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初めてのnote

初めまして!!アタックオブザキラーというコンビで
主にアニメYouTuberとして活動し、時々ゲーム実況なんかをしているたおるです(๑•̀ㅁ•́ฅ

何を書けばいいのかわからないまま書き始めてしまったので、たおるの成り立ちとアタキラ結成から今に至るまでを頑張って簡潔にまとめてみようと思う‪( ・ᵕ・ )
現在32歳になった私だけど、初めて芸能の世界に興味を持ったのは中学の時。
兄貴と2人でカセットにオリジナルストーリーのラジオドラマを吹き込んで遊んでいる時(声優になりたい)と思ったのがきっかけだった。

声優は声だけの仕事だから
私みたいな見た目でも頑張れそう。

という本当に舐めに舐めた理由で目指そうとしたわけだが、図書館に置いてあった声優のお仕事の実状を記してある本を読み、あっさりと諦めた。
自分には特徴的な、商品価値のある声は無いと思ったのも理由である。

私は元々自己評価が低い。
あまり学校や家庭に馴染めないタイプだったから
自分は空っぽであると常に感じては落ち込んでいた。
そんな自分の中の“何かの才能”を見付けたくて、高校に入る頃、ギターを始めてみた。
丁度その頃お付き合いをし始めた彼の趣味で
私は自分の人生を変えることになるあるアニメに出会うことになる。

涼宮ハルヒの憂鬱

である。
アニメこそまともに視聴しなかったが、God knows...を初めて聴いた時の衝撃は凄く、
その熱の勢いでスタジオセッションオフ会に参加してしまう程だった。
2ちゃんねるの中で企画が持ち上がった事もあって、みんな各々ハンドルネームを付けることになり、私はその時、たまたま目の前に干してあったタオルを見て(たおるでいっか。)
と何となく名前を決めた。
まさかその名前を10年以上使うことになるとはこの時は知る由もない( ・ㅂ・)

ボーカルとして参加した私は人前で歌う事の楽しさに気付いてしまい、また、人の前で喋る事の楽しさにも気付いていき、
ニコルソン、こえ部、ツイキャスととにかく自分の歌や喋りを配信していった
そうしていく中で出会った人の紹介で、私はFMうらやす(現:市川うららFM)のラジオ番組
【ラジオ楽しんご】のゲスト枠のオーディションに参加し、ニャースの声真似で枠を勝ち取る事になった。
そこから番組収録のお手伝いをさせて頂くようになり、やがて【セクシー齋藤のトークファイター】という番組、芸人の男の子とレギュラーコーナーを持たせていただく事になる。まだ発足したばかりの番組は、良い意味で動物園の様な番組だった。
キャラの濃い面々が各々色んなコーナーを受け持ってそれぞれの得意分野で勝負する中、私達は(苦手な英語を駆使して外国の方と仲良くなろう!)的なコーナーにしていくつもりだった。

しかし、初放送の日、彼は自分の自己紹介をコーナーの5分をたっぷり使って放送した翌週、飛んだ。
急に1人になる事になり焦った結果
(たおるちゃんの相方をさがす)
というコーナーに変わり、英会話の体を崩さないように(これ英語で言ったらどうなるの?)的な事をやり始め、コーナー名は【ネックカットセメタリー】訳:首塚
になった。
それでも何か面白いことを…という気持ちで
私は他の人のコーナーをパロディ化してみたり、齋藤さんを巻き込んだり、お昼の番組にもかかわらず、下ネタをぶっ込んで齋藤さんの母親からクレームを頂いたり
やりたい放題だった。
今思えば、よく許してもらえたな…と思うばかりである‪(´・-・` )
そしてある日、知り合いの子(以下Yちゃん)が脚本を手掛けたドラマのオーディションにやってきた男の子と、なぜか台本の読み合わせの相手役をやる事になったのだが、その男こそ後の佐藤くんである。
ずんぐりむっくりで、よれたスーツ姿にボロいトートバッグで坊ちゃんみたいな髪型で、おどおどした感じで、正にTHE・オタクという感じ。
Yちゃんは「君、昔のクラスメイトの清水くんにそっくりなんだけどw」
と爆笑しながら話していた。
ちなみに私は清水くんなんて知らないが
「へー、清水くんなんだ!よろしく!」ととりあえず清水くんという事にした。
「いや誰っすか!」
とキレのいいツッコミをしていたかどうかは正直覚えていない。
帰りの電車が同じ方向だったので、清水くんとYちゃんと3人で帰った。
(清水くん、京王線ユーザーなんだ)
と思ったくらいで他にはなんにも記憶にない。
それくらい存在感も無かったのだが、ある日
Yちゃんが演者の人達と打ち上げに行った帰りに
「清水くん、めっちゃ面白いから相方にどうよ?」
と勧めてきた。(清水くんて誰だよ)って一瞬思いつつ、(あの子か…あの子…?え…面白いのか…?)
と半信半疑になっていたが、
Yちゃんの家で面白い動画作品を作ろうと企画していたようで、
何故か2泊3日で3人で寝泊まりすることに。

Yちゃんの家は離れていたので、まずは清水くんと合流してからYちゃんの家へ…の流れ。
待ち合わせの時間、「お待たせしましたー!」とやってきたのは豚のイラストが描かれたTシャツに青のチェックのシャツにチノパンを履いてボロいトートバッグを引っ提げた清水くんだった。
「どうも!佐藤です!」
と言われ、「あ、佐藤なんだ。清水くんの事は知らないけど清水くんにしか見えないよ私。清水くんみたいな顔じゃん」
と出会い頭にいじってみたのだが
「いや、清水くんって誰なんすか!たおるさんも知らないじゃないっすか!」
と返されて、(え、面白)と内心新しい相方になるかもしれないワクワクでいっぱいだった。
家に向かう途中、様々なボケをかましたのだが、その度に良い感じのツッコミを返してくるので
私の中では相方はこの人しか居ない!
と感じていき
2泊3日の合宿が終わる頃にはラジオの相方として正式に決定し、次の収録から参加する事になった。名前は佐藤くんになった。
コーナーは佐藤くんの企画力のお陰で、ラジオの本拠地である(浦安)に目をつけることになった。メインパーソナリティの齋藤さんに浦安のお店を紹介しつつ、クイズを出し、正解したらお土産をあげる。といったものだ。
浦安を何度も巡り、色んなお店にアタックしてとても番組らしい形になった頃、

冠番組を持たないか?

という話を頂くことになった。
自分たちの可能性をさらに広げたいという思いを番組関係者の方々に相談した
「チャンスを絶対掴め。」という齋藤さんの言葉で私達は番組を卒業してYちゃん含め、3人で冠番組を持った。
5分ではなく30分、しかも自分たちの好きな事を喋れる。可能性は広がったが、責任感も大きい。
どんな事をするか夜通し話し合い、そしてついに番組スタート。
程なくしてYちゃんの脚本業が忙しくなったこともあり、3人の番組から、
【佐藤・たおるのアタックオブザキラーレディオ】
と番組名が変わって我々2人になり、アタキラの活動がスタートして行くことになったのである。
そこから3年近くラジオをしていく中で、イベントMCの仕事も振って頂くようになった。
中でも【MUSIC BOX】の存在はとても大きかった。
レギュラーMCとして毎月舞台に上がらせていただき、イベント運営自体にも関わらせて頂いた事で色んな経験になったし、
何よりファンが出来た事が嬉しかったし、私もシンガーとして出させて貰えるようになった。
イベントを通して沢山の友達や知り合いも出来たし、人前で話す楽しさ、歌う楽しさで幸せいっぱい夢いっぱいだったのだが、
やはり食い扶持としては難しい。
私達は何をすべきなのか、本当にしたいものはなんなのか、毎日悩むようになっていった。
バイトをしていれば生活には困らない。
このままの状態を望めば続ける事は出来る。
でも、私達は芸能で売れたい。芸能で稼ぎ、生活したい。
葛藤する中で、ある日こんな話を頂いた。

アニメをやらないか?

私はこの頃、自分の好きなイラストで服のデザインをしたり、ロゴ作成依頼、CDジャケットのイラストの依頼を受けたりしていたので、イラストに注目してもらえたのだ。
正直、やった事はないが、やり方の理屈はわかる。

「やります!」

と二つ返事をした。
あとは頑張ればいいのだ。
こうして、私達はテレビで作品を放送して貰うことになった。
台本を作り、動画を作り、大量のイラストを描いた。
本職のアニメーターの方々からしたら鼻くそのような出来だったかもしれないが、間違いなく良い作品を作ったと思っている。
そして何より私達はここで、今のアタキラアニメチャンネルを作るための経験値を獲たのだが、
まだ、アニメをやろうという気持ちにはなっていなかった。

私は元々表に出たいタイプだったのだが、
反して佐藤くんは表に出るよりたおるを前に出したいタイプで、
私は思いついたらぽんぽんやりたいタイプ。
佐藤くんは慎重派。
相反する2人では表に出るような動画がなかなか思ったように作れなかった。
1ヶ月に1本。再生数15。登録者20みたいな状態をズルズルと続けていた
そんな時、「たおるちゃん、アニメやろう。」
と佐藤くんから提案をしてきた。
私はイラストを大量に描く事の大変さが半ばトラウマになっていて、かなり抵抗した。いや、めっちゃくちゃ抵抗した。 
そんな私を何回も何回も誘い続け、いかにアニメをやるということがメリットになるかを説いた。

たおるちゃんがやりたいことは売れてからいくらでもやればいい。
でも今は知名度が足りない。知名度を上げるためにはまだ人があまり参入してないものの方が良い。
アニメは手間が掛かって手軽に始められない分人が少ない。頑張ればいける!俺たちは面白いんだから。

それでも私は数ヶ月拒否し続けたのだが、お風呂に入っている時、ふと(佐藤くんを信じてみるか)と思い立ち、アニメをやることに同意した。

そして、細々といわゆる(やってみた)的な動画を時々上げているだけのYouTubeから
アタキラアニメチャンネルを始動させる事を決めた。
YouTubeなら自分達のセンスをフルに生かせる。
元々やりたかった声を使う事も出来る。
イラストも好きなように描ける。

そして、初めて手掛けたのが【怖快感】だった。
ホラーアニメはまだ穴場かもしれない。というワンチャン的なものを狙った。
結果、じわりじわりと再生数と登録者が増えてきた。でもこれでは食べて行けるようになるまで何年かかるかわからない。
ギャグだ。ギャグものを作ろう。
こうして生まれたのが【のけもの商店】
これは完全にキャラ受けの可能性を考えたキャラデザにしたのだが、それが逆に手間を増やしめちゃくちゃ大変になってしまった結果、更新頻度が一定に保てない事に。
アニメも厳しいのかな…
なんて思っていた矢先、「そうだ。エッセイ的な奴なら短くて緩い感じで作れるんじゃない?」
と思いつき、自分たちの生活の中で面白かった会話をメモってみた。結果、表に出すにはブラック過ぎてヤバい。という事で却下。

唯一、サブチャンネルの方に【3年目の浮気】を2人で歌ってみた動画を上げた時のやり取りが面白かったので、それを20秒くらいの動画にして出してみた。
それ以降、やはり出せそうな面白いやり取りが無く、悩み始めていた頃
私が佐藤くんに無茶振りして爆笑してるやり取りに、2人揃って

それだ!!!!

となって、今の形のあたきらのすが出来たのである。
代わりに1作目のエッセイ的なやつを削除した。
だからあたきらのすの1作目が♯2になってるというわけですw

あたきらのすは【あたきらの素】の姿であることからネーミングが出来ているのです。

それから今やあたきらのすだけで218本。
登録者は2万400人になった。


私はまだ、自分の才能を探してる途中だ。


つらつらと文才もなく書き連ねたけど、これがアタキラの今に至るまでを出来るだけ端折った経歴w
本当はもっと色んな事があるんだけど、いつかエッセイ本とか出せるような大物YouTuberになったら話そうと思います(*´ω`*)


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たおるのデザインしてるやつ【GroPopCandy】


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