メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─』第373号「単方」(内景篇・精)7
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◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆
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第373号
○ 「単方」(内景篇・精)
◆ 原文
◆ 断句
◆ 読み下し
◆ 現代語訳
◆ 解説
◆ 編集後記
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こんにちは。「単方」の「白茯苓」です。
◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
・ページ数は底本の影印本のページ数)
(「白茯苓」p86 上段・内景篇・精)
白茯苓
酒浸與光明砂同用能秘精東垣湯液〇治心虚
夢泄白茯苓細末毎四錢米飮調下日三直指
▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)
白茯苓
酒浸、與光明砂同用、能秘精。東垣。湯液。
治心虚夢泄。白茯苓細末、毎四錢、米飮調下。
日三。直指。
●語法・語釈●(主要な、または難解な語句の用法・意味)
▲訓読▲(読み下し)
白茯苓(びゃくぶくりょう)
酒(さけ)に浸(ひた)し、光明砂(こうみょうしゃ)と
同(おなじ)く用(もちひ)て、能(よ)く精(せい)を
秘(ひ)す。東垣(とうえん)。湯液(とうえき)。
心虚夢泄(しんきょむせつ)を治(ち)す。
白茯苓(びゃくぶくりょう)細末(さいまつ)し、
毎(つね)に四錢(しせん)を、米飮(べいいん)にて
調(ととの)へ下(くだ)す。日(ひび)に三(み)たび。
直指(じきし)。
■現代語訳■
白茯苓
酒に浸し、光明砂と共に用いて、よく精を保つ。
『東垣』『湯液』
心虚により夢泄する者を治す。
白茯苓を細かく粉末にし、常に四銭を、
重湯に溶かして、一日に三度服用する。『直指』
★ 解説 ★
精の単方のうち、白茯苓です。
これも読みは特に問題ないでしょう、読んだ部分が増えるにつれて、既読の知識で文章も内容も読めるようになってくるようです。
先行訳ではこれだけ短いん文でもこれまた問題があり、一段落めの「能秘精」を「秘精剤」と訳しています。
そして、二段落めの「治心虚夢泄」を「心虚夢泄剤」としています。
つまりどちらも効用に対して「~剤」と、そのような分野の薬剤があるように訳出しているわけです。
それそのものにも問題がありそうですが、より大きな問題はその作成のしかたです。二つを並べてみましょう。
秘精剤
心虚夢泄剤
仮にこれを訓読してみます。
精を秘する(薬)剤
心虚の夢泄(薬)剤
上はまだ良いでしょう。精を秘する剤として理解できなくもないです。では下はいかがでしょうか?
上の読み方で言うと、「心虚の夢泄を促進させる薬剤」ということになってしまいます。これでは効用が真逆になってしまいますね。
少し前に「肉〓(くさかんむり從)蓉」を読んだ時に先行訳の「治男子泄精」の部分を「男子の泄精を助ける」としている点です。「助ける」が意味が複数にとれるような訳、文章の書き方を避けるべきと書きましたが、ここも同様ですね。
先行訳をお持ちの方は確認されて、補足や訂正をしていただけたらと思います。
◆ 編集後記
「単方」の「白茯苓」です。生薬ひとつでお届けしました。
メルマガの読解だけでは完訳がいつになるかわからないので、別に翻訳を進めている、とは以前この欄で書きました。
訳を進めるにあたって、該当部分の先行訳も参考に見ます。翻訳の参考に見る、というよりどこが間違っているか、省略があるかのチェックのために見ているようなもので、訳出の参考になる部分は正直少ないです。
そうして改めて先行訳を見ると、その誤訳・省略のあまりの多さを痛感し、暗澹たる気持ちになってきます。
私が東医宝鑑の翻訳を志した理由のひとつに、先行訳にあまりに誤訳や省略が多いのを見たことがある、とも以前書いたことがありますが、詳細に見て改めてその思いを強くしました。
何が良くないかと言うと、それが東医宝鑑の体裁・内容であると思われることにあると思います。東医宝鑑はもっともっと奥深く、また広い内容と体裁を持っているのですよ、と言いたいのですね。このメルマガを発行している理由のひとつにもそれがあります。
もっと大きく言えば、誤った内容を流布することで、日本の東洋医学界全体に悪影響を及ぼすとも言えますね。
翻訳していて思うことのひとつに、東医宝鑑は構成と内容がドラマチックに仕立てられている、ということがあります。
メルマガでも何度か読みましたが、淡々とした既述の他に、治験例として、物語仕立ての文章がまま挿入されていますよね。
それらなどは説話文学を読むような面白さがあり、それもまた東医宝鑑を彩るひとつの大きな要素と思い、編纂者さんは意識的にそうした物語的な治験例をちりばめていると思うのです。
それが、先行訳を見ると、取り上げられているものもありますが、多くはバッサリと削られています。
先行訳について、東医宝鑑の矮小化、という表現を何度か用いましたが、まさに体裁も内容も矮小化させられて、小さくまとまってしまった『東医宝鑑』なのです。
体裁について、内容について、さらにその面白さについても、矮小化、歪曲化されてしまっているのが、先行訳であると言っても過言ではないと思います。
それを読むにつけ、大本の東医宝鑑の編纂者さんに申し訳なく、またそのような形で流布されている東医宝鑑さんそのものも可愛そうで、こうして誰に頼まれたわけでもないのに細々と翻訳を続けています。
お時間のお約束はできませんが、できるだけ早く、かつ良いものをお届けするべく、現在鋭意翻訳作業を進行中です。今しばらく刊行をお待ちいただけたらと思います。
(2020.07.11.第373号)
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