メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─』第390号「氣生於穀」(内景篇・氣)1

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 ◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆


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  第390号

    ○ 「氣生於穀」(内景篇・氣)

       ◆ 原文
      ◆ 断句
      ◆ 読み下し
      ◆ 現代語訳
      ◆ 解説

      ◆ 編集後記
        

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 こんにちは。気の章「氣生於穀」に入ります。
 

 ◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
      ・ページ数は底本の影印本のページ数)

 (「氣生於穀」p86 下段・内景篇・氣)

氣生於穀

     靈樞曰人受氣於穀穀入於胃以傳與肺五
     藏六府皆以受氣其清者爲榮其濁者爲衛
   榮在脈中衛在脈外營周不休五十度而復大會
      陰陽相貫如環無端
              

 ▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)

氣生於穀

  靈樞曰、人受氣於穀、穀入於胃、以傳與肺、

  五藏六府、皆以受氣。其清者爲榮、其濁者爲衛、

  榮在脈中、衛在脈外。營周不休、五十度而復大會、

  陰陽相貫、如環無端。


 ●語法・語釈●(主要な、または難解な語句の用法・意味)


 ▲訓読▲(読み下し)


氣(き)は穀(こく)に生(しょう)ず

  靈樞(れいすう)に曰(いは)く、人(ひと)は

  氣(き)を穀(こく)に受(う)く、穀(こく)

  胃(い)に入(いり)て、以(もっ)て肺(はい)に

  傳與(でんよ)し、五藏六府(ごぞうろっぷ)、

  皆(み)な以(もっ)て氣(き)を受(う)く。

  其(そ)の清(きよ)める者(もの)は榮(えい)と

  爲(な)り、其(そ)の濁(にご)れる者(もの)は

  衛(え)と爲(な)る、

  榮(えい)は脈中(みゃくちゅう)に在(あ)り、

  衛(え)は脈外(みゃくがい)に在(あ)る。

  營周(えいしゅう)して休(や)まず、

  五十度(ごじゅうど)にして復(ま)た

  大(おほひ)に會(かい)す、

  陰陽(いんよう)相(あ)ひ貫(つらぬ)くこと、

  環(わ)の端(はし)無(な)きが如(ごと)し。


 ■現代語訳■
  
気は穀に生じる

  霊枢に言う、人は気を穀に受ける。穀は胃に入り、

  その気が肺に伝えられ、五臓六腑は全てその気を受ける。

  そのうちの澄んだものを栄気となり、濁ったものが衛気となる。

  栄気は脈中にあり、衛気は脈外にある。

  栄気と衛気は身体を運って止まず、五十度運って再び合流する。

  環に端が無いように、陰陽が互いに貫き合う。


 ★ 解説 ★

 気の「氣爲精神之根蔕」の次の項目、「氣生於穀」です。全部で三段の文章がありますが、まずは一段めです。

 まず穀から気が生じる機序について、またそれが栄気と衛気とにわかれることが説かれています。

 これを現代的にどのように解釈すればよいか、いろいろ考えてみるのもおもしろいかもしれません。

 東洋医学の概念は、今から見れば荒唐無稽な部分も多々あるかと思いますが、反対に今の科学では追い付いていない部分もあるかもしれません。残された記述を頭から否定せずに、ひとまず説かれている側の視点で見直してみることもまた必要な視点ではと思います。

 ちなみに、栄気と衛気は、上の訓読欄に既に読み方が書いてあるように、栄気(えいき)衛気(えき)と読みます。これは中国語で読めば全く違った発音なのですが、日本語ではどちらも「えい」となるために、慣用的に後者を「えき」と呼んで区別しているのですね。

 先行訳はこの項目が丸々省略されています。しかも、先行訳では前号部分から次の項目まで、原文にある11の項目全て省略されています。原文では、気の章の冒頭から途中まで、以下のように項目が続きます。

  氣爲精神之根蔕
  氣生於穀
  氣爲衛衛於外
  衛氣行度
  榮衛異行
  生氣之原
  氣爲呼吸之根
  胎息法
  調氣訣
  肺主氣
  脈法
  氣爲諸病
  氣逸則滯

 前号までに一番上の「氣爲精神之根蔕」を読み、今号で次の「氣生於穀」に入ったところですね。

 それを先行訳は、初めの「氣爲精神之根蔕」を「気は精神の根元」とし、次は「気は安逸をむざぼると停滞する」という項目で、原文で言うと上に挙げた最後の「氣逸則滯」まで飛んでいるのです。

 しかも、先行訳では項目立てに、

  一、気は精神の根元

  二、気は安逸をむざぼると停滞する

 とご丁寧に番号まで振ってあって、あたかも原文の順番で1、2と続いているかのような体裁にしています。これでは読み手には省略されていることがわからないどころか、元の原文でもこのように続いているようにさえ見えてしまいますよね。

 この場合、最も誠実な態度としては「この間十項目省略」などと入れるのが筋で、(というより最も誠実なのは省略しないことですが)、これでは省略したことを隠蔽したとさえ見えてしまう、翻訳作業としてはかなりの暴挙と言っても過言ではないでしょう。

 原文にはもともとこの番号は無く、しかも10もの項目、文の量で約1丁分、ページにして、本文全体で715ページあるうちの2ページ分もの文章を削って、何の断りもなく、しかもそれで「東医宝鑑」の名称で発行されているのですから、大本の編纂者さんがこれを見たら、差し止めを願うレベルではないかと思ってしまいます。先行訳をお持ちの方は、以上の省略を念頭に置いて読み進めていただけたらと思います。
 
 ◆ 編集後記

 気の章の続き「氣生於穀」です。

 次号で通算400号の配信となります。そして創刊からちょうど10年が経とうとしています。変わらず配信を続けられる諸環境に感謝しつつ、ひとまず書籍の発行までは、変わらず配信を続けていきたいと考えています。

                      (2020.11.15.第390号)
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