note⑫トメさんの赤いおべべ(予告編)
シケモク
戦争が終わったらしい。
闇市に向う路上に落っこっていたシケモクを背中の子どもが
あるよという。
お母さん!そこに在るよという。気が付かないのお母さん、と。
子どもの声がどんどん大きくならないうちに、わかってるよと女は道端の誰が吸ったかわからないそれを風呂敷に隠した。銘仙の着物を米に変えた帰りにである。
https://note.com/honeydont/n/n07f4f33c2564<iframe class="note-embed" src="https://note.com/embed/notes/n07f4f33c2564" style="border: 0; display: block; max-width: 99%; width: 494px; padding: 0px; margin: 10px 0px; position: static; visibility: visible;" height="400"></iframe><script async src="https://note.com/scripts/embed.js" charset="utf-8"></script>
ひろ子さんは、漢字では洋子と書く。永田洋子と同じだったが、どうしてその漢字なのかはわからない。あの年齢なら,紘子という漢字が多いはずだ。八紘一宇から由来する。
私の母親は、そそくさと何やら荷物を抱えて出かける準備をしている。いつものように勝手にわたしの部屋に入ってきて
ーーこれ、借りるわねーー
とわたしの手提げ袋を持って行った。
それは楽譜も入る大きな手提げで、残り布、毛糸をフエルト化したもの、ボタンやビーズで、女の子のアップリケがついている。三つ編みのおさげの髪は毛糸で編んであって、留めてないから、風におさげが揺れる。
母親が作った。
大きなバッグはなかなかない。パッパと既製品を買ってくる人だったけど、サイズがないのでめずらしく作ったのだろう。
嫌々なのに、その手提げ袋を貸した。
いいわよ!と、言った覚えはない。
その日帰った、わたしの母親は、手提げ袋を持っていなかった。
――欲しいっていうから、あげちゃったーー
平然となのか、躊躇なのか、わからない。とにかく、わたしの手提げ袋は帰ってこなかった。今でも、そして、これからも。
なんで、あげちゃっったのよー。わたしが大好きな手提げ袋を!わたしは泣き喚いた!覚えていない、実は。
ただ、その日のご飯を拒否し、抵抗した。それだけ、覚えてる、世界がどうなってもいいという感覚だけはある。
ひろこさんは、精神病院にいた、つまり、入院していたらしい。面会に行くため,わたしの母親は、画集を買った、らしい。大きなサイズが入るバッグがない。そこで、わたしの手提げを思い出したのだろう。
わたしは、泣いた!どうしてあげちゃったのよー。わたしの大好きな手提げ袋を!
その後も、一緒に、外出許可をもらって、ご飯を食べに行った。どうして身内でもないのに、閉鎖病棟の彼女が、外出できるんだろう。謎だ!わたしの妄想では、きっといつものように、然るべき権力と忖度して、外へつれだしたのだろうか!きっと、それはわたしの妄想!
世の中丸く収めるには、病院の医者と看護師が偉かったんだと、言うことに、しておこう。
ひろこさんの言動は、つぶさにわたしの記憶にある。私の母親と、バニラアイスを食べた時、バニラビーンズを知らなくて、カビが生えてると騒ぎだしたことなど。
何十年かして、
わたしは、プラザの似たような雰囲気のバッグをみつけた。おかあさん、あなた、ブランドじゃない!スゴーイ!もちろん、素材は違う、だけど、雰囲気が似ている。
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