[雑記]3.11三陸帰省@震災12年目
最終更新2023年3月12日
淡白すぎたのでちょい追記しました。
3.11帰省は毎年
東日本大震災以後ほぼ欠かさず、毎年3/11には帰省して墓参り等をしてまして。逐一綴るまでもない恒例のことなのですが、今年は三鉄乗ったりしたので、健忘録的に残しておきます。
ほぼ欠かさず、というのは1回だけどうしても東京→岩手という移動は回避すべき年があり。泣く泣く諦めたまだコロナが未知すぎた2020年。それ以外の11年間は欠かさず帰省中。
ここ数年を振り返ると
一昨年、昨年までは感染対策上、実家には泊まらず地元の宿を取り。今年は2019年ぶりにホテルを取らずにそこそこ家でゆっくり出来ました。よきことかな。
特にお涙頂戴的なエピソードは持ち合わせておらず、淡々と写真を残すのみでございます。
先に、過去年の振り返り。
3月10日
今年は、横浜からの夜行バスで地元直行。
10時間半で到着。上京してもうすぐ20年、ほぼ毎回帰省はこのバスなのでもはや慣れっこ。
むしろ、こんな辺境の地に
首都圏からバス直行で帰れるなんてありがたやありがたや。
そうそう。
この時期、多くの観光客は150年記念JR東日本パスで訪れていたようですね。
と思ったけれど、この時期に
一人でぬいぐるみを持ち歩いていると「あぁ、あのクマは震災で死んだ姉(めっちゃ生きてる)の忘形見なのね」とか、想像されそうなので(んなことはないか)少し隠します。ここ4、5年で生き残っている親族、だいぶ少なくなったけれど誰の代わりでもないクマはクマ。
このHIーC懐かしすぎるんですが、全国区なのでしょうか?東北だけ?
というか、この時期に震災学習で訪れてくれるって
ほんと出来た学校だわ。首都圏の、教育がしっかりしている私学は東北震災学習やる率高しという説が、私の中で更に確固たるものへ。
先ほどの修学旅行生のように
陸前高田か、宮城の南三陸あたりでガッツリ震災学習してから、締めで盛駅→釜石駅で震災列車に乗るパターン多いですね。
釜石の奇跡とか、津波てんでんことか
要は、この鵜住居地区の人はとっとっと逃げる判断をして生存率高かったよということで、よく報道されていましたよね。
私情にも程がある、歪んだ考えなのですが
当時やたらと鵜住居素晴らしい!ばかり報道されて、じゃあ地震の後に大丈夫だべと逃げずに家ごと流されてしまった私の親族は…と報道意図とは別のところで引っかかってしまって。震災当初は津波てんでんこの特集が出るたびに、ちょっと腹たっていた記憶。
いやね、そういうことじゃないってのはわかるですが。ただのクレーマー思考だなとは思うけれど、なんかしんどかったよね。
今は普通に、鵜住居の民グッジョブすぎるぜ!と学ぶことも多いし。そもそも、そうネチネチ思い続けていたら、わざわざ一人でここまで来ませんからね。
釜石東中の生徒さんたちデザインと↓
実家帰って、ダラダラと
WBC日韓戦を応援し、まんまとヌートバー(たっちゃん)にハマる。あたしゃベタな日本人として、今年は全ての喜びをペッパーミルで表現するよ。
これで、夢に出てくるレベルで大好きな著名人/異性Ver.に、たっちゃんランクイン。
たっちゃん・j-hope・ディカプリオ・高橋一生さまの四天王が2023年春版わたしスキーリストとしてメモ_φ(・_・
*超脱線ですが、2月末のホビの入隊カウントダウン正式報道で、一晩泣き明かしました。
ちなみに震災列車は
仕事(修学旅行同行)で2、3回。その他、列車以外の震災学も何度か参加している上に、実際身内も被災してリアルな体験談を聞いている身として、今回はうーーーーーーーーーんでした。
まぁ、ガイド歴短い三鉄スタッフが頑張っているところを水を差すようで書くかどうか迷ったんですが。あまりに内容が…で。
そもそも今回
岩手日報の取材が入っており。そいつらの撮影で、車窓が塞がれて肝心なところ見えないこと多々。それガイドさんも見ていてスルーだったりで、腹立って全然話が入って来なかったのもデカいかしら。
仕事で参加した時は
生徒・先生と共に涙したりと、心に残るガイドさんばかりだったんですよ。
もし知人が震災関連を知るために、三陸を訪れるとするならば、語りはきちんと専業の方にリアルな現状を伺い、三鉄は三鉄で静かに景色を眺めながら乗るってことをお勧めしますね。
こちらの方々のお話は泣きました。
あとは陸前高田・気仙沼の伝承館ですね。震災を知るには欠かせない。
気仙沼伝承館でも流れている
この梶原さんの答辞は、何十回みても涙が止まりません。もう仕事とか生きていくことが嫌になった時に、己を鼓舞するためにたまに見るようにしています。
この答辞の映像。
仕事で伝承館で観ていて大号泣。そしたら申し訳なさそうに、先生から「別ブースで具合悪くなった生徒がおりまして対応を…。」と声かけれ気まずかった記憶。
震災学習がリアルすぎて具合悪くなった生徒の対応へ。震災及び平和学習中、メンタルやられた生徒対応あるある。
3月11日
9:40には宮古駅に到着し、三鉄の旅終了。
墓参りに向かいます。翌週がお彼岸ってのもあってか、意外と3月11日って墓参りする人少ないんですよね。
ランチは、お隣・山田町のうどん。
大体行くと行列、または麺切れで閉まっている人気店です。
まるで恵方巻きのようにロールケーキを食べる会員として、キンキンに冷やして一人で完食しました。げぷー。
前前前世や天気のやつにしろ、私はこの監督の作品が理解できない系おばさんなんだと思います。好きな方、ごめんなさい。
ラストのあのシーンというか
主人公は宮城で被災という設定かと思っていたので、こんな近所にかなり物語のキーとなる扉から設置?!と少々驚き。
隣の山田町や、扉の拠点?な宮崎にも同時設置されているみたいなので、特に細かい設定ないのかしら。
岩手では12年経った今でも
14:46にはきちんとサイレンが流れて黙祷の合図が出るので、途中でナムナム。
明日は仕事なので、いま夜行バスで東京に戻っているところ。
慰霊もそうですが、わたし自身が忘れないための儀式的な意味で、3.11帰省はできるだけ続けて行きます。
三陸いいとこみなさん是非おでんせ!で
締めたら良いのでしょうが、まぁそこまで見どころは...と地元愛薄めの人間にて、特にお勧めどころがなく申し訳ない。ただ、海鮮はぶっちぎりで美味いので、それだけは保証します。
蛇の目か魚元おすすめだけれど、普通にスーパーでパックの刺身でもクオリティ高いのでそれでもよし。
あ、NYタイムズで行くべき都市?世界2位になった盛岡のついでにでも、三陸寄ってくらいなら言えるかしら。
正直、2位の理由が一つもわからんけれど。
冷麺は、盛桜閣かぴょんぴょん舎かで派閥並みに好みが分かれて言い合いになるくらいの印象。それが盛岡。おわり。