GO!GO!式部 【第1話 前世の記憶とSNS】



 私は、式部ゆかり(しきべゆかり)。中学2年生。紫式部の生まれ変わりだ。おぎゃあと生まれたその時から、私には前世の記憶が残っていた。

 現世での私は、14歳の引きこもりだ。中学に入学して、一年生まではどうにか登校したが、中学二年からは学校に一度も行っていない。同級生とは、全然話が合わないから学校に行くのが苦痛になった。

 小学校までは、前世の記憶が邪魔をしても、なんとか子供らしく振る舞おうと努力していた。女子と、おままごともやったし、男子とサッカーもした。
 平安時代にも、雛遊びや蹴鞠などの遊びがあったから、友達に合わせることができたし、仲間はずれになることはなかった。特に学校の授業では国語は得意で、小学生ながらに古典の暗唱が得意で先生にほめられた。物語を書くのが好きだったから、友達にそれを読んでもらったりして、仲の良い友達もいた。

 ただ、感情的になると前世の記憶のせいで、ポロっと口から古語が出てくるので気をつけていた。

 小学校に入学して、教室の整然と並べられた机を見て、「まるで平安京のようじゃ。」とつぶやいたのを、隣の席の男の子がキョトンとした顔で見ていたし、小学5年生で百人一首を国語の授業でやった時は、先生が読み上げた和歌を聞いて前世を思い出してしみじみ泣いていた。

 小6になってからは、初めて好きな男の子ができたので、告白のつもりで恋の和歌を作ってその子の前で読み上げたら、呪いの言葉だと思われて泣かれた。

 親友の奈子ちゃんがいじめられていた時には、「21世紀にいじめとは愚かな!平安の都でもあるまいし!お前達は鬼か!もののけか!」と、いじめっ子達を叱った。

 「ゆかりちゃんは、大人みたいだね。昔の人みたいな話し方の時もあるけど面白い!」と、奈子ちゃんは言ってくれた。

 問題は、中学に上がってからだった。親友の奈子ちゃんは、中学生になったお祝いにケータイを買ってもらった。クラスの9割はスマホを持っている。残りの1割も親の携帯を共有していたり、タブレット端末を持っていて、SNSをみんなやっていた。

 私は、特別欲しいとは思わなかったから、ケータイを親にねだらなかったが、だんだん奈子ちゃんと話が合わなくなってきた。

「ゆかりちゃん、面白いユーチューバーがいるよ!」「新しいSNSはじめたんだ!ゆかりちゃんもやってみたら!」と言って、奈子ちゃんは色々話題をふってくれた。何のことか分からなくて、はじめは断っていた。
 
 平安時代にそんなものは無かったし、そもそも知らない人と繋がるという感覚が分からない。

 ある日、奈子ちゃんはこう言った。 
「ブログとか、チュイッターって言うSNSなんかはゆかりちゃんに合ってると思うよ。文章書くの上手だから!」

 そんなものがあるのか、と思い奈子ちゃんのスマホを見せてもらった。

「わ!いとをかし!日記みたいなものがブログなんだね。チュイッターは短い文章をつぶやけるんだ。清少納言が得意そうなものだね!」

 「そうそう!なんか例えが独特だけど!ゆかりちゃんもやってみなよ!」

さっそく、家に帰って母にケータイをねだった。

 「お母さん、ケータイ買って!中学生になったし、いいでしょ?お願い!」

 「そうね、よその子もみんな結構持ってるし。はじめての定期テスト頑張ったらご褒美で買おうか!」

 「うん!」

 6月にはじめての定期テストがあった。国語で95点、数学で89点、英語は82点とまあまあ良い点数が取れた。約束通り母はケータイショップに連れて行ってくれて、スマホを契約した。

 「これで、奈子ちゃんとも毎日連絡が取れるし!SNSもはじめられる!」

 中学1年のこの日から、私はスマホを使いはじめた。問題が起こったのは、夏休みだった。

 私は、スマホを持ちはじめてからすぐに、クラスのグループチャットに招待された。夏休みに、クラス会をしようと言う流れになり、カラオケに行こうという話題が上がった。

 「8月の2週目の土曜日、14時からカラオケ行ける人!」
 「はーい」
 「はーい」
 「私、塾あるから今度誘ってね!」
 「私は行けるー」
 「俺も行く」
 「俺はサッカーあるから次にまた」

こんな流れのチャットだった。1人だけ、返事が遅かった。優希くんだ。優希くんは、普段から返事が遅いし、実際に喋るのもテンポが遅いから、せっかちな男子とは馬が合わないようで、クラスに友達は少なかった。

 一番最後に、「行けない。」とだけメッセージが来た。

そこから、グループチャットの流れが変わった。

「何で行けないんだよ」
「お前、前も来なかったよな」
「理由くらい教えてよ」
「暗いやつ」
「隠キャは無視しよ」

優希くんへの悪口が並んだ。優希くんからそれ以降の返事は無かった。1人がこう言った。

「こいつ、グループチャットにいても意味ないから退会させよ!」
「そうだ、そうだ」
「仕方ないんじゃない」
「返事もしないしさ」

 ついに、優希くんは強制退会させられて、チャットのグループからいなくなった。

 ひどい。と思った。思わず、メッセージを送った。

「これはいじめでは?こころ苦し!まことに、こころ苦し!」

 しまった!しかも、感情的になったので古語が混じってしまった。チャットの流れがまた変わった。

「何だよお前」
「式部もうざいな」
「てか、いつも喋り方変だよな」
「オタク?いつの時代の言葉?」
「正義のヒーロー気取りか」
「お前も退会しろよ」
「ゆかり、先生にチクるなよ」

 私への攻撃がどんどん送られてきた。気づいたら、あっという間に私も強制退会させられていた。

 奈子ちゃん、助けて!そう思って個人メッセージを奈子ちゃんに送った。

「奈子ちゃん、グループチャット見てたよね?どうしよう。みんなに嫌われたかも。」

 奈子ちゃんに送ったメッセージは、一向に既読にならなかった。忙しいのかな?一日、二日、一週間待っても奈子ちゃんからは返事は来なかった。

 夏休みが明け、二学期が始まってからは地獄だった。奈子ちゃんは、前とは別人のように私を無視した。クラス全員から無視されるのに時間はかからなかった。先生に相談してもしょうがないような気がして、大人にはこのことは話さなかった。

「令和はこんなにも生きづらい・・・平安に、平安の世に戻りたい・・・電気も、ケータイもなく文(ふみ)に和歌をしたためた時代の方が良い・・・」
 
 そう思って毎日泣いていた。

 三学期はもっと地獄だった。歴史オタクの山本くんになら、わかってもらえるかもしれないと思った私は、理科の実験のペアを山本くんにお願いした。

「山本くん、実験一緒にやろう」
「あぁ、俺もペアいないしいいよ」

山本くんは、時折ずれたメガネを直しながら、黙々と実験を手際よくやっていった。

「山本くんさ、歴史に詳しいよね。」

「あぁ、何だよ急に。まぁ、詳しいよ。でも江戸時代から明治時代にかけての幕末とか侍について詳しいタイプのオタクだよ。」

「そうなんだ。その少し前の、平安時代について知ってることは?何かある?」

「えーっと、奈良時代の次が平安時代で、藤原道長が権力を持っていた時代。和歌や文学が盛んで、紫式部とか清少納言とかが今でも有名だけど何?式部さんも歴史オタクなの?マウンティング?」

「ちがう、ちがう。歴史の知識マウンティングではなくて!おどろかないで聞いて欲しいんだけど!」

「何?怖い。」

「私なの。紫式部。私の前世!前世は紫式部なの!わたし!」

「・・・・・・。」

「嘘じゃないの!生まれた頃から紫式部だった頃の記憶があって!今でも気を抜くと古語が出てくるの。グループチャットの件、山本くんも知ってるよね?」

「・・・式部さん、いくら苗字が式部だからって・・・・・・やばいね。」

「え?嘘じゃないんだって!」

 この理科の授業以降、山本くんも私と口を聞いてくれなくなった。口を聞いてくれないどころか、オタクグループの中でも、「式部ゆかりは、ずば抜けた厨二病」と言う噂が広まってしまった。もう、学校に私の居場所は無かった。


 中学2年になってからは、一度も学校へ行かなかった。

 母は心配して、担任の先生に相談したり学校カウンセラーにカウンセリングを予約したりと、あの手この手で、私を学校へ行かせようとした。

 でも、私は絶対に行かないと決めていた。カウンセラーにだって私の気持ちは分からない。平安時代の紫式部の記憶を持ったまま、令和に生きるつらさなんて、誰にも理解してもらえっこないんだ!

 毎日毎日、布団をかぶって泣いて、寝て、起きて、泣いての繰り返しだった。特にやりたいことも無いから、スマホで動画を見たり、SNSをただながめていたら1日が終わった。

 そんな日々を過ごしていたら、なんとなく新しいSNSをダウンロードする気になった。それは、チックトックというアプリだった。

 中一の初めに、奈子ちゃんがチラっと話題にしていたアプリだ。短い動画をアップしたり見たりできるSNSで、ここから有名になった一般人がいたり、また、逆にアイドルや芸能人も動画をアップしたりする。

 中学生は、私がやっているチュイッターとかブログよりもチックトックのほうが利用者が多いって奈子ちゃんは言ってたな。

 そんなことを思い出しながら、チックトックを使ってみた。暇つぶしにはとてもいいアプリで、短い動画がいくつも流れてきて見れるから楽しかった。
 
 平安時代にチックトックがあれば、だれも働かなかっただろう。国がすぐに滅びそうなアプリだ。

 チックトックばかり見る生活が始まった。わたしは、完全にチックトック廃人になり、一切外出しなかった。ごはんの時も、トイレにもスマホを持ち込んでチックトックを見た。

 こうして、立派な引きこもりとして過ごしていたある日、チックトックで流行っているダンスチャレンジを見ていた。たまたまそこに流れてきた動画の男の子に私は目が釘付けになった。


 「彼は!!!誰ぞ!!!!?????」
 思わず古語で叫んだ。


 それは、K POPグループ「O N!Y(オンリー)」で活躍する日本人メンバー「Ken−G(ケンジ)」だった。

 ものすごくかっこいい。ダンスがすごく上手いし、背が高い。スタイルがいいのはもちろん、一重の切長の目がとっても綺麗で、メイクが映えていた。

 平安時代なら、「目元涼やかなる男子」と、もてはやされただろう。


 チックトックで流れてくる動画は面白かったが、繰り返し見たいと思うものはこれまでなかった。でも、この人の踊る動画はもっと見たいと思った。


 気づいたら、私は夜中までKen−G(ケンジ)のことを調べていた。

 Ken−G(ケンジ)は、中学2年生という若さでデビューした天才アイドル。日本語、韓国語、英語の三カ国語をあやつり、ラップとダンスが得意。この歳で、ラップの歌詞は全てKen−Gが作っているらしい。


 Ken−Gが所属するグループのO N!Y(オンリー)は、この4月にデビュー公演をしたばかりだ。 

 6人組のアイドルで、Ken−G以外はみんな高校2年生だ。全員特技があって、個性的で面白い。本当は5人でデビューする予定が、Ken−Gのあまりの才能にプロデューサーが急遽6人グループとしてデビューさせたそうだ。


 他の5人の動画も見たが、やっぱり私の心をつかんだのはKen−Gだった。


 Ken−Gの力強いラップと、しなやかなダンス。初めて見るのに、なぜかなつかしい。どうしてだろう?特にラップの歌詞がグッとくる。韓国語と日本語の歌詞の両方のバージョンを聞いてみたが、どちらもしっかり韻を踏んでいるしパンチラインが効いている。かっこいい!かっこよすぎる!

 「本当に1人で作詞をしているの?天才なの?」
 思わずスマホに話しかけた。


 Ken−Gを見ると、ゆかりはなぜか前世の平安の都での記憶がフラッシュバックした。理由は分からないが、平安の雅楽や漢詩を操る貴族達のみやびな姿がKen−Gと重なって見えた。


 Ken−Gのことをネットで調べていたら、朝になっていた。


 一夜で、色々調べたのでKen−Gのこと以外にも、 KPOPオタクのことが色々とわかった。 KPOPオタクは、主にチュイッターやチックトック、インチュタなどのSNSで情報を集めているらしい。

 ゆかりもさっそく、Ken−Gの情報収集用のアカウントを新しく作って、これまでに夜な夜な気持ち悪い和歌を綴ったアカウントは消した。

 アカウント名は何にしようか悩んだが、思いつかないので、本名丸出しの「ゆかりごはん」と言う名前にした。

 O N!YのファンネームはLove!y(らぶりー)と言うことも知ったし、そして、ファンのことは、韓国語では「ペン」と言うそうなので、SNSのアカウントのプロフィールには、全て「新規のLove!yです。Ken−Gペンです!」と書いた。

 すると、プロフィールを見たLove!y達が、沢山フォローしてくれた。

 これが、令和のアイドルを「推す」と言う感覚か!なんだか、視界が開けた気がした。

 平安時代には無かった概念。「アイドル」、そして「推し」。キラキラした希望のかたまりのようだ。

 小学生の頃から、アイドルを推しているクラスメイトはいたが、内心バカにして下に見ていた気持ちがあった。 

 だが、いざ自分がその世界に足を踏み入れると、こんなに楽しい世界があったんだ!それを知ろうともしなかった自分が少し恥ずかしくなった。

 スマホの通知音が鳴った。

 チュイッターの通知だった。新しいフォワーがメッセージをくれたみたいだ。

 「ゆかりごはんさん、はじめまして!葵って言います!私もLove!yです。メインボーカルのミンホのペンです。よかったら仲良くして下さい。8月の日本デビューライブ楽しみですね!」

 と、メッセージがあった。慌てて返信した。

「はじめまして!葵ちゃんて呼びますね!8月に日本でライブあるんですか?!私、最近Love!yになったので知らなくて!教えてくれてありがとうございます!」

 O N!Yのライブが日本であるんだ! Ken−Gを生で見れるチャンスだ!

 KPOPアイドルは、韓国だけで売るグループはまれで、ほとんどのグループが日本やその他のアジア、最近ではアメリカやヨーロッパ、オーストラリアで公演をするグループもある。

 O N!Yは、異例の速さで日本でもデビュー公演をするようだ。行かなきゃ!Ken−Gのダンスとラップを生で見たい!

 貯金箱を叩き割った。

 小学生の頃から貯めていたお年玉を数えて、ファンクラブにすぐに入会した。そして、8月の日本デビュー公演のチケットを買った。中学2年の私には大金だった。 

 でも、絶対に生でKen−Gを見たい!ライブの日の8月17日に、カレンダーにハートマークを描いた。

 そこではっとした。今日は6月25日。考えてみれば、私は3か月どこにも外出してなかった。外に出るのが怖い。


 また、チュイッターの通知音が鳴った。葵ちゃんからだった。

 「来週、Love!y達で集まってオフ会するんだけど、ゆかりごはんちゃんもおいでよ!」

 どうしよう。外出するのが怖いけど、行ってみたい。そう思うと、勝手に指が返信を打っていた。

 「行きたいです!オフ会参加します!」

 翌週、私はオフ会に参加した。3か月ぶりの外出だった。
 
 オフ会の場所は、インチュタで有名なオタ活カフェだった。 KPOPアイドルの誕生日にはカップホルダーを配ったり、ケーキに推しの名前をデコレーションしてくれるサービスがある。

 すごくドキドキしながら、カフェに入った。参加者は、私を入れて8名だった。そんなに大人数じゃなくてほっとした。

 テーブルに座ると、みんなそれぞれ自己紹介した。まずは、葵ちゃんからだった。

 「今日のオフ会を主催した葵です。ミンホのペンで、大学二年生です。最近ダンス動画を見ながら真似して踊ってまーす!」

 チュイッターでの印象どおりの明るい人だった。順番に自己紹介して、私の番になった。

 「お、お、お、お、O N!Yを最近知って、Ken−Gのペンになりました!ゆかりごはんです!中2でございます!」

 考えてみれば、家族以外と喋るのも3か月ぶりだった。すごく緊張した自己紹介だったが、みんな優しかった。

 今日のオフ会は年齢層が広く、みんな葵ちゃんのフォロワーだ。子供もいる主婦の人や、葵ちゃんみたいな大学生、社会人のOLさんなど様々だった。中学生は私1人だった。

 けれど、みんなO N!Yのファンという共通点があるから、すぐに話が弾んだ。

 Ken−Gのダンスが、他のアイドルと違うのは、幼少期にクラシックバレエをやってたから、とか、多言語が堪能なのは、親の仕事で海外の転勤が多かったかららしいとか、公式プロフィールには書かれていない情報をみんなよく知っていた。

 私は、そんなレアな情報は何も持ってないけど、Ken−Gのラップやダンスの素晴らしさ、なぜか応援したくなるKen−Gの魅力をみんなと話せるだけで幸せだった。

 葵ちゃんも、うんうん、そうだねとニコニコしながら話を聞いていた。葵ちゃんの表情を見ると、なんだか安心した。言うか迷ったが、思い切って自分の思いを話してみた。

 「あの、変だと思われるかもしれないんですけど・・・。私、Ken−Gのラップの歌詞を聞いたり、ダンスを見たりすると、とってもなつかしい感じがするんです。安心するっていうか。上手く説明できないけど。」

 少し沈黙が生まれた。まずかったかな?変な人だと思われたかな?そう思った矢先に、葵ちゃんが言った。

 「え!わたしも!同じ事思ってた!特にKen−Gの作るラップの歌詞って不思議な安心感があるよね。 最新の KPOPなのに不思議だよね!なんていうか!・・・エモいってやつ!」

「エモい!!それだ!」

 思わず私は叫んだ。葵ちゃんと私の会話を聞いていたみんなも、「そうだね!エモい!」と笑いながら賛同してくれた。

 カフェであっという間に2時間半、時間がすぎていた。

 「8月のライブでまた会おうね!」

 そう言ってみんなと別れた。
 年齢層もバラバラなのに、こんなに楽しいなんて思ってもみなかった。
 
 これが、推し活か。学校で感じていた孤独感が、ここでは嘘みたいに消えて無くなっていた。

 帰宅して、自分の部屋に入ってから、うれしくて泣いた。自分の発言や感性が、普通と違うことがずっとコンプレックスだったが、今日は違った。好きなものを好きと言っていいし、それをどう表現してもいいんだと思えた。

 そんな自分を面白がってくれたり、共感してくれる仲間ができた。

 あっという間に8月になった。いよいよライブの日だ。

 ペンライトを持って、かばんにうちわを入れてアリーナ会場へ向かった。席はスタンドの最前列だった。
 
 参戦服は何にしようか悩んだ。本当は正装である十二単衣を着たいが、令和でそれは実現できないので、母に浴衣を着せてもらった。8月で夏らしいし、うちわを背中の帯にさしたりしても可愛かった。

 開演時間になり、会場は暗転した。そこから、O N!Yのデビュー曲、「Only You」が流れた。


 Ken−Gのラップから始まるこの曲は、日本語版もオリコン一位を獲得した。メンバーがステージに現れて、会場は大歓声だった。


 ライブは、圧巻のステージだった。Ken−Gのラップは生で聞くと、優しい歌声の中に芯がある力強さを感じた。ダンスは、オフ会で聞いた情報通り、クラシックバレエのダンサーのようにしなやかで、とても中学二年生には見えない大人っぽさがあった。

 平安時代なら、偉い人に召し抱えられて、貴族の前で舞っていただろう。 


 曲の間に、MCがあった。韓国人メンバーには通訳さんがついて、コメントを翻訳してくれたが、Ken−Gは、韓国語と日本語を両方1人で話していたからより、かっこよく見えた。

 以外だったのは、MCをしているときのKen−Gは中学生らしく照れたり恥ずかしそうに笑ったりしたことだ。普段見ているミュージックビデオでの表情とは全く違っていてかわいらしかった。

 「Ken−G!Ken−G!Ken−G!」

 スタンドからの声はステージまで届かないだろうが、大きな声で私は叫んでいた。

 アンコールになったとき、一旦メンバーが舞台裏にはけて、次はトロッコに乗ってアリーナに出てきた。

 「何これ!トロッコに乗ってくるなんて聞いてない!!」私は叫んだ。

 私はスタンド席の最前列だから、その前をトロッコが走るはずだ。緊張で足が震えた。予想通り、トロッコは私の目の前で停まった。くるりとKen−Gが振り返った。

 「Ken−G!!」

 うちわを振りながら、私は叫んだ。すると、Ken−Gはニコっと笑って指で小さなハートを作ってくれた。確定ファンサだ。

 その後の記憶はまるで無い。気づいたら家に着いていて、幸せすぎてずっとニヤニヤしていた。どうやってご飯を食べたか、どうやって風呂に入ったかも分からない。

 寝ようと思っても、Ken−Gの笑顔と指ハートが鮮明に思い出されて寝れなかった。


 「推し」が目の前で笑った。もっと沢山、笑顔の推しを見たい。

 今日の楽しさをもっと沢山の人と共有したい。カフェに行ったり、ライブに行ったり色んなところに出かけて、もっと推し活を楽しみたい。韓国でのライブも見たい。

 そう思うのと同時に、自分は今のままの引きこもりでいいのかなと思った。

 ふと前世の記憶を思い出した。前世で紫式部として、宮中で宮仕えをしていた頃も、実は私は引きこもりになったことがある。

 当時の私は、文学の才能を見込まれて、宮中では家庭教師のようなポジションで、中宮彰子に仕えていた。

 初めは和歌や漢文の知識を彰子様に教えていく仕事をがんばろうと意気込んでいたが、宮中の華やかな雰囲気や、他の女房達の陰口やマウンティングに耐えられなかった。
 
「漢文の知識をひけらかしている」「賢いからってツンツンしちゃって」と、心当たりが無い悪口をされた。

 すぐに私は出勤拒否をして2か月間引きこもりになった。パリピとマウンティングだけは前世から無理だった。


 あの時は、どうやって社会復帰したっけ??あぁ、そうだ。あの頃は、自分の性格をちょっと見直して、何でもかんでも正論で戦うのを辞めたんだったな。

 正論だけじゃ、あのドロドロした女達の社会では生きていけない。脳ある鷹は爪隠すの戦法で、「おいらかな人(古語でおっとりした人という意味)」を演じて社会復帰したんだった。

 暗くてまじめで完璧主義な性格を隠して、「おいらかな人」を演じて働いていたら、周りが勝手に「紫式部さんは優雅で優しい」「おっとりしていて品がある」「話しやすい良い方だ」と言ってくれたっけ。

 現世の令和に生まれ変わったのに、私は同じことを繰り返していたのかもしれない。

 前世の記憶が残っている自分は、特別な存在で、周りに合わせているのは自分のほうだと、周囲の友達を下に見ていた。そりゃあ友達もひいていくはずだよな。

 「おいらかな人」に、もう一度なろう。周りの人の話を聞いて、人と交流するのを楽しんでみたい。そう思った。

 「よし、もう一度学校へ行ってみよう」
私はそう決心した。



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