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8分でわかる大分県姫島村(補遺)

こんにちは、牛乳屋です。

動画について、たくさんのご視聴・コメントありがとうございました。
…というわけで、今回もコメント返しをやっていこうと思います!
ではでは、さっそくはじめましょう~

「どうやって村のこと調べてるんですか?」

毎回、膨大な資料と格闘しながら作ってます(笑)
…とはいっても、基本は村の名前でググったり、村のWikipediaとかをざっと眺めて、気になる単語や出来事があればその都度検索して裏を取っていく…って感じです。村公式の情報・新聞記事・学術論文なんかが出てくると「よっしゃ!」ってなりますね(信頼性が高い)。いちおう、使った資料はすべて最後のクレジットに載せています。

本格的にやろうとすると、村役場が出してる郷土資料を取り寄せて…ってやるのが一番なんでしょうけど、そんなことをやっていたらいつになっても動画が完成しないので、ネット検索でお茶を濁しています。笑

「リフォームしたんだ」「収録場所が変わった!」

おかげさまでこのシリーズも今回で10作目…というわけで、思い切ってスタジオを変えてみました! いかがでしょうか?
ただ、ちょっとコメントが見づらくなってしまったので、次回からは色設定変えてみようかなと思ってます。
(背景作者のみんちり様、アドバイスをくれたMioさん、ありがとうございます!)

「村のことを考えてくれる村長でよかったね」「これは銅像が建つほどに優秀な村長ですわ」

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かつての主要産業だった塩田の廃止で存亡の危機にあった姫島村を、見事に立て直した先代村長・藤本熊雄さん(在任:1960-84)。
その功績をたたえ、村の名誉村民に選ばれているほか、有志により銅像まで建てられています。

ところで、名誉村民は彼のほかにもう一人いまして、西村英一さんという方です。

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彼は姫島村生まれの官僚で、1949年に国会議員に当選。以後、佐藤栄作田中角栄内閣をはじめ歴代内閣の閣僚を務めた人物です。1983年に引退するまで、自民党のご意見番として存在感を発揮しました。

熊雄村長が改革を成し遂げられたのも、そんな西村氏が中央とのパイプ役を担ってくれたお陰だと言われています。姫島村の復活劇は、村長だけでなく西村氏の功績でもあるってことですね。

「世襲しちゃったのがなぁ」

1984年に熊雄村長が亡くなると、息子の昭夫さんがその後継として村長になります。人口グラフなどを見ると確かに彼の代から人口は急減していますが、昭夫村長とて決して暗君だったわけではありません。

80年代、日本はバブル景気に沸き、各地で大規模な開発が進められました。当時建設されたリゾートマンションが売れ残り、投げ売りされている…みたいな話は聞いたことのある方も多いんじゃないでしょうか。
しかし、姫島村ではこの手の開発は一切行われませんでした。昭夫村長はもと日本住宅公団(現・UR)の職員で、乱開発の結果がどうなるかは百も承知だったからです。ほかにも、空き缶デポジット制(缶ジュースに代金上乗せ→回収時に返金→リサイクルを促す)などの画期的な政策を実行しています。

デポシステム

おそらく、姫島村の運営が上手くいかなくなったのは、単純に「村民を村から出さない」という熊雄改革の根本的発想が時代に合わなくなっていたからだと思うのです。
日本がどんどん豊かになっていく中で、(言い方は悪いですが)生活の不便な離島に人々を閉じ込めておく政策そのものに、魅力がなくなっていたのではないかと。

「村長を尊重してたんだな」

せやな。

「開発独裁ですな」

発展途上国(のリーダー)が先進国に追いつくため、国民の生活を犠牲にしてでも、国の経済発展に必要な部分に資本を投入しまくる……こういう政治体制を開発独裁といいます。中国やシンガポールなんかは、開発独裁体制によって経済が発展している典型ですね。
姫島の場合は「揉め事を避けるために村民自ら独裁を選択した(=権力者側の都合ではない)」という点で若干違うのですが、結果的に民主主義が否定されているという意味では同じです。

かつて開発独裁体制をとっていた国の多くは、政治腐敗に陥り、国民の不信を招いて民主化する、という歴史をたどりました。
…それを思うと、2016年の村長選挙は、姫島村にとっての「民主化」だったのかもしれません。結局今も村長は昭夫さんのままですが、村民の意見が示されたことで「独裁体制」が失われたことには、大きな意味があるのではないでしょうか。

ちなみに2020年の村長選挙には、前回敗れた敏和さんがまたまた出馬。前回よりも若干得票率を伸ばしましたが、昭夫村長には及びませんでした。
――次の選挙は2024年。
姫島村がこれからどうなっていくのか、楽しみです。

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それでは、また次の動画でお会いしましょう!
ばいばーい。