戦争、戦略、分析系の天才論争についての考察(暇空氏、ぐり氏、堀口氏、凸者論争)

1 目 的


所見を述べる前に立場と目的を表明しておく。
まず初めに軍事論争については大きく推奨する立場である。例えば作戦A号と作戦B号があったとして2つとも戦いに勝つために作られた作戦であるのだから初めから否定をするのは間違いである。また仮にA案が最良となってもB案を出すことは無駄ではなくB案にも利点は存在し、B案を出すことでA案の欠点が見えてくる。その結果「修正A案」というより良い作戦が生まれるからである。この作業は各国共通であり、作戦参謀は必ず複数の作戦を考えるのが基本である。

しかし、我が国の論争はなぜかAorBに固執する傾向にあり、不要な人格攻撃等を絡めてお互いに最良の結論に導こうという姿勢が低調に思われる。現に本論争について多くの人物が暇空氏or凸者で軍配が上がらなかった方に無能のレッテルを貼る極めて不毛な様相を呈している。

それを考慮し、評価を進めと行きたいと思う。ただ予防線を張るようで申し訳ないが、正しい判断は正しい情報の元に成されるものである。仮に私が集めた情報(証拠等)に誤り、または不足がある場合は当然にその情報から判断される結果は失当となるため、提示して頂ければ訂正、改めて再度考察するためご配慮願いたい。

2 【戦争、戦略、分析系の天才】について

敢えて「分析」の文字に着目したい。分析とは科学面で使用したわけではないと思われるので、ある情報からある情報を導き出す行為である。なお日本では旧軍時代からこれを「(情報)見積」と呼んでいる。例えば敵が保有する兵器の情報と斥候の偵察結果から、「敵は恐らくこのような作戦行動を取ろうとしているのではないか?」と考察することである。

彼が「認知プロファイリング」と名付けているものについて彼の説明では「相手の文章から読み取れる相手の認知から、相手の背景や情報を読み取る技能」とあるためやってる事は同じである。

見積は計画立案に先立って最初に行われるものである。もちろん見積の精度(分析力)は現時点で判断は出来ないが軍事教育(士官教育)を受けずに参謀として最初にしなければならないことを体得してることについては驚愕に値する。才能という点で言えば天才を自称することにそれほど違和感はない。

3 【天才であればキン大の博士号】について

世界ランキング的には東京大学と同率以上の大学である。もっとも東大は戦争学がないためランキングは低いことを考慮すると同等としておく。

「天才」の定義は人によると思うが暇空氏が才能面で天才と言う言葉を用いた以上、単に学歴学力優秀は「秀才」の単語を使うことが多いと思われる。実際にキン大を主席に卒業しても天才とは呼ばれない。そのため「天才ならキン大(博士号だから院も含むのか?)を卒業するべきというのは、完全に見当違いである。

そもそも実力・実績がものをいう軍事部門論争において学歴で優位性を取ろうとしたのは悪手である。

4 凸者との対話(スペース)について

まず暇空氏の主張は
主意は防衛費増強
細部は専門家である自衛隊に委任
財源は増税である。
※自衛隊=防衛省と同義で使用したと認識しておく。

まず防衛費増強ということは、暇空氏は現在の防衛費は不足であるという立場なのは間違いがないと判断される。
一般的には軍事費=軍事力なので国防力強化のため防衛費を増やすという理論は誰も反論はないだろう。

議論となるのは予算の使用方法は防衛省・自衛隊の裁量に委ねるという発言である。
暇空氏の方法は、自衛隊が不正をしない範囲では予算を極めて効率よく防衛力に変換できる最良の方法であるが、自衛隊という日本国における最大最強の組織に裁量権を与えすぎるのは民主主義の軍隊、文民統制の原則に反するのでそこは少々物議を醸すかもしれない。
ただ、暇空氏は会話中「会社」という単語を用いたためあまり文民統制などの政治理論を考慮したわけではなく組織論として発言したと思われる。
また暇空氏はこの反論に対してあくまで現在の自衛隊に信用があるからとして絶対的に最良でないことを補足しているため、利点と欠点を理解した上で短期的な施策として発言したと判断される。

最後の財源が増税、というのはそれ自体が間違いではないが、予算増強を謳えば必ず財源の話になるため、増税の1単語のみではやや説得力に欠けてしまうだろう。もっとも年間数兆円の防衛予算を増強となれば必要額は当然に○兆円規模となるわけなので無駄な事業を1つ2つ潰した程度では確保できず、国民全体から集めるしかないため、本当に消費税アップとか国民全員に○○税導入とか、実際にそれが正解かもしれない。

続いて凸者について所見

まず凸者は持論、対案が存在さなかった。終始暇空氏の施策の弱点または問題点を指摘のみである。そもそも冒頭に延べたように完璧な計画というのは存在しない。それぞれに利点、欠点があり、欠点の指摘だけではその案を否定できない。そのため凸者は暇空氏より利点を有する案が出せなかったため議論に発展できていない。

具体的な兵器を言及した際に、暇空氏は改めて自衛隊の裁量に委ねる発言をしたが、凸者は兵器名をいうことを強調した。つまりこれで議論する場合、凸者は自衛官が選定する兵器よりもより有益な兵器を述べなければならない。しかし「超強力なレーザ」や「空母10隻」という発言が飛び出している。
ちなみに超強力レーザは置いといて、空母には戦闘力はほぼない。艦載機とそれを防護する護衛艦があって機能する。空母10隻の意味はなく、艦隊という意味なら空母10隻を問題なく運用できる艦隊を揃えたらそれだけで防衛予算を超過するのでそれこそどこから財源確保するんだ?と突っ込みたくなる。ちなみに敵国の制空を取る気がないなら日本海に空母を浮かべる利点はあまりない。向こうは日本海を渡るため海上に飛行場が欲しいが日本は別に日本海を渡る必要はない。これを考慮すれば暇空氏が「具体的な兵器装備品は自衛隊に任せる」論に軍配が上がるだろう。

5 ぐり氏の称賛について

暇空氏と凸者の会話については完璧に論破したとの評価だが、私は凸者が論破できているとは言えないと思慮している。また空母と航空機は切っても切れない関係であるはずだが空母10隻という部分に航空軍事記者と名乗っているが航空軍事専門家は空母10隻を含む艦隊は現実的な軍備増強案として賛成なのだろうか?
(明らかに防衛費を倍程度で済む金額にならないと思うし財源が増税の一手しかないと思うが)

アンドリュー・フォーク・ドクトリンについて

銀河英雄伝説においてはある意味伝説的な将校。ちなみにアンドリュー・フォーク・ドクトリンというのはないが軍事マニアはなぜかドクトリンと言う言葉をよく好む傾向がある。アンドリュー・フォークはあくまで帝国領侵攻の作戦立案者であってその程度でドクトリン等と称していては作戦参謀が持ってくる作戦案一つ一つにドクトリンを付けなければならない。

まぁ名称は置いといてアンドリュー・フォークは戦略戦術ともに目的が不明で各種問題点に対策がなかったというものである。作品では「行きあたりばったり」という表現が使われている。

おそらくは、ぐり氏は暇空氏の「防衛費を増額すれば防衛力はあがる、細部は現場の自衛隊に任せる」が行きあたりばったりでありフォークと同じであると思ったのだろう。

ただしこれは的を得ていない。なぜなら暇空氏の防衛費増額は政治家としての立場にたつわけだから、軍事専門家であるフォークが作戦の具体化を艦隊司令に丸投げしたのとは訳が違う。

そもそも軍人は戦略目的を戦術をもって達成するプロである。だからウランフは戦略目的を最初に確認している。戦略目的を示したあと、どういう戦術を取るかは軍人の仕事である。

物語後半になるがビュコックが「なるほど、帝国との交渉に有利になるために軍に協力を仰ぎたいということですね、よろしい」と回答している。ある程度の軍事的知識があるフォークには賛同しなかったのに対し、この会話に何一つ軍事的な話はないのに戦略目的が明確であったからビュコックは快諾している。

つまるところ暇空氏が「この金で帝国の侵略に対抗できる軍隊を再編せよ」と命じたなら戦略目的は明確であり軍は最善をつくすだろう。

銀河英雄伝説を元に批判するなら、その作品をよく理解する必要がある。

次に少々考えが飛躍している部分として、ぐり氏のプロパガンダに「(要約)暇空氏は、台湾を攻めるのに船は必要なのか?といって台湾が島国と知らなかった」と言うのがあるが、当然に数学に嗜んでいると「その結論はおかしい」となる。

「台湾は内陸国、よって攻めるのに船は必要ない」は、(変な前提を省けば)概ね真である。

しかし逆である

「攻めるのに船は必要ない、よって台湾は内陸国である」は真ではない。

会話の一部分だけを切り出すこと自体が褒められる行為ではないが、仮に暇空氏のこの発言から「暇空氏が台湾を内陸国だと思ってた」と結論付けたのは間違いである。もっとも分かっていた上で単に暇空氏の知識不足をアピールするためにそのように曲解をわざと行っているなら、もはや暇空氏の人格を叩く権利はないと言える。

また軍事的コメントなら「島国に於いて制海権、シーレーンの重要性を理解していないのか?」ぐらいに書いておけば軍事知識保有者として優位に立てるのに、と思うところである。

6 組織戦と個人戦

暇空氏と堀口氏が何とも煮えきらない戦いを繰り広げているのは暇空氏が組織戦を展開してるのに対し堀口氏は個人戦を展開してるのも一因である。

例えば学歴等を見る限りは堀口氏は法学部に在籍した経歴がある。その点で言えば暇空氏よりは法的見識があるとは言える。しかしながら暇空氏は既に弁護団を雇っており、詳細な法的事務はそちらが行っているだろうから暇空氏個人の法的見識の有無は問題とはならない。

また暇空氏のフォロワーも気にしなくてはならない。もちろんフォロワーの大半は私のような野次馬勢であるが、あれだけのフォロワー数ならば「その手のプロ」がいるものである。軍隊のような主従関係はないだろうが、好意的に助力することは充分考えられるため、単に暇空氏に個人戦で勝てると思って攻撃すれば手痛い反撃をくらう可能性もあるだろう。見えてる強大な戦力より見えない戦力の方が怖いものである。

しかし一番不可解なのは、将である暇空氏がわざわざ不利なスペースで個人戦を展開したのにその勝負から逃げたことである。残念ながら堀口氏の行動は撤退ではなく敗走に値する。暇空氏は正規の軍事学は修めてはいない。多少なり学を修めた人物なら完勝も不可能ではないのにその勝機を逃したのはセンスがない、またはそもそも軍事学などまともに修めていなかったのどちらかとなる。




※冒頭にある通り、前提に関勘違い間違いがあればこの考察については再考する。

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