思うことをつらつらと

私がフランスにいる事の意味について考えている。考えが浮かんできている。 以下の内容はヨーロッパにいる人に対しての恨みや妬みの様に読めるかもしれないが、けしてそうではない。多くの良い人たちとも会えたし、やはりヨーロッパ、フランスで生きていきたいと真面目に思っている。 これは率直私が感じたことを記録として留めておくためのエッセイである。思ったことをつらつらと書きとどめているだけなので、洗練されてもいないし、誤字脱字もあるだろう(再編集するかもしれないが面倒なのでこのままとする)。

私はアジア人であるからという理由でなんとなく周りの人とは違う扱いを受けてきた。敏感に感じているだけかもしれないが、それが私の感じ取り方であるのだから仕方がないだろう、一つ記録として留めたい。

幼く見られる、というばそれだけかもしれないが、そうではない、幼く扱われる、つまり軽んじられるといえばいいだろう。それは偏に、日本語話者が話す英語はやはり言葉の選択が英語やラテン語、ドイツ語のそれと異なるため困難であることはある。加えて、ヨーロッパで話されている英語というのは、ヨーロッパの言語に近い言葉によって構成されているし、第一話している人たちがその国言語なので、アクセントもどことなく彼らの母国語に似ている。日本人が話す英語と、中国人が話す英語を比べてみれば日本人が話す英語の方が日本語話者にとっては聴きやすいのは当然だろう。ヨーロッパにいる人たちがそれをどれだけ理解しているかは分からない、どこかのタイミングで訪ねて見たいと思っている。

さて、言語的なことだけが原因かというとそうでもないようである。 英語が流暢に話せる人でも、やはり同じような扱いを受けていることを見る。そこで、これは見た目の問題なのかといえばやはり単純にそうでもないようである。ヨーロッパで話される言葉が流暢に話せないというアジア人が大半であるため、アジア人という抽象概念として、幼く、適当にあしらうことができる人々というイメージが作られてしまうのであろう。

ここからが本題である。ではそのような考えを念頭に置いて、私にできることはなんであろうか?それはおそらくアジア人の印象を良くしていく、身近にアジア人を感じることができ、異様な存在ではなくすることである。変化は少しづつだが、着実であろう。アジア経済が欧州に与える印象も強いが、それは単に経済的に魅力な存在であって、やはり、文化の面では受け入れられているのとは違う。

ヨーロッパにいる日本人は日本の代表であると思って過ごしてほしい、少なくとも私はこうゆう考えをいつも頭の片隅には留めておきたい。いったいいつの時代の考えかと思われるかもしれないが、こうゆう考えが古くさくなるにはまだまだ長い時間が必要だと感じているのが正直な実感である。

できる事はつまり、ヨーロッパの文化を深く理解し、言語的な面で劣らず、 かつアジア、日本の文化を良く伝えることができる存在として欧州で生きていくことである。

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