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入院した時の事

読んで、自分が倒れた時の事を思い出してしまった。

これまでも、その時の事をまとめてみようかと思いつつ、書き出してみると冗長。…それでいつもやめていたんだよね。でも、この際吐き出してしまおう。

出勤してロッカールームに入り、同僚と雑談しながら職場に出る準備を始めようとした時に、持った荷物を持ち替えようとした私の右手が左手を見つけられない。
あれ?と思い、ギギギと首を下に捻じ曲げると荷物を持った手と何も持ってない手が不自然に交差してる。再びギギギと顔を上げる。(擬音は、もし漫画化したらそんな風に首を捻じ曲げていたんじゃないかと後々思い返してみたので。)
その様子を見ていた同僚が私の異変に気付き「どうしたの?何か変」と声を掛けてくれた。
再び、顔をギギギと同僚に向けて何か言ったような気がするけどよく覚えてない…。「変?」「え、なんでもない」「右と左の感覚が違う。うわーナニコレ」という感じだったかな。心配する同僚は「横になった方がいい。救急車呼ぼう」というが、そんな何を大袈裟な、ちょっと休んでいれば大丈夫、とその時は考えていた。周囲がワッと騒々しくなり課長までロッカー室まで駆け上ってくる。
コロナ禍の中ではあったけれど、2020年3月の終わり頃はまだそれぼど危機感もなく、救急要請で断られることもなく私は搬送されてしまった。
(3月だったなんてよく覚えていたな。何故思い出せたのかというと、入院中に窓外の満開の桜を見たので)

「このご時世ですからね」と、お約束のPCR検査をされて、まだその時には元気だった私はとりあえず検査しますかとナースセンター横のベッドに移され、ちょうどお昼時でもあり病院食をたいらげ、ではこちらにご記入くださいと渡された手続書に、氏名住所連絡先、病歴等々を書いていった。途中、担当医も現れかなり元気な患者(私)と雑談して帰って行ったのだが、ご飯の後だからなのか突然、猛烈な疲れの感覚に襲われ、持っていたペンを置きちょっと休もうと

そこでふと目覚め、体がとても重くなって横になってることに気付いた。視界がなんとなく暗い。おかしい。看護師さんを呼ばなければ。そこにナースコールのボタンが転がってる。手を伸ばして取ろうとするのだけど、レジ袋か何かが邪魔してなかなか取れない。必死に手を伸ばしうまく動かない腕をバタンバタンとボタンの方に投げ出すのだけど届かない。(後からわかったけど、レジ袋なんて無かった。なかなか掴めないので何かがあるかのように感じてただけだった。)

「大丈夫ですよ。泣かないで。うん、悲しいよね。でもそんなに叫ばなくても大丈夫」

看護師さんの声で私は大声で泣き叫んでいる事に気付いた。全然自覚してなかった。悲しくもなかったのになんでか涙を流していた。
体がうまく動かない。そして喋れない。
さっき雑談してた担当医も駆けつけ「ちょっと前まで元気でご飯食べてたよね」などと話してるのが聴こえる。事情を話そうにも喃語のような声しか出ない。
緊急にMRIを、確か二回、間をおいて撮った。非常に緊迫してたようなんだけど、本人は実はそこまで大事になってるとも思わず、通じない言葉で必死にトイレ、トイレなどと言っていた。(結局トイレはずいぶんあとに尿瓶使わされた。)

明日には人と会う約束してるのに。それから、姑のことをケアマネさんに相談しなくては。なかなか回らない口で「すみません、スマホをください」とお願いした。喋れなくても文字で書けばいい。
しかし担当医さんは「ダメだと思うけど渡してあげて」と言う。
知らなかったのだけど、脳梗塞で失語になると書けなくなるのだった。伝えなければならないことがあるのに、書けない!一所懸命考えても、指が何をしていいのかわからなくなってるのだ。
しかし、とにかくIさんにメールしなくてはならない。
「”なにぬねの”の”の”、”あいうえお”の”う”」と、一文字ずつ確認しながら「脳梗塞で入院、明日いけません」だったと思うけどそういう文面をやっとやっと書き上げて送信した。ケアマネさんについては駆けつけてくれた夫に伝えることができた。

血栓溶解療法、というのを施されることになりそこから退院までの二週間の点滴が始まった。
パルスオキシメーターを指に挟み、心電図モニターを胸に貼られ、「着けておいてくださいね」と酸素マスクを口元にあてがわれる。
なんか上手く吸えないんですけどいいのかな?とか思ってたけど、やはりこれも後から思い返してみると呼吸の方がだいぶ怪しかった模様。酸素濃度がかなりの頻度で95を下回ることも。88とか?母の死の直前の数値が85くらいで、なんだか似たような感じだな、とか記憶してる。偽の記憶じゃないといいけど。

左手の指は動かなくなっていた。「動かすリハビリを続けていれば、脳が動かす事を思い出す」というわりと鷹揚なリハビリ室の空気だったけれど、結構必死に優等生患者でいようと頑張っていたら、摘まめなかった細かいピンが摘まめるようになりました。
窓の外は、いつの間にか満開の桜。
何故かこの写メを見るたび物悲しい気持ちになる。前年の自分の手術や母の死に、実は結構心と体が疲れていたということなんだろうか。
指はいまだすっかり元通りというわけにはいかないが、神経回路再生頑張って私の脳。

異変に気付いてくれた同僚には感謝しかない。彼女がいなかったら、ちょっと様子見してからなどと悠長なことを言って大変なことになっていたかもしれない。
姑はよく「皆さんのおかげで生かされている」というが、本当にそれを切実に感じる。

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