ファシグラ(模造紙に描いたりしてるあれ)をしてるとタオルマンの頭の中はどうなってるの?と聞かれることがあります。

この記事でいう普段はいろんな色のビーズ(情報)が無秩序に入っていて、情報を引き出すのにめっちゃ、労力がかかる男の子のほうです。

ぼく自身は発達障害の診断を受けたわけでないのですが、そういう傾向がとりわけ強い部分があるという感じですかね。

手帳、書き込んだりして今なお訓練中ですが、人の言ったことをなんで思い出せないのか、人が普通にできることができなくて、とてもしんどくなる時があります。悲しかったり、寂しかったり、ひとりぼっちだと感じたりします。

A『それ、まえ言ったやん(呆れ)』
タオル『え、そうだっけ』

とか、大事なことを覚えてなかったり。

タオル『はじめまして!』
B『いや、4度目ですけど』

とか、相手のことをきちんと認識できなかったり。

C『やってないやん』
タオル『(やろうとしているのだが…)』

とか、やろうとしているけれど、優先順位がばらばらで、なかなかできてなかったり

D『あれ、できるんやから、これもできるでしょ』
タオル『(できるようになるまで、とてつもなく時間と失敗を重ねてようやくなんとかできてるんですが…)』

おいおい、その年ならこれはできてくれ、みたいなこと言われると
…普通に落ち込んでます。笑

言った人はそんなつもりで言ったんじゃないんだろうけど。そういう意味では言葉の受け取り方もだいぶ、訓練してきたなぁと思います。まだまだ修行が必要ですが。言葉になってないニュアンスを汲み取る、というのが本当に苦手。

自分の特性や、相手の特性をうまく包み込めるようなそんな余裕のある人でいたい。そりゃ余裕のない時もあるので、そんな時は助けてほしい。

自分が辛いからこそ、わかってもらえないからこそ、相手の『わかってほしい』『わかってもらえない、辛い』という気持ちはよく分かるようになった。

人の話をきちんとききたい。
そういう気持ちと、自分には情報の視覚化が効果的という面では板書・ファシグラというものは本当に役に立つスキルとの出会いだったと思う。ありがたい。

そして、ありがたいことにぼくの周りには本当に素敵な人たちがたくさんいる。
ぼくの頭の中と同じくてんでんばらばら、各々めいめいだけども、そんな人たちに支えられてきた。本当に感謝してます。ありがとうございます。

自分自身が「生きやすくなる」ために「できないことができる」ようになりたい。そのために、学び、遊び、働き、描いてたりしてて

それは、誰かの「生きにくさ」とまではいかなくとも「学びづらさ」を少しでも支えることに繋がっていて「学びやすさ」というものに変わっていけば、それは「生きやすさ」へと変わっていくんじゃないかなぁ。

こんなに日本はモノが溢れてんのに
生きにくいってのはどうゆうことなんだ。目には見えない言葉を描いていくことで見えなかった頭の中が見えてくる。

ココロの内が見えるようになってくるまでもう一息。感じることからまず一歩。

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