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両親を思い出して思うのは、どちらも、相手から幸せにしてもらおうと考えている二人だったのだろうということ。ケンカで飛び交う言葉をまとめると、どちらも「なぜ私の望むようにしてくれないんだ?」に集約されると思う。そんなの無理だよね。違う人間同士が、自分の望みを相手に伝えないまま、察して自分が喜ぶ行動をしろなんて、どういうテレパシー? 父は母の気に入らない行動を見ては「(母が)常識がわからない(からダメなんだ)」と憤り、母は父が何もしないのを見て「私のことを助けてくれない」と父を罵った。どんなカップル?

どんな関係でも、相手からもらおうとするとうまくいかないように感じる。相手からもらおうではなく、相手に提供しようと思っている方がうまくいくのではないか。もちろん、相手が人を利用して何か奪ってやろうというタイプなのであれば、そんな相手は捨てればいい。親だろうが兄弟だろうが友人だろうが知り合いだろうが関係がない。「親なんだから」「兄弟なんだから」「友人なんだから」「知り合いなんだから」そんな言葉に惑わされる必要なんてない。私もそれに縛られてきたが、そんなのは関係が無かった。ただ相手は一人の人間で、その一人の人間が私とどう関わりたいか、私が相手とどう関わりたいか、それだけだった。

全員に対し、相手に何かしたいと思えるわけはなく。であれば、そう自分が思える相手を見つけることの方が重要ではないか。もし、自分が何かしたいと思える相手でなかったとしても、誰かにとってはそういう相手かもしれない。だとすれば、気にせずその人を手放せばいいだけ。

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