堀口氏界隈 個人的観戦論

1 はじめに

 まず本論の前に、一応「戦」の専門家の端くれとして、どのような争いでも「戦いの原則」は成立するという考えを持っている。といっても多くの人は経験的に戦略・戦術の原則というのは理解していて、有名なところでは戦力集中の利(または逐次投入の愚)あたりだと思う。
 先手必勝や攻撃こそ最大の防禦は、どちらかと言えば自身の方針を強化するために使われたりすることの方が多そうだが、例えば旧軍の作戦要務令は、それなりに精神論もあるが、なかなか優秀な兵法書であり、戦後には企業用作戦要務令がそれなりに需要があった。
 そのため勉強の一環として私は結構「観戦」することは多い。どこの軍隊でも戦史は結構重要視されている。もちろんノーリスクで実際の行動判断と戦術原則を対比させて勉強できるのだから当然と言えば当然だろう。一般的に観戦と言うとスポーツのように、実際にはお気に入りの片方の応援と同義であることが多いが、そういう意味で私の観戦は応援という概念は薄い。

2 邂逅

Xユーザーの堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshiさん: 「暇空氏が「戦争と戦略の天才」を自称なさるなら、ぜひ弊学でPhD(博士号)を取得していただきたいですね。 えっ、近畿大学ご卒業? いや、その「キン大」じゃなくて、キングス・カレッジ・ロンドンで戦争学を専攻いただいて、その華麗なる実力を拝見したいものです。 https://t.co/izLQO058g0」 / X (twitter.com)

どういう経緯かは細部覚えていないが、少なくともこれが私が初めて出会ったツイートであったことは間違いない。ちなみにこの時はぐり氏だけ、見たことがあったくらい(認識としては航空機関係の評論家程度)

この時点では「まぁゲームの戦争が得意だからといって戦争の天才を謳えば、軍事を学んでいる人間からは良い思いをしないこともあるか?」というのが当時のぐり氏と堀口君の内情であると思っていた。

ちなみに私はゲームのうまさと戦術センスは否定していない。そもそも戦争を模したのがゲームである。勝負系のゲームが得意な人間は、駆け引き、実際に戦術のセンスを持ってたりする。一方で堀口氏はKCL戦争学科だという、ここで初めて知る学部学科であったが、何かしら軍事学を学んでいるのだろうか?という感想だった。

3 初期観戦論

 既に別にnoteで所感を述べているが、軍事強化について暇空氏が増税、自衛隊に細部軍備計画を委任するというものを示したに対し、具体性がない、空母10隻とかの具体的な意見を示した(自称?)自衛官が完全論破したとするぐり氏、そしてスペースを何だかんだで断り論評の土俵に登れなかった堀口氏3者を比べて、比較しなければならないという条件では少なくとも暇空氏を勝利と言わざるを得ないという評価をしている。(まぁこれについては暇空氏の不戦勝というべきか、2名の不戦敗とするかというレベルであったが)

4 学歴

 この時は私は普通に堀口氏をKCL学生であることを前提で評価してたが、既に敗北であると示している。軍事という実力主義の世界において学歴等ほとんど意味がなく、事実まともに論を述べることが出来ずに撤退して、むしろ咬ませ犬のようになってしまっている。まぁ話の流れで出た銀河英雄伝説を含む、軍事モノで出てくる士官学校主席はだいたい奇才系主人公の咬ませ犬なのもあるかもしれない。
 現在、その後、学歴については詐称疑惑が浮上して絶賛炎上中のようだが、ここで私の興味が他よりも微妙なのは上記の観戦論による。ようは学歴は暇空氏と戦う上で有効な戦術ではないと既に判明しているのだ。つまりそれに固執して証明戦をしている現在はまさにコンコルド状態ともいうべき無駄と言えるであろう。それを証明できたとして誰一人、堀口氏の軍事的才能を認めることはない。

5 戦略眼、戦術眼

 単純に暇空氏は軍隊として、経済力に勝っている。具体的に同盟関係というわけではないが、多数の支援者及び情報提供者が存在する。当然これに対して有用な戦術は一撃離脱となる。暇空氏はむしろ個人として弱点は多く、実際に経歴上軍事学は修めていない。趣味程度に軍事を勉強した人間であっても十分知能戦で勝利を治めることが出来るだろう。知能戦であれば完全に個人戦であるし、元々の争いの発端が「戦争の天才」なのだから、当初時点では圧倒的に有利な戦法を取れたにもかかわらず戦機を逃した。
 戦機を逃したばかりでなく、戦争という政治の一形態において長期戦がどれほど愚策であるかは言うまでもなく、既に1年が経過した。これを以て、もはや勝利を治めたところで戦争学という分野において全くと言っていいほど評価には値しないだろう。

6 今後の観戦

 基本的に応援という概念がないので、1戦略1行動毎に評価するようにしている。なので大局はあまり気にしていない。戦争は数次の戦闘の連続であって、指揮官の判断も連続して行われる。当初はこう判断した、しかし事情が変わったので次はこう判断した・・・と判断の連続である。大局的に圧倒的であっても、そのすべての判断が正しいまたは間違っていたということは基本的にない。その一つ一つの戦局で両者がどのように判断して動いたかというのが基本的に私の観戦論である。

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