メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─』379号「単方」(内景篇・精)13
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◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆
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第379号
○ 「単方」(内景篇・精)
◆ 原文
◆ 断句
◆ 読み下し
◆ 現代語訳
◆ 解説
◆ 編集後記
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こんにちは。「単方」の「蜻蛉」「〓(奚隹)頭實」です。
◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
・ページ数は底本の影印本のページ数)
(「蜻蛉」「〓(奚隹)頭實」p86 上段・内景篇・精)
蜻蛉
即蜻〓也止泄精炒(〓虫廷)
爲末或散或丸服本草
〓頭實(〓奚隹)
即〓仁也益精氣能秘精氣(〓くさかんむり欠)
爲末或散或丸或作粥服本草
▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)
蜻蛉
即蜻〓(虫廷)也。止泄精。炒爲末、或散、或丸服。本草。
〓(奚隹)頭實
即〓(くさかんむり欠)仁也。益精氣、能秘精氣。爲末、或散、
或丸、或作粥服。本草。
●語法・語釈●(主要な、または難解な語句の用法・意味)
▲訓読▲(読み下し)
蜻蛉(せいれい)
即(すなは)ち蜻〓(虫廷)(せいてい)なり。
泄精(せつせい)を止(とど)む。
炒(いり)て末(まつ)と爲(な)し、
或(あるいは散(さん)、或(あるひ)は
丸(まる)め服(ふく)す。本草(ほんぞう)。
〓(奚隹)頭實(けいとうじつ)
即(すなは)ち〓(くさかんむり欠)仁(けんにん)なり。
精氣(せいき)を益(ま)し、能(よ)く精氣(せいき)を
秘(ひ)す。末(まつ)と爲(な)し、或(あるひ)は散(さん)、
或(あるひ)は丸(まる)め、或(あるひ)は粥(かゆ)を
作(つくり)て服(ふく)す。本草(ほんぞう)。
■現代語訳■
蜻蛉
すなわち蜻〓(虫廷)である。泄精を止める。
炒って粉末にし、あるいは散薬、
また丸薬にして服用する。『本草』
〓(奚隹)頭実
すなわち〓(くさかんむり欠)仁である。
精気を益し、またよく精気を保つ。粉末にし、
あるいは散薬、また丸薬とし、また粥を作って服用する。
『本草』
★ 解説 ★
精の単方のうち、蜻蛉と〓(奚隹)頭実です。
これもどちらも読みは問題ないでしょう。既出の読みで全て解決できる範囲の内容ですね。
ただひとつ、蜻蛉の原文の冒頭に「即蜻〓(虫廷)也」とあり、訳もそのまま、「すなわち蜻〓(虫廷)である。」としてあり、言い換えるということは、原文を大本に書いた方にとっては「蜻〓(虫廷)」の方がわかりやすいであろう、という意識で補足したものと思いますが、現在の日本ではむしろ項目名の蜻蛉の方がわかりやすく、蜻〓(虫廷)の方がわかりにくいようで、訳もむしろわかりにくくなっています。
原文に忠実に訳すなら上記のようでよいですが、あえてわかりやすく訳すなら、「すなわちトンボである」など、噛み砕いて現代語にしたほうが理解はしやすいとは思います。
私はなるべく原文と原義を保つ訳を心がけているので、上記のように元のままにしておきます。
先行訳は、蜻蛉の「即ち蜻〓(虫廷)である。」の後を、勝手に「原蠶蛾と同じ」としてしまっています。
原文を見るとわかるように、どこにもそんなことは書いていず、また前号で読んだように、原蠶蛾の効用説明は、「益精氣、止泄精」で、こちらは「止泄精」のみですから厳密に言えば同じではありません。
これはやはり、たとえもし原文が同じで、文章が繰り返しになったとしても、訳者が勝手に「同じ」としてしまってはいけないと思います。
なぜいけないか、もうひとつ理由があり、東医宝鑑には、原文自身が「同上」などとしてあるところがあるのですね。
訳者が勝手に、任意にある部分を「同じ」としてしまうと、原文が「同じ」としたところを「同じ」と訳すのは当然で、両者が混同してしまい、読者には、どれが訳者が「同じ」としたのか、原文が元から「同じ」としているのかの判別がつかなくなるからです。これはやはり原文に忠実に訳すのが最善の方法と、私は思います。
もう一点、(〓奚隹)頭実の服用方法の部分で、
末・散・丸どちらでも良く粥で服用する。
とあります。これは、意味として、
粉末、散薬、丸薬、どれでも良く、
それらのどれかを選んで、粥に入れて服用する。
と読めますね。ところが、原文をご覧いただくと、
爲末、或散、或丸、或作粥服。
(末と爲し、或は散、或は丸め、或は粥を作て服す)
とあります。「作粥」の前にも「或」があるのです。つまり、
末、或散、或丸、或作粥
末 = 散 = 丸 = 作粥
と、この四種の方法は対等で説かれているのです。粉末でもいいし、散薬でもいいし、丸薬でもいいし、粥を作ってもいい、と言っているのです。
これを先行訳は前の三つの中から選んで、粥に入れて服す、としているわけで、似ているようで内実は全然違います。
粥を作るという方法は全体を通じてよく登場する方法で、中には薬を粥に入れて服す、という指定がしてある場合もあり、訳者さんはそちらに引きずらここもそう解釈してしまったのでしょう。
原文ではたった漢字一文字が大きな意味を持ち、それを外すと意味が全く違って読めてしまうことがほとんどです。
この場合は服用方法まで違ってくるのでその読み間違いの度合いが実用的にも影響があるため、看過できないものでしょう。
原文の読解では一文字を疎かにできない、ということを戒める良い例と思います。先行訳をお持ちの方は補足してくださればと思います。
◆ 編集後記
単方の蜻蛉と〓(奚隹)頭実です。今号も二つでお届けすることができました。
単方の残りは七つで、今後も複数を取り上げてお届けしたいと考えています。
(2020.08.23.第379号)
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