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こんな夜まで、主演でごめん。

こんばんは。
今夜は、人生を切り開けない気分の、私です。
元気じゃないと。なかなか、ね。

「与えられた役を演じる=人生」
と、思う時がある。

幸せな役なら、のびのび暮らせる。
不幸な役なら、不幸を演じてしまうことになる。
何かに仕向けられ、踊らされる。
あの逆らえない感じは、何なのか。
自分の人生なのに変ね。

今日みたいに気弱な夜は、上手く働けなかった職場を思い出す。
人間関係はもちろん。自分の振る舞いもダメだった。
今の環境なら、上手くできるかもしれない。
環境のせいばかりとは言えないが、自分のせいばかりとも言えない。
だから、与えられた役を演じてしまったのだと、思えるのだ。
(元気なら、違うことを考えるけれど、今はそんな気分だから、ごめん)

これが名作なら主人公は自力で挽回し、居心地の良い世界に変えていくのだろう。

でも、私の人生は平凡そのもの。
それならいっそ、開き直って
難しい役は「無理だから」と降板してしまえば良いと思う。チェーンジ、だ。
ふわふわ漂っていれば、そのうち別の役が来る。
合う役かもしれないし、合わないかもしれない。
どちらにせよ「次」さえ待てれば、非力ながらも舞台の上に生き残れるのだ。
弱虫でも卑怯でもない。これは生きる知恵。
しなやかさだ。死ぬよりも、ずっとよろしい。

大事なのは潰れてしまう前に、役を降りる余力を残すことだ。損な役を「あらまあ、貧乏くじ引いちゃったわね」と切り換えられたら、しめたもの。

人生はその時々で、観客が変わる。
あたたかな観客、野次を飛ばす観客。
居眠りする観客、すぐ立ち去る観客。
確実に言えるのは最後に残るのは、自分一人ということだ。
それなら、観客の顔色は必要以上に伺わなくても良いはず。全員のウケを狙うのは無理なのだから。

弱くてもしなやかに、したたかに図々しく。
明日も私は、私の舞台を演じたいと思っている。
元気が出たら、この人生を名作にしていこうと思っている。

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もう、夜中の2時か。
気づけば、夜も深かった。

主演の戸山は、日記を閉じる。
明日は良い日であるように。
そう祈り、眠りにつく。

(第○幕*完)


…こんな感じで終われば、今日が「しょぼくれた私が、人生に折り合いをつける一幕」となる。

でも、明日は何が起きるかわからない。

舞台を共に作る仲間と出会えるかもしれない。
脚本家○氏、監督○氏、舞台美術の○氏。
演劇に明るくない私ですら、たくさんの人が舞台に関わっているのは知っている。
色々な力が重なり合い、舞台は作り上げられている。

人生も、自分一人の力量なんて、たかが知れているのではないかと思うのだ。

ほらね。何かに踊らされている。
だから、主演の私は演じるだけだ。
すねずに、投げずに、できることを淡々と。

喜劇あり悲劇あり。
蛇行しながら、支離滅裂な私の生活は続いて行く。

根性なしが主演でごめん。
もし役を降りることになっても、また違う役で舞台に上がるよ。専属役者の特権だから。

どうか明日が喜劇でありますように。
いや、悲劇でも良い。
自分なりの、名演技ができますように。