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震災、それから②〜 チーム富岡さくらYOSAKOI

さくらYOSAKOIの再現のはずが

2011年の秋、私はいわき復興祭とほぼ同時にもう一つ、イベントづくりに関わっていました。10月22・23日、東日本国際大学・いわき短期大学学園祭"鎌山祭"。当時いわき市には原発事故で被災した多くの人々が避難生活を送っていました(その後そのまま移住した人も多い)。 そこで避難者と地域の方々がつながりあい、励ましあい、元気になれるようにと願い開催された学園祭のなか、コラボレーションという形で"さくらYOSAKOI"再現の機会を頂いたのです。

そのうちの目玉はよさこいの本場高知県のトップチーム「十人十彩」さんの参加。学校と富岡町の復興支援に義援金を届けて頂きながら、素晴らしいよさこい踊りを土曜日と日曜日の2日間たっぷりとご披露くださいました。また当時YOSAKOIソーラン祭りジュニア部門大賞を獲得するなど活躍されていた栃木県の「舞まいkid's」さん(本来は中止になった2011年4月のさくらYOSAKOIに参加いただく予定でした)も参加、そして夜の森のお祭りにいつも参加してくれているいわき市を中心としたよさこいチームさんたち。半年遅れのさくらYOSAKOI、季節や場所は違っても今こうして出来ることに私は幸せを感じていました。

十人十彩さんの心のこもった踊り

ただ残念だったこともありました。それはこの場に富岡町のチームがなかったこと、"さくらYOSAKOI"の再現のつもりでも富岡町のチームがいないという虚しさ。この時点で富岡町を拠点に活動していたのは3つの団体があったのですがそのチームは全て、避難でメンバーが散り散りになってしまったことを理由に解散を決めた、とは聞いていましたが… 個人的に来てくれた数名の姿は見えたものの他にもっと沢山いたはずの富岡の踊り子さんはどうしたのだろうか。 知らせが届かなかったのか、あるいは踊る気持ちになれなかったのか、それともよさこいはもう諦めてしまったのか。

この後も、復興応援に富岡のよさこいチームを招待したいと幾つかのイベントからお声かけいただきましたが(さくらYOSAKOI実行委員長として町のお祭り作りに関わっていたこともあり震災後も町役場からのよさこいに関する話は私に来ていました)、解散したチームに再結成の動きは無し。チームの関係者でもなく踊り子でもなかった私にはどうにも対応できずにただ申し訳ないと思うばかり、そんな状況が続きました。

チーム富岡さくらYOSAKOI

このままで良いのだろうか …いや、踊りたい気持ちを持っている踊り子さんは必ずいるはずで、その思いがうまく表面で繋がらずにいるだけなのかも。ならばこちらから踊り子さんの気持ちを集めてみたらどうだろう?と考え、各チーム代表者さん経由で聴いてもらいました。

その結果、踊りたい!と手を挙げる踊り子さんが次々と出てきてくれて、ならば改めていま一つになってよさこいチームを始めてみようか、という運びになりました。富岡町の踊り子が再び繋がって新しく生まれたチーム、その名前は"チーム富岡さくらYOSAKOI"に決定。

初期メンバーは13名、いわき、郡山、その他、県外へ避難した人も来てくれました。初顔合わせ(というか再会)初練習は2012年3月18日、いわき市にて。久しぶりのよさこい、皆楽しそうでした。なんとか形になりそう…で、代表者は?

新チームには過去に代表を経験した方々もいましたが、別々に活動していたチームの踊り子さんと今度は一緒になるという事で遠慮したようで、ならばお祭りの実行委員、事務局経験者として町役場や各チームさんとの連絡の取りやすい私がとりあえず代表者ということでスタートとなりました。

踊りに関しては経験もなかったので特に言うことはありませんでしたが、代表者として当時みんなには、「富岡の意地とか、底力みせようぜとか、そんなに力まなくても良いから。好きなよさこいを楽しむことで今の生活(避難)の中に自分達らしさを取り戻していければ良いね。そして応援してくれる人たちにありがとうって、少しずつ応えていけたらいいね。」というような話しをしたと思います。

埼玉県・杉戸高野台さくら祭りにて

チーム初演舞は発足から1ヶ月も経たない4月8日、富岡町の友好都市である埼玉県杉戸町の桜祭りでした。バスでいわきから郡山経由して埼玉へ、現地で関東地区へ避難中の踊り子さんも合流。会場の西近隣公園へ着いたとき、雰囲気が富岡の夜の森公園に似てるねと皆んなで話したのを覚えています。

持ち時間は30分と、初演舞にしてはなかなかのボリュームでしたがメンバーそれぞれが前チームで経験およびレパートリーも豊富だったため4曲を踊ってこなす事ができました。衣装は揃いのTシャツ、震災前にさくらYOSAKOIオリジナルグッズとして製作したものです。ちなみに私は演舞前の挨拶と曲紹介(カンペ有り)、初めてのよさこいステージにドキドキ…。

よさこいで繋がる、蘇る

演舞を終えると、近くに避難中で私たちが踊りに来るという情報をきいて見に来たという富岡町の方が懐かしそうに声をかけてくれて、ああ、よさこいでこんな出会いがあり人が繋がるんだ、ふるさとと繋がれるんだと、今までのよさこいの経験にない幸せな気持ちを感じました。

さくら祭りでの踊りを終えて集合写真

その後チームは各地で演舞を続け素敵な再会、そしてまた新しい出会いも重ねてきました。県外遠征も積極的で、杉戸町へは秋の産業祭にも参加、また神奈川県大井町の"大井よさこいひょうたん祭"からも富岡町へご支援頂いたお礼に踊りに行くなど、楽しくまた貴重な経験をたくさんさてせていただきました。

そして富岡町に関しては桜の時期にあわせて開催される"復興の集い"(全町避難だった2016年まで広野町で行われていました)に毎年参加したほか、県内各地の仮設住宅でも訪問を行ってきました。そこでみなさんと一緒に過ごす時間は、ほんとうに幸せでした。

復興の集い 2016
郡山市富田町仮設住宅にて、栃木県小山北桜高校YOSAKOIソーラン部 櫻笑さんも来てくれました 

震災前さくらYOSAKOIの実行委員時代、開催にあたり会場周辺のお宅に挨拶に伺い「ご迷惑おかけします」と頭を下げると、「まったくよ!YOSAKOIやってっときはうるせえから出掛けっちまんだ」なんて言われたものですが、震災後のこうした機会では「よさこいをみるとふるさと思い出されて懐かしい」とおっしゃってくれて…あの頃のあの言葉も何故か温かい思い出に感じられたものでした。

当時の取材記事です(結構カタイこと言ってましたね)。

ただ踊りで伝えたいの何かというと、私たちの踊りはみなさんにとって「自分たちらしさと取り戻していこう」と思ってもらえるヒントになれればいいかな、そう考えていました。避難が続く中、それぞれの好きなことや楽しみを見つけながら、健やかにまた前向きに過ごしていただけたらいいな、という思いで。

それが本当に大事、そういう時期だったんです。

(続きます)

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