価値観の形成

こんにちは。とっとです。とある人の価値観の形成にまつわる文章を読みました。自信のつらかった過去を振り返り、自己を分析し、自分の道を進もうとしてるのに感動しました。そこで、私もどのように自己の価値観が形成されたか振り返り述べていきたいと思います。

私には兄がいます。小学生の頃私はよく兄に張り合っていましたが、兄には何をやっても勝てませんでした。運動で戦うと手も足もでず、勉強でも勝てない。ゲームをしてもボコボコにされ、当時負けず嫌いが強かった私はよく泣かされていました。

エピソードを思い出すと、練習を重ねサッカーのリフティングの回数を10回出来るようになった時がありました。これで兄に勝てると私は思ったのですが、実際はそうではありませんでした。ボールを買ってもらった時期は同じはずなのに兄はすでにリフティングが20回出来ている。成長の加速度が違うことを小学生ながら痛感しました。

負けず嫌いが続き、中学になりました。私は兄とは違うバスケ部に入りました。ちなみに、兄はサッカー部に入ってました。

バスケ部で研鑽を積み、時間が経つにつれてバスケがどんどん上達していきました。中1のとある日に、私は兄とバスケをする機会がありました。その時の勝負で初めて勝ちました。本当に、兄には勝ったことがなかったので、私はとても嬉しい気待ちになりました。そこで、同時に相手の土俵で戦わず、自分の得意な土俵で戦うことの大切さを学びました。それ以降、私は特定の人に対する負けず嫌いが無くなりました。この分野では勝てないけど、この分野なら勝てるのように「場合分けした負けず嫌い」が私の中に生まれるようになりました。

この「場合分けした負けず嫌い」を心の内に秘めて、私はそれからの人生を歩んでいます。だから、何をやっても勝てそうにない人がいたら、勝てそうな分野を極めその部分で優位性を示すように努めています。高校のバスケ部では、シュートだけをひたすら極めて優位性を確立しようとしました。

そんなこんなで、私は別に負けても良いと思っています。この点では勝てるというポイントを探して、その部分をより伸ばす方に全力を注ぎます。

以上が勝負事についての価値観の形成です。


私にはそれと両立するもう一つの価値観があります。それは真面目でとにかく倫理的な行動を心がけるというものです。これは過去の恐怖体験から来てます。中学のバスケ部の顧問が今で言う体罰教師でした。

授業寝てたと言う情報が先生の元に届けば、バスケ部としての自覚が足りていないと言ってビンタされます。また、練習を怠けたり、声が小さかったりすると厳しい叱責や怒号を受けます。そういった経験があり、軍隊のようなバスケ部生活を送っていました。窮屈ではありましたがルールや規範を守らなければならないといった価値観がそこで潜在的な心理まで形成されました。

だから、以降の日常生活で私は提出物未提出や遅刻などはほとんどしたことありません。こういった真面目さがこの中学時代の軍隊のような部活動で身につけました。

この場合分けした負けず嫌いと、染み付いたルールを守るという気待ちが私を形成しているのかなと思いました。

堅そうに見えるけど、普段はやることやって力を抜くときは抜いて、割と適当に生きています。

これが価値観の形成かどうかはわからないけど、まあ今でも強く印象に残ったらエピソードかなぁと思ったので書きました。

読んでくれてありがとうございました。

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