私も言い切れない私の思いを(追記:向井くんみました)

人を好きになる → 付き合える or 付き合えない
しか進む道がないように思える。

人を好きになると、関係性に名前をつけようとする。
自分が心地いい関係は、きっと名前のある関係なんだろうと、それを求めて苦しくなる。



ここまで書いて、やめていたnoteを向井くんを見たので、もう一度書いてみます。


私が向井くんを観ていた期間は、そういう(上記の)トピックについてものすごく頭をぐるぐるさせていた期間と重なるので、
いつもより、深く自分の中に入ってきました。

毎話、哲学者のように深いことを言い出す向井くんでしたが、
最後まで通して、関係性に名前をつけることへの違和感とそうしない決意を肯定したいというお話だったように思います。

関係に名前を求めてしまうのは、安心したいからという傲慢なことかもしれないけど、うーーーんなんというか、最終話を見終えた今、自分の中には、まだよく分かんねーーなという気持ちが残ってしまいました。(向井くんはスッキリしてる表情でしたが)(それでいいんだ向井くん)

マミのラベリングへ違和感は、社会でイメージ化された役割に自分が当てはまることも元気くんがそうなろうとする行為も全部、嫌だということ。
マミの気持ちがいちばん素直によく分かった。
イメージ化された夫像に、自分自身がリンクさせようとしていることに自覚して嫌になるということ。
なんかすごくわかる気がする。

私も世の中的な彼女像に自分はどうやってもなれない気がするから。だし、きっとそういうものから離れている自己に焦って、焦っている自分が嫌になるから。揺らぐよなあ

向井くんのラベリングへの違和感は、
うーん正直まだ分からない。
付き合うってことを口に出さなかった向井くんに嬉しく思いながらも、
そんな宙ぶらりんなかんじじゃやっぱりまた悩むよなと思っちゃいます。

坂井戸さんの返答も、
なんとなく長く関係を続けていきたいし、向井くんのことは大切に思っているけど、
自分の結婚相手ではないっていうシンプルな感情な気がするな

まあそれでも関係を続けましょうねっていう
希望に溢れた最後だったってことだよね。
お互いに執着や嫉妬のないままで、
大切に思い合えるというのが、
異性でも成立すればいいんだけど。
本能が怖い。


またすぐ悩んじゃうかもしれないな、向井くん。
でもそれでもいいんだよ。ずっと幸せなんてなくて、今日が幸せでも、明日にはまた悩んでいるかもしれないってお母さんが言っていたでしょ。
それだけがすべて。

未来への期待だけでなく、現状に満足していく幸せも一緒に噛み締めていこうよ、向井くん。

好きだと伝えて、本当にごめんと謝った向井くんをみて、虚しくなったことは忘れないように記しておきたい。
人に好意を伝えて、謝るってなんなんだ。

私も最近、毎秒その人のことしか考えられないほど好きな人がいて、
でもその人には、私みたいな相手がたくさんいて、
それがものすごくかなしくて、怒っていたんだけど、
そう思ってしまう自分の傲慢さに気づいて辛くなって、
恋心でなければ、
もっと優しく、穏やかに関係を続けていけたんじゃないかと、
抱いてしまった恋心を恨めしく思ったこともあります。
そのくらい大切にしたいと思ってたから。

ついでにいうと、好きだから故に自分がしてしまった
友達には絶対にしないような行動や発言、感情が
今振り返っても本当に気持ち悪く、会うたびに
自分がどんどん嫌いになっていきました。

どこまでも わたしとあなた でいられる関係を、応援したいと思います。

ただシンプルに、大変な時は理由なく助け、辛い時や怒った時は話を聞き、嬉しい時は一緒に喜べる。
そういう人と長くいられたら、いいんじゃないかと思いました。

それが、向井くんにとっては坂井戸さんで、元気くんにとってはマミで、
私がその時思い浮かべたのは、高校からの大切な友人でした。

そう思える人がいるだけで随分幸せなことなんじゃないかと
そう思える気がしてきました。

元気だして生きていこう。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?