メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─』第370号「単方」(内景篇・精)3

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 ◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆

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  第370号

    ○ 「単方」(内景篇・精)

        ◆ 原文
      ◆ 断句
      ◆ 読み下し
      ◆ 現代語訳
      ◆ 解説

      ◆ 編集後記

           

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 こんにちは。「単方」の「兎絲子」です。
 

 ◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
      ・ページ数は底本の影印本のページ数)

 (「兎絲子」p85 下段・内景篇・精)

  兎絲子
 
     添精益髓治莖中寒精自出亦治
     鬼交泄精爲末服作丸服皆佳本草

 ▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)

 兎絲子

  添精益髓、治莖中寒、精自出。亦治鬼交泄精。

  爲末服、作丸服、皆佳。本草。

 ●語法・語釈●(主要な、または難解な語句の用法・意味)

 

 ▲訓読▲(読み下し)

 兎絲子(としし)

  精(せい)を添(そ)へ髄(ずい)を益(ま)し、

  莖中(けいちゅう)寒(さむ)く、

  精(せい)自(をのづか)ら出(いづ)るを治(ち)す。

  亦(ま)た鬼交(きこう)泄精(せつせい)を治(ち)す。

  末(まつ)と爲(なし)て服(ふくす)も、

  丸(がん)と作(なし))て服(ふく)すも、

  皆(みな)佳(よ)し。本草(ほんぞう)。

 ■現代語訳■
  

 兎絲子

  精を増し髄を益し、陰茎中が冷えて

  精液が自ずから漏れる者を治する。

  また鬼神と交接して精を漏らす者を治する。

  散薬としても、丸薬としても、全て良い。『本草』

 ★ 解説 ★

 精の単方のうち、兎絲子です。

 わかりにくいのは「鬼交泄精」でしょうか。「鬼」というのは日本で言うと角の生えた赤鬼、青鬼、みたいな動物?人間?を想像すると思いますが、中国語で「鬼」というと幽霊的な存在を意味します。

 それと「交」というのは霊と交わる、つまり例と交接、性交するということですね。

 実はすでにこの精の章の「夢泄屬心」でこんな文が登場していたのです。

  
  夢與鬼交而泄精、名曰夢遺

  (夢に鬼と交て泄精するを、名て夢遺と曰ふ)

 こちらでは「夢」とシチュエーションが端的に記されていてわかりやすいですね。つまり性交する夢を見て射精をしてしまった、ということです。

 それを昔の人は夢の中に霊が入り込んで来て性交を促したと考えた、もしくは、性交をした夢の中でも、霊と交わった夢を限定して「夢與鬼交」と言っているとも考えられ、普通に夢精したのとは違う現象としているとも考えられます。

 もうひとつ細かい問題点があり、それが「莖中寒精自出」の部分です。
 既に上には断句も読み下しも書いてしまっていますが、遡って原文から読んでいただくと、どう切りどう読めばよいでしょうか?

 これを日本の『訂正 東医宝鑑』ではこう読んでいます。

  莖-中寒-精自出

 このハイフンは熟語として読むという印です。そして送り仮名を加えるとこう読んでいます。

  莖-中寒-精自(ヲ)出(ルヲ)

 原文にはカッコはありませんが、読みやすさのためカッコを補っています。そして、自の「ヲ」は自の右肩に付いています。これは送り仮名ではなく、「自」をどう読むのかを示す訓読の作法で、

 「自」には「みづから」と「をのづから」と読み方があり、両者で意味が違ってしまうのですね。前者では自発的に「自分から」というニュアンス、後者は「自然に」、自分の意志に関わらず勝手に、というニュアンスがあります。

 両者で意味がだいぶ違いますよね。それを区別するために、版本によって丁寧に「自」の右肩に、このように「ヲ」か「ミ」を添えることで、発行者、訓点を施した人がその部分でどのように読んだかを表す方法があるのです。

 そしてこの『訂正』は丁寧にこれを付けていることがわかります。実際に他の部分では「みづから」を示す「ミ」が付いている部分もあるのです。

 ですのでこの場合には「ヲ」ですから「をのづから」と読んでいることになり、自分の意志ではなく「自然に」射精する、漏れてしまう、というニュアンスですね。

 これらによって『訂正』ではこの文をこう読んでいることがわかります。

  莖中、寒精、自出

  莖中、寒精、自(をのづか)ら出(いづ)るを

 莖中つまり陰茎の内部が「寒精」している状態、つまり「寒精」という熟語があるように読んでいるわけですね。

 これに対して上に書いたように私はこう切っています。

  莖中寒、精自出 

 そしてこう読んでいますね。

 
  莖中(けいちゅう)寒(さむ)く、

   精(せい)自(をのづか)ら出(いづ)るを

 つまり「寒精」という熟語があるのではなく、「寒」は「莖中」を形容する形容詞、意味は「冷たい」ということです。

 これを検証するのにいろんな方法があると思い、ご自身でもお考えいただきたいですが、まず「寒精」という熟語が存在するのかどうか、という吟味で解決できそうですね。

 詳しい検証の過程は省きますが、東医宝鑑で他に「寒精」という熟語が登場する場所はありません。他に登場しないからその語が存在しないとは言い切れませんが、まず東医宝鑑の中には無いという点は確認できます。

 それに対して「莖中寒」は他にもいくつかあり、他の部分では「精」と続かず、「莖中寒」で独立して登場することもあります。これは「莖中寒」という概念が存在する証拠ですね。

 加えて「莖中寒熱」、さらに「莖中熱」という語まで登場します。これは
 「莖中」が「寒」であったり「熱」であったりという現象が対立的に捉えられていることがわかりますね。

 この時点で検証が済んだように思いますが、他にもダブルチェック、多重チェックの方法があるでしょう、ご自身でさらに検証していただけたらと思います。

 
 この部分を含めた文を先行訳はこう訳しています。

  添精・益髓し、腎茎中の寒精の自出と

  鬼交泄精を治療し、粉末丸薬ともに服する。

 一読して、「原文に「てにをは」を加えただけやないかーい!」と少し古めのツッコミを入れたくなりますが(笑)、それだけでは誤訳にはなりませんので問題点はそこ以上に、先程検証した部分を「寒精」としていて、さらに「莖中」を「腎茎中」としています。

 これは明らかに誤訳ですね。実は現代医学用語に「腎茎」という用語はあるのですが、これは部位が陰茎とは全く違った部位です。

 ご興味ある方はどの部位かお調べいただきたいですが、では先行訳の訳者さんは原文の「莖中」を「陰茎」ではなく、現代医学で「腎茎」と呼ばれる部位を指すと解釈こう記したのでしょうか?

 だとしますと誤訳ではなく解釈の違いとなり、どちらが正しいのかの検証がさらに必要になってきますね。では「莖中」の「莖」は「陰茎」のことなのか、それとも現代医学でいうところの「腎茎」のことなのでしょうか?

 これも上記を参考にご自身で検証していただけたらと思います。

 もし「莖中」が本来現在言うところの「腎茎」のことを指していると検証ができたら、東洋医学、中国医学分野での一大新説として発表できると思います。

 最後の「粉末丸薬ともに服する。」とは日本語としておかしく、さらに引用元を省略しています。これらは誤訳ではありませんが、良訳とは言いにくい処置処遇と言えると思います。

 先行訳をお持ちの方は以上の点を参考に訳の検証をしてくださればと思います。

 ◆ 編集後記

 「単方」の「兎絲子」です。解説が長くなりましたので今号はこのひとつでお届けしました。たった短い文でもしっかり読んで、内容を掘り下げ理解して訳すとなると難しいものですよね。

 前にも書いたように、また上で見た先行訳が例であるように、実は翻訳そのものはさほど難しい作業ではないのです。

 上の先行訳のように、内容を深く吟味しなくても言葉をそのまま流れ作業で並べればひとまずの訳はできるからです。

 それを自分で理解し、内容を検証し、その訳が正しいのかを詰める作業が本当に難しいと言えるでしょう。そこまでしないと誤訳の可能性が高くなるため、一定レベルの訳ではそれが必要で、そこにその訳者さんの個性や実力が出ると言ってもよいかもしれません。
                      (2020.06.14.第370号)
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