見出し画像

マッドフラッド 5 / 歴史に埋もれた子供たち

こんにちは、TOYOです。
私たちが教えられてきた歴史は真実ではありません。
多くの真実が私たちに隠されてきているのです。

その歴史の中に埋もれた子供たちについて、
皆さんに是非知っていただきたいと思い、一日一食 OMAD エンドゥさんの動画内容を転載させていただきました。

マッドフラッド 5/ 歴史に埋もれた子供たち

これは18世紀の巨大な集合住宅で、場所はモスクワの中心です。
宮殿のように見えますがそうではありません。
実際は、孤児向けの養育所です。驚くほど巨大ですね。

18世紀の頃というのは、そんなにも強く子供たちを愛していた社会だったのでしょうか?
ただただ子供たちのために、これほど巨大な設備を設置するほどの愛情があったのでしょうか?

この孤児院は2歳までの子供たちを受け入れていました。
どんな時でも匿名で赤ちゃんを渡すことができました。

子供たちはこの孤児院で成人するまで生活しました。
そして初歩的な職業訓練を受けていきます。
ものづくりの基礎以外にも、外国語であったり、絵の描き方、演劇の基礎なども習うことができました。

歴史学者たちは私たちに対して、あまりにも理想的な孤児院像を伝えています。
全てが理想的で、美しい集合住宅、献身的な子供たちの子育てや教育です。

19世紀のイギリスにある巨大な施設です。
4500人以上の女性がこの巨大な建物に、自分たちの子供を渡していたといいます。
しかしその数は、この一つの施設についてだけの数字です。

64以上の孤児院がイギリスで19世紀の間に開設されていたり、そのリストが掲載されています。
しかし、そのリストもすべてをカバーしていません。

非常にたくさんの両親のいない子供たちの奇妙な状況は、多くの研究者たちによって文書で明確に記録されています。
しかし、実際のところはこの19世紀の期間の間に、いったいどれだけの孤児がいたのかということはまったく不明です。

しかし、このことは単にイギリスだけで起こったことではありません。
これは世界中で同時に起こっていたのです。

20世紀初頭では、イタリアでは毎年3万2千人の孤児が生まれていてスペインとポルトガルでは毎年1万5千人の孤児が生まれてきていたそうです。

1860年以前では、37万4千人の赤ちゃんが、ミラノ、ナポリ、フィレンツェの孤児院で受け入れられていたといいます。

歴史研究家のデビッド・ランセルによれば、モスクワでは1万6千から1万8千人の孤児を1880年まで毎年受け入れていたといいます。
また、その内の1万人をモスクワの外の村々に送っていたといいます。

1882年には4万1千人以上の孤児がモスクワ全体で確認され、3万2千人が4,418の村々の里親に引き取られました。90人以上の孤児たちを受け入れた村も10以上ありました。

子供たちは、殆どの場合、孤児院や救貧院の前に捨てられていきました。
これらの機関は住居や食事、服を一時的に提供し、その後、救貧院やその他の場所に送られていきます。

19世紀中盤には、シベリア、オーストラリア、アメリカといった土地にに植民されていきました。その際に、数万に上る子供たちがヨーロッパじゅうのカトリックの教会の孤児院に連れて行かれていました。

イタリアだけでみても、その国内に1200カ所にも及ぶ孤児の受け入れ出張所が存在したといいます。

一方で、ロシアについては、モスクワの孤児院では毎年おおよそ1万8千人の子供たちが受け入れられたといいます。

歴史学者たちが私たちにつたえているのは、この孤児院では子供たちが成人するまで養育していたということになっています。

このような地域の引き受け拠点は、モスクワに連れて行った子供たちの頭数に対して、お金を受け取ることができました。
そして、モスクワの孤児院では多少養育し、その後、様々な村の小さな家庭の家に送られていきました。

モスクワの孤児院ではおよそ3万2千人のオスターホームと呼ばれる子供たちを育てる家族が、子供たちがある一定の年齢に達するまで受け持ち、その後、人口が少ない地域に送り込んでいきました。
そうして、子供たちは奴隷のように畑や工場で仕事をするようになりました。

また、カトリックの孤児院からこれらの子供たちは、アメリカやオーストラリアに送られていきました。

アメリカに到着すると、そこには「孤児列車」が待っていて、二ヵ国以上から来た子供たちを運搬しました。
これがその証拠となる写真です。

列車が駅に到着すると人々が集まってきて、頑丈で健康な子供たちを優先的に、牧畜や職人の仕事のために引き取っていきました。

このような孤児の初めてのグループは、1854年、ミシガンを訪れました。
この時期から、アメリカの各州に何十万という孤児たちが運ばれてくるようになりました。
このムーブメントが終わったのは、1929年のことです。

19世紀のこの孤児と孤児列車の事業には、公式に97の各種機関が関係しています。
このような現象は、アメリカ合衆国に限られたことではありません。

これは世界の歴史の中で最も恥ずべき偽善です。
孤児院のもっともらし広告に隠れて、発展していたのは強制労働の奴隷制度でした。

しかもそれは、一度も幸せな生活を味わったことのない子供たちの悲惨な人身売買だったのです。
孤児院というのは、真の意味での悪意ある収容所で、これと比較できるのは、ナチスドイツの強制収容所だけでしょう。

これらの子供たちの両親はいったいどこにいるのでしょうか?
数十万人にも及ぶ孤児たちが19世紀にいたということも非常に信じがたい数字ですが、本当にそれほどたくさんの女性たちが、子供たちを手放したのでしょうか?

19世紀になぜ、何処に、数十万人にも及ぶ親のいない子供たちがいたのでしょうか?
そして彼らは世界中を移動していきました。ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、カナダ…なぜでしょう?
とくに彼らに生きている両親がいるのならばです。

そこには国家の後ろにある世界的なアジェンダが見え隠れしています。
それは、世界の「人口の調整」です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?