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富岡町の『さくらYOSAKOI』

福島県富岡町では広報誌や展示パネル類で度々よさこいの写真が度々登場しますが「なんで?そんなに盛んなの?」と思われる方もあるでしょう。そう、「盛んだった」のです。2011年の東日本大震災が起こるまでは。

富岡町のよさこいのはじまりは2001年4月、町の誇りでもある夜の森(よのもり)地区の満開の桜並木のもと、踊り子も見る方々も笑顔満開となれるお祭りを作りたい!という商工会青年部員たちの思いが『さくらYOSAKOI』となり、震災が発生するまでの間、毎年沢山の踊り子、お客さんを集めながら開催されてきました。

私はその10年間、実行委員として携わってきました。富岡町の『さくらYOSAKOI』とはがどんなお祭りだったのか?『よさこい』というお祭り文化の誕生から全国への広まり、そして富岡町でもお祭りが開催されるようになった経緯から振り返り、ご紹介していきます。その歴史はもちろん、『よさこい』という広まる・繋がる文化の魅力も知っていただき今後の富岡町のよさこい文化の新しい発展を楽しみと感じて頂けたら幸いに思います。

1.まず『よさこい』とは?

『よさこい祭り』の発祥は高知県。戦後不況のなか地域活性化を目指し、高知商工会議所の企画により1954年にお隣徳島県の阿波踊りをヒントにして祭りがはじまりました。その踊りの特徴は

① 鳴子を持って踊る
『鳴子』とは元々は田畑に吊るして鳥や獣から米や作物を守る『鳥よけ』をもとにした楽器です。一般的にイメージされる鳴子の塗装色は朱色、神社の鳥居と同様に魔除けの意味もあるといわれています。この鳴子は踊りの中においては互いの息を合わせるために役立ち、鳴子の音がきちんとそろうということは踊りもそろっているという事で、見ていても聞いていても気持ちの良い、"お祭りの一体感"を一層盛り上げます。

② 前進する踊り
よさこいは復興を掲げて始まったもので、明るい将来へ向け前へ前へと進んでいく姿勢を表すものです(高知県のおとなり徳島県で先にはじまって阿波踊りを参考にした部分もあるようです)。

③ 曲に「よさこい鳴子踊り」をいれること
「よさこい鳴子踊り」(または各地の民謡)のフレーズが一部分でも曲に含まれていればOKでその他のアレンジは自由。和風のものから流行最先端のダンスミュージックを取り入れたものまで各チームごとにバラエティ豊かなスタイルでお祭りを彩ります。そしてもちろん踊りも自由。チームごとのテーマやコンセプト、オリジナルの振り付け、こだわりの衣装、また鳴子以外にも小道具を使ったり個性豊かな踊りを楽しめます。
この自由さこそが、よさこい祭りの醍醐味。そしてその個性をぶつけ合い競うのではなくお互いに楽しみ合うこと。「鳴子を持てばみんな仲間」の精神が、よさこい文化の全国的な広がり、人と人との心豊かな繋がりになっています。

2.『YOSAKOI』として全国へ

そして『よさこい』が全国に広まるきっかけとなったのが『YOSAKOIソーラン祭り』です。よさこいの自由さをヒントに1992年札幌市において北海道の民謡『ソーラン節』の要素を取り入れた祭りが始まりました。

多くの方が耳にしたことのあるであろう♪ どっこい どっこい どっこいしょ~のフレーズ『よっちょれ』はもう30年近く前に北海道で生まれた曲で、よさこいの広がりと共に全国的に普及した曲なので「よさこいといえばコレだね!」という人も多くいます(そのせいもあってよさこいの発祥は北海道と誤解されていることも意外に多いです)。また祭り以外でも学校の文化祭などで現在でも良く使われており、初めて踊ったよさこいはこの踊りだという方も結構いらっしゃるのではないかと思います。

この曲のノリのよさ、振り付けのダイナミックさげ多くの人のお祭りゴコロに火をつけました。そして札幌の街を舞台に大勢の踊り子が一体となって繰り広げられる『YOSAKOIソーラン祭り』の成功をきっかけに、ら全国によさこいは普及していきました。

3.桜咲く町にYOSAKOIがやってきた!

全国に展開して行ったよさこい祭りは、札幌にならって地元の文化との融合しながら、また地域の特色を祭りに織り交ぜながら、おらが町のよさこいとして各地で行われることになります。富岡町においては、町のシンボルである桜と踊りの共演するお祭りをつくるアイディアが生まれました。「桜咲き誇るわが富岡町を皆に見てほしい」「満開の桜のトンネルの下で華麗な演舞をしてほしい」(パンフレットにも記載)。そんな思いから『さくらYOSAKOI』は誕生したのです。

第1回さくらYOSAKOIは、当時の商工会青年部長・石原政人氏(「ヤマダヤ」さん経営)が実行委員長となり、2001年4月14日、お花見の名所として賑わう夜の森公園をメイン会場に16団体、踊り子600名の参加を集めて華々しく開催。桜は満開から散り始め、はらはらと舞う桜とエネルギッシュな演舞のコラボレーションは多くの花見客に衝撃を与えました。

このときの会場は夜の森公園のステージ会場と、公園北側のさくら通りでの流し踊り会場でした(画像のパンフレットを作成した2010年時点では路上での流し踊り会場は富岡第二中学校東側のさくら通りに移動しています)。

その歴史の始まりの場所は現在はどちらも原発事故の影響による帰還困難区域に指定されています(2022年現在)。

【 貴重映像 】
第2回さくらYOSAKOIダイジェスト(2002年)

またライトアップされた桜のトンネルのもとで踊る「夜桜YOSAKOI」も目玉の一つ。これは第2回から始まったものでまた大変に盛り上がりました。夜に浮かぶ満開の桜は昼の表情と全く違った幻想的なもので、そのステージの美しさのあまり泣きながら踊っている踊り子さんもいました。お祭りの行われる4月は夜はまだ冷えるため「寒さに耐えながら出番を待った分だけ更に感動的」という声も。

ほか、パンフレット画素を拡大しながらご覧いただき写真などから当時の開催の賑やかさも感じて下さいませ。

桜のトンネル通り抜けの名所は全国各地に数あれど、よさこいの躍動的な踊りが繰り広げられるのはここ夜の森だけ。当時はSNSなどなかった時代でしたが、もしもあったとしたらどんな反響があったでしょう?

4.『さくらYOSAKOI』の10年

衝撃の第1回開催のあと、富岡町商工会青年部員はこの祭りに参加してくれるよさこいチーム立ち上げのサポートに富岡町や双葉郡、時にいわき市まで踊りの指導を行うなど精力的な普及活動、PR活動を行いました。

その甲斐もあり第2回(2002年)では40チーム1200名に大幅増、第5回(2005年)には最も多い52チーム参加を記録。そのあとは40チーム前後での開催がしばらく続きます。この減少した理由は、ほかの地域の桜祭りでもよさこいが行われる様になり各チームが分散したという事もあるようです。それはそれでよさこい文化の拡大には良いことだったかも知れません。

開催日はしばらく4月の第2土曜日の1日のみ開催となっていましたが、2006年の第6回からはパンフレットの通り第2土日の2日間となりました(但しその2006年は雨、風、そしてついには雷も鳴り出してチームのキャンセルが相次いだという辛い思い出が…)。

そして天候、桜、最高の条件で開催できたのが2009年の第9回です。いわゆる"神回"的な。パンフレットに使われている写真や、現在でも町内各所にあるパネルで掲示されているのはこのときのものが多いです。

参加チームは県内各地はもちろん、秋田、岩手、宮城、山形、栃木、茨城、埼玉、東京からも。富岡町の友好都市である埼玉県杉戸町、災害時相互援助協定を結ぶ東京都品川区からも毎年参加いただいていました。

浜通りにおいてはほぼ各市町村にチームが存在し、毎年参加いただいていました。その中には浪江町の「Wonderなみえ」さん、南相馬の「はね駒」さんといった福島県の大会で優勝の経験を持つ実力チームも。また面積の広く人口も多いいわき市は特に多くのチームがあり、中には80名の大所帯で近くで祭りに参加してくるチームもありました。

そして地元・富岡町からは毎年3団体程度は参加、富岡一中、二中、富岡高校の生徒によるチームも参加していました。

貴重映像
「とみおかWASSEさん」2010年の演舞です。

当時参加していた踊り子さんのなかには「たまたま花見に来たら祭りをやっていて踊り子さん達が楽しそうだったので、いつか自分もここで踊りたいと思い、本格的によさこいを始めた」「初めて人前で踊ったのが夜の森だった」など、夜の森の『さくらYOSAKOI』が「原点」「よさこいのふるさと」となっている方が結構いらっしゃるようです。そういうお話を聞くと本当に嬉しくなります。

そしてその皆さんが「夜の森、最高!」と心から楽しんで踊ってくれる。それを笑顔で手拍子しながら見てくれる人たち。地元が誇れる場所で、各地からたくさん集まって一緒になって踊って笑っている風景。祭りを作る実行委員として、そしてなにより富岡町民として本当に嬉しく思いながら祭りを眺めていました。

ただ、さくらの咲き具合は年ごとに当然違うもので、満開の年もあれば、葉桜もあり、ほとんど蕾だった時もあり。また、晴天のもとのんびり花見をしながら楽しめる暖かな年もあれば、冷たい雨に打たれることもあり。桜が満開でも雨だとさすがに花見のお客さんも少ないのでそのときは踊り子さんには只々申し訳ない思いでしたが、そんなときもよさこい踊り子さんは「俺たちの熱気で花を咲かせるんだ!」という気持ちで熱く踊ってくれていました。そしてこれに懲りること無く「来年また来ます!来年こそは満開の元で!」と次への望みもって踊ってくれました。本当に感謝です。このみなさんの気持ちが、このお祭りを続けて行きたいと思えた原動力でした。

そして2011年3月11日、金曜日。この年予定していた『第11回さくらYOSAKOI』の開催予定日が4月11日だったのでちょうど1ヶ月前のこと。前の晩、わたしはチーム演舞のタイムスケジュールを組んでいて完成したのが午前2時過ぎ、その12時間後にまさかあんな地震が起こるとは...

それからのことは、またのちほど。

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