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占術はなんのためにあるのか

このところふと、考えることがあります。それは占術って一体なんのためにあるのか、ということ。

Twitterで定期的に占術の数の多さだとか、何が必要でそうでないかとか、占術マウント的な(自分の占術が一番だ、自分がやってる占術をやってない人はダメのような)つぶやきを見かけます。普段はスルーして考えもしませんでしたが、ふと占術はなんのために、誰のためにあるのか、と思ったのでした。

なんのために、といえばもちろん、占いをするためであり、誰のためかといえば、依頼者さんのためでしょう。それは当たり前なのですが、もう少し掘り下げて考えたことを言語化してみます。

私がプロ占い師を始めた時は、私がまともに占いとして使えたのはタロットだけでした。とある講座の10年選手の占いの先生からは「命卜相を揃えるのが一昔は一人前」と教わりました。その時点で数秘術も学んでいましたが、使いこなせるまでにはいきません。プロデビューしてからはひたすらタロットで占う日々が続きます。

ただし、チャットから対面にも場を移し、自分が鑑定の現場を踏めば踏むほど、命占の必要性を感じます。ロングスパンで人生を聞かれることが増えるからでした。また、相占も手相を自然と出されるお客様や、最初に手相がみれるかどうかを聞いてブースに来られる方も多く、必要な知識なのだと感じたものです。

鑑定場所や時間にもよるので全部の占術を網羅しなくてももちろん鑑定は成り立ちます。ですが、依頼者さんのニーズに幅広く対応したい、お応えしたいと思ったらやはり上記の3種は必須かな、と思うこの頃です。もちろんすべてを極める必要はあるけれど、難しければ1つだけメイン、あとはサブでもいいのです。私が見る限り、どの先生も一番強い武器は命占、もしくは卜占と結構分かれているものです。

そして、どの占術もなんのためにあるのかという根本は、「依頼者さんの人生を占いという道具を使って可視化し、先を見通す可能性を秘めたもの」であり、絶対にその依頼者さんがそのとおりの人ではないし、その占いどおりになってしまうわけでもない。あくまで、「その占術を使って、しかも、その占い師が読んだ場合のその人」なのです。本当のその人がどういう人なのかは、占いでは計り知れない。

占いへの信頼感は占い師はもっていなければダメだと思います。ですが過信しすぎて、(この場合は、占いをというよりは自分のリーディングを、という方が正しいかもしれませんが、)依頼者さんの人生を決めつけたりし始めるとどんどんと本来の依頼者さんを見失っていきます。あくまで、自分が占いというものを通して、この人の一部を見ているという感覚と、占いへの畏れを持ち続けることが大事なように思うのです。

それができれば、くだらない占術マウントや慢心に陥らないように思います。占術はどれも、先人が積み重ねてきたからこそ現代に残っているもの。そうではないものはきっと淘汰されてきたものも多いのではないか。それに敬意を払うことや、なぜ残ってきたのか、(的中率が高いとか使いやすさなどいろんな理由があるでしょう)を考えれば、その基礎土台を先に踏襲したほうが、早いとも思うのです。つまり、どの占術も理由があって残っており、優劣というのは大きな視点で見れば実にくだらないと私は思います。

もちろん一長一短はあるでしょう。相性もあるでしょう。それは使う人間の工夫であり、占術は何も悪くない。

そして、それぞれの占術を使っている占い師がいるわけで。互いを尊重しあうことが、多様性を重んじる占い師の姿勢のように思います。言葉には重みが伴う。プロ占い師として自分の言葉の重みに責任を持ちたいものです。


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