自由への扉
そうだね。
尾崎豊だね。
てことで皆さん。
2年前、自由への扉を開いたシャンパンタワー職人ですが、5月15日を持ちまして、めでたくフリーランス3年目に突入しましたー!パチパチ!👏
ただ、いざ扉を開けてみたら思い描いていたような綺麗な景色は広がってなくて、周りは深い霧に覆われ、たくさんの壁が目の前に立ちはだかり、落とし穴もいっぱい・・・
でも、遥か先には微かに光が差し込んでいる場所がある。
あそこに辿り着けばきっと自分が見たかった景色が見れるはず。
そう思いながらここまでやってこられたのは、いつも応援してくれている皆さんのおかげです!
本当に感謝しています!
シャンパンタワーinNY
この2年間、本当にいろんなことがありました。
その中でもその後の生き方に大きな影響を与えたのが、ニューヨークという最高の舞台でシャンパンタワーを作らせてもらえたことです。
これで、
「ここが僕のアナザースカイ、ニューヨークです!」
って言えるぜ。
一人で海外に行ったことなんてないし英語も全く話せない僕がこんなに素晴らしい経験をさせてもらえたのは、クラファンで支援していただいた皆さんのおかげであり、
頻繁に起きるイレギュラーやハプニングにリアルタイムで助けてくれたTwitterのフォロワーさん達のおかげです😢
いやまじでデトロイトで乗り継ぎの飛行機に間に合わなかった時は終わったと思った。
ニューヨークではね、本当に沢山の奇跡が起きて、やっぱりこれだけの人達の想いが集まると、「奇跡も魔法もあるんだな」って美樹さやかばりに思ったもんだよ。
ニューヨークでシャンパンタワーを作ったことはもちろん自分の中ではすごいことなんだけど、そこに至るまでの行動や時間、関わった人達こそがものすごい心の財産、そして経験値として僕の礎となっています。
またやれって言われても多分無理だな。そんくらい大変だった😢
「シャンパンタワーの概念を覆す」
独立してから常々言い続けていたことがあります。
「シャンパンタワーの可能性を広げたい」
「シャンパンタワーの価値観を変えたい」
このようなタワーを作る機会が増えてきたことは、冒頭でお伝えした“微かに光が差し込んでいる場所“に、少し近づいた気がします。
3年目のシャンパンタワー職人
さて、この”3年目”というのは僕にとって大きな意味があります。
実は“独立してからの2年間“は、様々な制約があり本当の意味での自由は許されていませんでした。(詳しくは言えませんが契約上のアレコレです…💧そんなもん破っても問題ないぞと色んな人に言われましたが、チキンな僕はおとなしく従っていました😢)
しかし無事に2年間の勤めを終えた今!
晴れて本当の自由を手に入れました!
仕組まれた自由に あがいた日々も終わる
この支配からの卒業ー
そうだね。
尾崎豊だね。
これからは堂々と歌舞伎町でもお仕事できるし、僕の頭の中にあるシャンパンタワーに関する知識を思う存分アウトプットできます。
あ、でもホストクラブとかのシャンパンタワーは引き続きやりません💦
というかできません😢
そもそもそんなに大量のグラスを持ってないので😭
やっぱり思うのは、いろんな生き方があっていいってこと。
周りの人間はいろんなことを言うかもしれない。
その自由の邪魔をしてくるやつがいるかもしれない。
でも、そんな人たちの言動をいちいち気にするのは、自分の人生にとって大きな時間の無駄です。
言いたい人たちには言わせておけばいい。
自分の人生を生きましょう😊
いつまでシャンパンタワー職人を続けるか自分でも分かりませんが、とりあえず3年目突入ということで、皆さんこれからもどうぞよろしくお願いいたします。
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