チャイメリカ ジョーに寄り添う

舞台 チャイメリカのストーリーのネタバレを盛大にしています。

これから観劇予定の方はご注意ください。



舞台チャイメリカ、東京公演の序盤を観劇して数週間経った。

早川書房「悲劇喜劇」に掲載された翻訳版を読みつつ、SNSなどで観劇した方の感想や考察などを拝読しつつ、主人公ジョーについてずっと考えていた。

チャイメリカという戯曲のミステリー的な面白さは何と言っても、戦車男の正体が誰であるのか、という点だろう。

あの写真に写っている光景の前後、背景、見えない部分を描いた物語が衝撃的で、中国側の登場人物に感情移入し、(語弊はあるが)同情し、結果的に浅はかと言わざるを得ない使命感と、遠い理想ばかりを見てすぐ側にある問題には無頓着だったジョーには、苛立ちすら覚えた。

(苛立ちはそのまま観客である自分自身へも向けられる)

観劇から数日経ち改めて、あのラストシーンからのジョーに想いを馳せるようになった。

ヒロイズムを信じていたジョー。

周りの者がみな家庭を持ち、子供を持ち、組織に属している中で、ただひとり、身一つ、カメラ一つで生きていこうとしていたジョー。

いつまでも少年のような理想を追い求めて、戦車男の背中だけ見ていた彼が、男の正体を知り、男の持ち物の背景を知り、自分が信じていたヒロイズムの輪郭がぼやけ始めた時。

絶望するだろうか?

すべて投げ出すだろうか?

答えはノーだと私は思いたい。


先日、チャイメリカ上演後にキャストや世田谷パブリックシアターの芸術監督である野村萬斎さんが登壇してのポストトークなる場が設けられた。

参加された方からの伝聞ではあるが、ヂァン・リンを演じた満島真之介さん曰く、年老いた作家が人生の仕上げに差し掛かって書いた懐古的な物語ではなく、若い世代(原作者のルーシー・カークウッドさんは1984年生まれ。主演の田中圭さんと同じ歳)の、今を生きている人が書いた物語(要約)のようなことを仰っていたらしい。

決してこれは30年前の遠い国の物語ではなく、今現在の、そしてこれから先にも続く物語だと思う。

ジョーはあのラストシーンの後、きっと変わったし、そしてそれはそのまま私たちの変化、気づきでもあると思いたい。

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