見出し画像

筒美京平さん

昨日は日本中に訃報のニュースが流れました。以前から療養中であまり芳しくないと聞いてどこかで覚悟はしていたものの、京平さんにはたくさんお世話になりショックで非常に寂しく思っています。


レコーディングではスタジオにいらっしゃると緊張するナンバーワンの作曲家でした。色々な思い出があります。

アレンジ打ち合わせも大変綿密でしたし具体的でありました。また、思いと違えばボツにもなります。わたしもその経験がありボツになるのもあったし、逆に私のアレンジで録り直すケースもありました。レコーディングが始まっているのに空気が怪しくさっさとお帰りになった時にはディレクターが私に「まあ、そういうことだけど気を落とさないで」と言ってたような気がしますがこれは心の声として聞いていただけかも知れません。

なんの曲が一番最初だったかは覚えてないのですがアレンジ、そしてスタジオは毎回最高の緊張が走りました。


京平さんと呼んでいた私はある日現場で、自分以外「京平先生」と呼んでいる事にハタと気付きその現場で直ちに「京平先生」と改めたら結構な勢いで叱られました。「その言い方、あなたまで何言ってるの」のような内容で小声ながら口調はキツく私は即刻「先生」とういのを辞めました。その気持ちはとてもよくわかりました。ほんとは嫌だけどもういちいち言ってるとキリがないので仕方なく諦めていらっしゃったのだと思います。

「筒美京平の世界」1997年(第二版)という本にこれまでの作品とともにゆかりの作詞家と編曲家も掲載されていて私もその中に入れて頂いています。

他にもたくさんゆかりの方がいらっしゃるのに14人の中に入れて頂き大変名誉な事だと思っています。

私の大切な記念です。


画像1


プライベートな親交はありませんでしたが、ホテルニューオータニのトレーダーヴィックスでは度々遭遇し、今はなくなった東京プリンスホテルの地下のピサでもそうでした。

趣味が合うじゃない?と言われ嬉しかったです。

ご冥福をお祈りするとともに心より感謝を申し上げます。こんな投稿も、余計な事しないの、と言われそうだけどですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?