ボードゲームにおける共通言語と新規性

共通言語に沿えば理解に、外せば新規性に繋がる

共通言語とは

「あるコミュニティにおいて、同じ認識・理解で用いることのできる言葉のこと」
とあります。
重要なのはその言語に関して説明不要であるという点です。
例えば普段使う“ボードゲーム“という単語。ボードゲーム=人生ゲームというイメージの方にその単語を使用する場合、おそらく追加の説明が必要になります。
ボードゲームという単語自体、我々が属するコミニュティの共通言語の一つであるわけです。


共通言語の利点

異世界なろう小説というジャンルがあります。
舞台となるのは多くの場合「中世ヨーロッパ風」です。ドラクエ風ファンタジーと呼ばれることもあるかと思います。
これらは現実世界での中世ヨーロッパとは大きく異なります。ですが、そのコミュニティの中では「中世ヨーロッパ風」という舞台イメージが共有されているため、長々と世界観に関する説明をすることなく物語を始めることが出来るという利点があります。こういった共通言語を用いることで、省略出来る部分が多く存在するわけです。
いわゆる「お約束」とも呼ばれるあれです。


ボードゲームにおける共通言語

ボードゲームにおける共通言語は以下の2つに分けられると考えています。

①システムに関するもの
②フレーバーに関するもの

①のシステムとは、ワーカープレイスメントやエリアマジョリティ、セットコレクション等。これらの良くあるシステムのことです。
こういった共通言語を用いることで、プレイヤーの負荷を減らすことができます。

例えばインストにおいて(このインストも共通言語ですね)
「このゲームはワーカープレイスメントで〜」
「さらに主な得点手段はセットコレクションで〜」
と話すことによりイメージの共有が出来、スムーズなインストを行うことが可能となります。

さらにゲーム中の情報処理においても、ワーカープレイスメントというゲームを遊んだことのあるプレイヤーは、同じシステムを理解しやすく処理負荷を減らすことができます。
処理負荷を減らすことが出来るとプレイヤーの脳に余裕が生まれます。余裕が生まれれば、さらに複雑なシステムも処理することが出来るようになります。
つまりテラミスティカを遊んでいればガイアプロジェクトが、アグリコラを遊んでいればカヴェルナが理解しやすくなるという話です。

②のフレーバーに関しては、農業や開拓、経済や株等。これら世界観と舞台を指すものです。
株と鉄道のゲームと聞けば「あーあんな感じかな」とか。農業と出荷のゲームと聞けば「なるほどね」となる方もいらっしゃるかと思います。
しかしながらこれらはボードゲーマー特有の共通言語ではなく、それ以前として現実世界にモデルが存在するものです。

株は売ったり買ったりする。値段も上下する。保有してたら配当が貰える。
農業では畑や田んぼで作物を育てる。育てた作物を出荷すればお金が稼げる。

②に関しては、その共通言語を理解するコミュニティは一般社会となります。そのため「常識」と言い換えてもいいかもしれません。


その共通言語は誰が使えるのか

システムに関してもフレーバーに関しても、共通言語は「特定のコミュニティ」にだけ通じるものであることを忘れてはなりません。
つまり相手がどんな知識を持っているかによってその単語が通じない事も多々あるわけです。
この相手とは、インストを行う対象や自作ゲームのターゲット層となります。
共通言語は説明を省ける大きな利点を持ちますが、決して万能では無いのです。


新しさとは

私は同人でボードゲームを作っております。
普段から「新しい」と自分が感じるものを追い求め、今までに無いシステムやメカニクスのゲームを生み出したいと四苦八苦しております。
ですが、新しいとはなんでしょう?
この「新しい」と「新しく感じる」は似ていて大きく非なるものだと考えています。

新しいとは「今までに無い」です。
新しさを感じるとは「今までに無かったと感じる」です。

前者は客観的事実であり、後者は主観、その主体は私やあなたです。


共通言語から外す

ここに2つの宣伝文句があります。
「食糧を支払わないといけないワーカープレイスメントゲーム!」
「ワーカーを置いてはいけないワーカープレイスメントゲーム!」
さて、どちらに新しさを感じるでしょうか。

ワーカープレイスメントという共通言語を理解していると、前者は普通のゲームで、後者はそこから外れていると感じるかと思います。
つまり共通言語から外れていると「今までに無かった」を感じさせることが出来るわけです。

他にも共通言語を外した例を挙げてみます。
・都市を取り壊すのが目的のカタン
・協力するアグリコラ
・ブラフアブストラクト
・正体隠匿ソロゲー
・揃えちゃいけないセットコレクション

これらは共通言語を理解するコミュニティ内で新しさを感じるかどうか(主観)が焦点であり、既存の作品と比べて新しいかどうか(客観的事実)は問題となりません。

逆に言えば、共通言語が通じなければ新旧の区別はつかなくなります。
【初めてやる人にとっては全部が新しい】
いたって当然です。

そのためゲーム製作においては「コミュニティ=ターゲット層」の把握と、そこで用いられている共通言語への理解が必要となると考えています。
簡単に言えばゲーマー向けか、初心者向けかです。
相手がボードゲーム初心者なのに「これはワーカーを置かないワーカープレイスメントなんだよ!」と共通言語から外れてることを売りにしても伝わりません。
ターゲット層によっては「新しさ」は特段利点として働かない可能性もあるわけです。


常識から外す

フレーバーに関する共通言語はボードゲーマー特有のものではなく一般常識の性質に近い。と先述いたしました。

例えば我々が慣れ親しんだミープル。ミープルは基本的に人間を表します。
ですが、これはゲーマーとしての前提知識は一切必要無く「人型のコマだから人間を表している」というものでしかありません。
多くの場合ボードゲームのコマはそのシステムに合った、現実を模した形が選択されます。

農村で働く労働者を表すから人型のミープルにしよう。
周囲の土地から資源を回収するから置かれるコマは都市の形にしよう。
攻撃力と移動力が大きくなるから歩兵コマから戦車コマにグレードアップさせよう。

これらはどのプレイヤーもそのイメージを共有しやすい常識であると考えています。
さらにこのイメージは、そこに付与されるシステム理解をスムーズにしてくれます。

農村で働く人(ミープル)なんだから、維持コストとして食糧が必要である(食糧制の導入)

といった感じです。
フレーバーにおける共通言語も、複雑なシステム理解の助けとなってくれるわけです。
では今度はこのイメージをあえて外してみたらどうでしょうか。

・縦横無尽に動き回る城
・土地に配置される紙幣
・動かせない戦車

ファンタジー作品では特に珍しくなく見られる設定のため、このテーマ自体に目新しさはやや薄いかもしれません
ですがこのテーマにシステムを付与してみます。

例えばピックアンドデリバリーのコマがキャラバンだとすると、おそらくピックしてデリバリーすることの出来る対象は、様々な資源や人間かと思います。
ですがこのコマが城だったらどうでしょう。
縦横無尽に土地を動き回る城は、配置された建物や都市をも回収して運ぶことが出来そうです。
「マップに配置された建物を回収し、城内(個人ボード)で改修、その後マップに再配置」
このようなシステムのゲームが作れるかもしれません。

常識を外すこと自体が新しさに繋がることもあるでしょうし、そこから生まれるシステムに新しさを付与出来ることもあるでしょう。


新しく無いとは

では「新しく無いもの」とはなんでしょう。
自分が新しいと感じていても、それは既存作品を知らないだけで車輪の再発明かもしれません。
「面白いゲームを思いついたと思ったら、クニツィア先生がすでに作っていた」
はあるあるネタであります。

また全部新しいのか、一部が新しいのかで話は変わってきます。
一部が新しくない、例えばワーカープレイスメントという既存のメカニクスを使った作品はそれ以外の部分で新しさを追い求めることはあるでしょう。私もワーカープレイスメントゲームを作って頒布したことがございます。
ただし「ワーカープレイスメントという新システムを自分が開発した」とは口が裂けても言いません。
新しさを偽ったりはしません。
それ以外の部分で自分なりに新しさを求めて(例えその新しさが他の人に伝わらないとしても)製作しています。

逆に自分が新しさを感じない、つまり既存の作品のコピーだったとしても、それを知らない人にとっては新しいかどうかの判断がつかないわけです。
無名kick作品の丸パクリとか。古い名作の丸パクリとか。
新しいかどうかの判断が出来る人がごく少数の作品もあるでしょう。
知らなくて被ると、知っていて被せるは外側から見て判断出来ないことも多いです。
ですが自分自身だけは答えを知っています。

もし全部が新しくない、つまり既存作品のコピーだとするなら、私個人は作る必要を感じません。


まとめ

・共通言語は理解を助ける
・共通言語は使えるコミュニティが限られる
・新しいと新しく感じるは大きく異なる
・共通言語から外れると新しさを感じやすい
・知らない人にとっては新しくなくても新しい
・だからこそ、新しいを偽ってはいけない

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