッチンは、キッチンと名前がついているけれど、単に食事をして腹を満たすだけよりもずっと広い世界観を持っている。

なにせポコポコの丸ちゃんは、「お弁当をつくってもワクワクしなかった」と自分のnoteに書いている。ポコポコキッチンが商業ベースのキッチンだったら、そんな記事が出るわけない。私はこのnote記事が丸ちゃんの書いたなかでいちばん好きだ。

それから、ポコポコキッチンの料理人は冬眠をする。仕入れと売上のサイクルを休まず回していくという飲食業のお店なら、冬眠なんて長い休みは取らないし取れない。そもそもそんな発想できない。そんな消費される立場に初めからポコポコはいない。

そういうわけなので、「ポコポコはポコポコだよ。」になるのである。

3.ポコポコキッチンはキッチンにあらず

ポコポコには、ポコポコファームという畑があって、そこで農作業を手伝うとポコポコという通貨がゲットできる。ゲットしたポコポコで、まかない飯が食べられる。

ポコポコファームでもお話を聞いた。
このとき大学生のオシャレさんたちの白スニーカーが汚れるのを気にしていたのは、
実は丸ちゃんだけだった。どこまでも細部に気が付くから、ポコポコは生まれたんだろう。

ポコポコには食材の持ち込みができる。農家さんからもらったけど余らしてしまっている野菜やお米、ご近所さんからお裾分けでもらった果物とか漬物、友人や職場の同僚からもらったお酒や調味料なんかを持ち込むと、ポコポコという通貨に換えてくれる。これで玄米茶やコーヒーも飲める。

ポコポコは、円通貨から交換ができる。レート変動性ではないから、「空港より町中の両替所のほうがお得だ!」などというバックパッカー的感性を働かせる必要はない。1,000円で1,000ポコポコが入手できるので、円さえあれば食事ができる。

ポコポコ通貨を使って人にお礼もできる。写真を撮ってくれたから、髪を切ってくれたから、ダンスを教えてくれたから、ポコポコでお礼をする。

私の部屋では新調した大型の本棚を2つ組み立てなければならないんだけれど、そのとき手伝ってもらったら、ポコポコでお礼をしようと思っている。

寄付もできる。ポコポコを訪れた子どもたちがジュースを飲んだり、ご飯を食べられるように。そんな使い方もできる。素敵じゃないか!

バファリンの半分がやさしさなら、それをぜんぶやさしさでつくったら、たぶんポコポコになるんじゃないかと思うくらいにやさしい仕組み。

今日の私の手持ちのポコポコ。
春になって丸ちゃんが冬眠から目覚めたら、これでコーヒーを飲むのだ。

少し話はそれるけれど、丸ちゃんは、毎週火曜日に下タ町醸し室HIKOBEというカフェでランチを出している(今は冬眠中なのでお休み)。メニューはいつも1種類のみ。

丸ちゃんはHIKOBEにお客さんが入ってくると、その人の雰囲気や表情を観察するそうだ。そうしてその人に提供する料理の量や味付けを決める。

夏場でやや疲れ気味に見えた人には塩分を少し強めにとか、小さ目のほうが食べやすそうだなと思った人にはポーションを小さくとか、という具合。料理を、食べる人のひとりひとりに合わせてチューニングしているそう。

ある日のHIKOBEランチ。
美味すぎてご飯を2回おかわりする始末。

ポコポコにもこれと同じ発想がはじめから含まれている。ひとりひとりが自分の好きなかたちでポコポコに関われるように作り込まれている。そしてなにより、関わる人はそんなこと考えなくてもいいようにもなっている。

そんな優しさと繊細さが凝固した旨味たっぷりの煮こごりみたいな気遣いが密かに込められていることは、敢えて公の目に触れるnote記事になんて書かなくてもいいのかもしれない。でも、誰か書かないと人の目には触れないのだから、そしてこんな情緒たっぷりな韓国ドラマのような文章では誰も書かないだろうから、私が勝手にここでは書いておくことにしよう。

4.ポコポコとわたし

ここからは私のことになるけれど、つい先週に、サステイナビリティについての本を出版した。ゲラチェックをしているとき、印刷版が仕上がってきたとき、カバーイラストが上がってきたとき、ポコポコでコーヒーを飲んだ。

この時間、落ち着く。作業にむかってアドレナリンが出まくった頭が、ゆっくりとクールダウンしていく。いつもかかっているlofiの音楽と、大型ディスプレイに流れているWorld River Storyの動画がいつも同じところに連れ戻してくれる。そしてまた文字に向かう。

オレンジ色を基調としたカバーイラストは、視覚過敏な傾向のある私には蛍光灯の光のように、ちょっと眩しすぎる印象だった。「明るすぎないかなぁ」と丸ちゃんに相談したら、「いや、店頭に並ぶときはこれで大丈夫でしょ」とアドバイスをくれた。

37にもなると、自分の感性にどんな傾向があるのかはわかってくる。けれど、それをどうチューニングしたらいいのかわからなくなることがある。そんなときは世に出す前に相談してみればいい。私はポコポコをそんなふうに使っている。

ポコポコは、ひとりひとりに対して、それぞれの使われ方がされるような仕組みになっている。端的に言えば、どんな関わり方もできるし、関わり方は何でもいい。この仕組みのなかでの関わり方には、正解などない。

だから、たくさんの「ポコポコとわたし」があっていい。

あなただけのポコポコの使い方があるといい。

これからそういう素敵な関わりの話がたくさんポコポコと出てくるといい。


*今日のサムネ画像はババメの草っぱらで遊ぶ娘。雪が溶け、春になって丸ちゃんの冬眠があけたら、ポコポコにご飯を食べに来よう。さて、彼女はにはどんな「ポコポコとわたし」が待っているかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?