高岡市議選挙 雑感

国会議事堂の中央広間には三つ銅像が並んでいるが、そのほかに、一つ像がなく、台座だけ置かれている場所がある。これは、政治には完成がないことを示すためだと言われている。

どんなに偉大な宰相であっても、完全無欠な政治運営などできないというのは常識的な考えだろう。

しかし、ここに珍事が起きた。

我々の住むまち、高岡に完璧な政治が実現していると主張する人物がいるというのだ。

10月26日の富山新聞朝刊より。

高岡市議に立候補している各氏に、角田市政をどう評価するか、点数をつけるように記者が要請した。

あろうことか、前回の市長選で角田氏を熱烈に支持した前職の市議と、角田氏の転出にともなって地盤を受け継いだ新人が角田市政を100点満点だと評価したのである。

これは本気なのであろうか?

角田勢力のスポークスマンとしての広報の一環なのであろうか?

盲目的な信者ならばともかく、市政を監視するはずの議員を志す人間が、首長を全肯定するとは、どういうことか。

新人も新人である。ヨイショと言われても否定できまい。

角田市政は始まったばかりであり、評価はまだ難しいが、このように両手を上げて翼賛するとは、市民感覚とのズレが甚だしすぎるのではないか。

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