メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─』第388号「氣爲精神之根蔕」(内景篇・氣)
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◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆
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第388号
○ 「氣爲精神之根蔕」(内景篇・氣)
◆ 原文
◆ 断句
◆ 読み下し
◆ 現代語訳
◆ 解説
◆ 編集後記
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こんにちは。前号で精の章を読み終わり、今号から気の章に入ります。
◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
・ページ数は底本の影印本のページ数)
(「氣爲精神之根蔕」p86 下段・内景篇・精)
氣爲精神之根蔕
東垣曰氣者神之祖精乃氣
之子氣者精神之根蔕也
▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)
氣爲精神之根蔕
東垣曰、氣者神之祖、精乃氣之子。
氣者、精神之根蔕也。
●語法・語釈●(主要な、または難解な語句の用法・意味)
語釈
根蔕(こんたい)根とへた。物事の土台。
▲訓読▲(読み下し)
氣(き)は精神(せいしん)の根蔕(こんたい)なり
東垣(とうえん)曰(いは)く、
氣(き)は神(しん)の祖(そ)、
精(せい)は氣(き)の子(こ)、
氣(き)は精神(せいしん)の根蔕(こんたい)なり。
■現代語訳■
気は精神の根底である
李東垣が言う、気は神の祖であり、
精は気の子である。気は精神の根幹である。
★ 解説 ★
精を読み終わり、順当に次の気の章を読むことにします。
まずは初めの項目「氣爲精神之根蔕」です。
この表題と初めの文を読まれて、思い出すところある方はいらっしゃいますでしょうか。
メルマガではもう2年以上も前になってしまいましたが、2018年の5月5日に読んだ、身形の章の「先賢格言」の項目の中にほぼ同じ文が登場していました。
面白いことに、気の章であるこちらの方が引用が短く、先賢格言の方が長いのです。ご記憶の方も少ないと思い、また当時ご登録でない方もいらっしゃるかと思い、その部分のみ再録します。断句の原文と翻訳のみを記載します。
内容ごとに適宜切って記載してみましょう。
東垣省言箴曰、氣乃神之祖、
精乃氣之子、氣者、精神之根蔕也。
大矣哉、積氣以成精、積精以全神、
必清必靜、御之以道、可以爲天人矣。
有道者能之、予何人哉、切宜省言而已。
李東垣の省言箴に説くには、
気は神の祖であり、精は気の子である。
気は精神の根幹である。
偉大なことではないか。気を積むことで精が成り、
精を積むことで神を全うすることができる。
清く静かな境地であり、
これを御するには道をもってすることで、
天人と成ることができる。
道を有する者はこれに通じ、私だけが知ることではない。
切にこの言を詳細に理解実践するべきである。
この気の章では初めの気に関する部分のみを抜粋していることがわかります。また「乃」が、今号の気の部分では無いこともわかりますね。
そして東医宝鑑に登場する順序としては、上の「先賢格言」の方が先で、その次に前号まで読んだ精の章、そして今、気の章に入ったのですね。
今にしてこの「先賢格言」のこの部分を振り返ってみると、この部分の伏線のようになっていたこともわかります。
さらに、東医宝鑑の章立ては、身形から、精、気、神と続くのですね。その視点でこの部分を読むと、この段階で精気神についての前振り的な内容が説かれていることに改めて気づかされます。
東医宝鑑は著作がひとつの宇宙であって、前後全体の繋がりで読むことが大切、とは何度も書いたことですが、ここにもちゃんと離れた部分に繋がる構成の妙が見えるようで興味深いところです。
◆ 編集後記
今号から気の章に入りました。前号のこの部分で書いたように、気の章を読むことで、東洋医学の根幹的な概念でありながら、いまひとつ実態の掴みにくい気というものを少しでも理解できる足掛かりにできたらと思います。
この項目は二段の文章から成っていて、どちらも短いながらも解説の都合でひとつだけお届けしました。次号は二段目の文です。
(2020.11.01.第388号)
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