この時、、とする。

僕は勉強を怠ってきた人間です。いわゆる5教科。国数英理社。授業を聞いてれば平均点は取れる学校に身を置いて。満点は、とらなくてもいいやと。努力をしない選択をしていました。学力テストを経て、大学受験という挑戦をしなかった人生は今後の僕にどう関わってくるのか、まだ分かりません。
好きか嫌いかで言ったら、学校での勉強は嫌いでした。集団授業だから、好きなことやってるやつもいるし。自分の得意な分野は暇になる。逆に自分の苦手な分野は、みんなが得意だったりして、そのまま授業は進む。そこでの質問の時間が授業時間に含まれておらず、自宅で復習しておくようにとか、後で個別で質問を受け付けます、とか言う割には、授業準備があるから手短にと言われてしまう。
予備校や、家庭教師、映像授業を前提としてるのが、普通になりつつある世の中。そんなまわりくどくて、大変なことに努力できる人達は凄い。僕は、その置かれた環境でどうにかするということが耐えられなかった。システムがおかしい。それを黙って遂行するのは変だろと、違和感を抱え、思いどおりになってたまるかと。ただ逃げました。

僕の学校教育に対する考えは、どうでも良くて。

本題はここからです。
僕は理系科目よりも、文系科目の方が好きでした。理由は簡単で、得意だったからです。
でもただ黙々と暗記するのは嫌いだったので、漢字は苦手でした。数学の定理やらを覚えるのも苦手でした。
理数系の中でも、物理の問題で、
「この時、空気抵抗は考えないものとする」
みたいなやつありますよね。
あの文言がすごく好きです。
え、再三求めたがってた答えにたどり着くために、そんな大事そうなことを、無視しちゃっていいんだ、、って思います。
だから生きてく上で、
この「考えないものとする」的なことは
時として、大事なんじゃないかなと。

例えば、仕事でミスをしてしまった時。
上司に怒られるんだろうなぁ、出社したくないな。でも生活もあるし。どうしよう。嫌だな。
自分はなんて頭が悪いんだろう。
そんな時。
「上司の気持ちは、当人以外誰も分からないものとする。」とか
「この時、私にかかる自責の念は、考えないものとする。」とか
上手に、条件を整えてあげる。

大好きだった人が急に離れていってしまっても。
「この時、あの子は月に帰ったと考える」とか。

多少飛躍してもいいんです。
だって学校のテストでも、
面倒なことは度外視してるじゃないか。

多少誤魔化してもいいんです。
じゃないと、自分が壊れます。

「あの時、僕は最善の選択をしたと考える。」

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