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「世界で一番美しい少年」を観た

「ベニスに死す」のタジオ役、ビョルン・アンドレセンのドキュメンタリーを観ました。 彼について知っていることは、とにかく美しい少年だったということと、アリ・アスター監督の「ミッドサマー」に出ていたという事だけです。

 ただ事じゃない美少年でも歳をとるのだ、という事実に安堵したと同時に、ただ事でない美少年が老いるとただ事ではない雰囲気の老人になるのだという不平等感に襲われたことを覚えています。

 内容と詳細は気になったら観てもらうとして、私自身のまとめがてら感想を書いておこうと思います。

 100分ほどある映画の大まかな内容は、「世界一美しい少年」と称されたアンドレセン氏の生涯をなぞることで、彼が受けた搾取をつまびらかにしていくというものです。

 祖母のちょっとしたミーハー心と、監督の審美眼でなにも分からないままスターになってしまったこと。それに伴って性的な、あるいは労働力として、または彼自身の外見を搾取されたこと。少年時代の傷が大人になってもなお彼を苛んだことを、煙草に焼けて低く、また大きな弦楽器に似て穏やな声が諳んじるのを聞きました。聞けば聞くほど、世界一美しい少年は、少し気が弱いただの少年でした。

 子役が受ける性的搾取への問題提起の映画である、と言うのは前もって知っていました。ビョルン・アンドレセンの境遇について悲しくも思われ、またあってはいけないことだとも確かに思いました。

 そんな映画の序盤と終盤には、彼の人生が狂った瞬間、ヴィスコンティのオーディションの映像が流れます。二回目にそれが流れる頃には「美しさゆえに非人間的」だったビョルン・アンドレセンのイメージが、「ちょっと変わった人」に変わっています。だからこそ、オーディションの最中の彼が戸惑っているのもよく分かりました。「そこを歩いてみて」とか「ちょっと服脱いでみて」とか言われたときも15歳の少年相応に嫌がって見えました。知らない大人とカメラの前で上裸になる事を嫌がっている。のに、私はそれを見てやっぱり「きれいだな」と思いました。「ずっと見てられるな」とも。

 それは、あんだけ自分の意思に反して消費されてきた人を、自分が今また消費していることを意味します。気づいて、ちょっと死にたくなりました。だってさっきまで彼を搾取していた大人をあんなに憎んでいたのに。一瞬で矛盾して、彼のことをきれいだな~って見ている私って、全然きれいじゃないわ、と。死にたくなって、また画面を観ると、やっぱり彼はきれいでした。

「世界で一番美しい少年」ぜひ観に行って下さい。


 

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