わたしのファッション歴
オフ会までにもうちょい自己開示しときたいな〜と思いながらもうあと一週間。何をやってたんだろうね。今回はファッション歴を語って行くよ〜。(今回は普段のわたし風?に書いてみるよ〜)
小学生までは母と祖母の作った服を着てた。当時はかなり細身で、常に同級生より頭二三個飛び抜けてた。小学生5年生でほぼ現在の身長(163cm)に到達。けど、高身長なことに悩んだことは一度もなかった。多分、幼稚園生の頃から「将来はスーパーモデルね」「格好いい」「大きいわね〜!(高音)」と好意的な反応を先生や同級生の親たちに言われていたのもあるだろうなと思う。日々肯定を浴びてた。見た目のことをマイナスにとやかく言われることがゼロだった。あとはまあ、基本的に悪意に鈍感。顔にかなり大きな目立つ痣があるけど、それついても二十歳になってから職場の無神経な男性に聞かれるまで、誰一人として「それ、どうしたの?」とすら聞かれなかったのは本当に奇跡。(今はかなり薄くなって、ニキビ跡みたいになってる) 私の気が強かったから?いや、そうでもないときだってあったのに、生まれてから二十年間、誰も聞かずにいてくれたんだと、そのときに気がついたよね。皆優しいっていうか、「人の見た目にとやかく言うのはよくない」って知ってたのでは。お、大人だ…。それか、悪意に鈍感な私が全く気がついてないだけか。この痣を気にして生きて来てたら、きっと今と全然違う表情になってたと思う。誰にでも真正面で笑顔を向けるとか出来なかったんじゃないかな。人に恵まれました。
ちなみに、祖母は仕立て屋を営んでた経営者兼職人なので、常に身体に合う物を仕立ててくれていて、これが自分で服を選ぶようになってからも役立ってくれてると思ってる。既製服探したら普通に困ってたと思うくらいには大きかった。中学の制服も全部解体して仕立て直してくれた。もちろん、「ちゃんとした服を着てた」反動は高校生のときにばっちり来たよ✌常に花柄のワンピース、スカート、母の編んだニット、たまーにパンツ(柄)だったのでシンプルなTシャツとジーパンに憧れてた。お下がりとか既製品って感じのちょっとサイズあってない方がお洒落だと思ってた。贅沢者め。
中学は365日ほぼ部活の生活だったのに私服に目覚めた不思議。雑誌を買い始めたのは中2の途中だったと思うけど、中一から急に服を選ぶ楽しさを知って、全然発色しないプチプラのコスメとかも買ってた。ヨーカドーとか近所の安売りのお店とかでお小遣いで。この頃から素材には気をつけてた。(母と祖母からの受け売り)
なんか、こう、素直にローティーンな格好してたと思う。(たぶん)
高校生になる前にCUTiE、Zipperに出会う。笑った人は仲間〜🤝いわゆる黒歴史をガンガン更新してバシバシ着てった。すっごい楽しかった。だから私にとって黒歴史は虹色歴史。小学生まで散々ワンピースを着てたので、とにかく「女の子らしいワンピース」が嫌だった。ワンピースを着せられてたのは、祖父が女性の正装はワンピースだから、という理由で祖母がワンピースを着ることを好んでいたのが源流にあり、小学生の頃は本当ワンピースばかり着てた。
この頃に偶然見つけた原宿の美容師のカットに感激する。今はそのお店も大きくなって、表参道の人気店に。美容師さんは現在クリエティブディレクター。私まじで見る目あんじゃんね。今よりよっぽど髪に気を使ってた。まあカラーは校則で禁止されてたのでカットだけだけど。カットだけで何処まで校則内で遊べるかのチキンレースをひとり開催してた。当時土屋アンナちゃんが半分を坊主にして半分ショートっていうヘアスタイルしてて、それにしようと思うと話してたら教師に聞かれて「うちの校則だとそれやったら全部坊主だよ」って言われてエーとか言って止めちゃったけど、やればよかったと心底後悔してる。坊主も一回やっときたかったし。この頃はパンツスタイルばかり。デートのときは流石にスカート履きたいな!?ってなってスカート履いたときに「えっやっぱりこういう服も好きかも〜」って思ったの覚えてる。多分似合ってたからだと思う。そうだ、そのときに合わせる靴がなくてパンプス買いに行ったわ笑 やっぱり靴なんだねぇ…。バッグは覚えてない。そんなとんちきな髪型してたのにヘアスタイルはどうしたんだろうね?
その後は身体壊しつつも今みたいに
(((衣類でいいです………)))
とはならず、ファッション欲はちゃんとあったので、バイト→服に使う。みたいな、お金を使う対象は服!みたいなことになってた。自分で選んだ服が増えてくだけで嬉しい時期。
アパレル店員をちょこっとやる。何故か30代後半〜40代向けのブランドに配属された。フェミニンなファッションに目覚める。めちゃめちゃ似合ってた。多分顔タイプってやつがフェミニンなファッションと合うんだと思う。いわゆる男受けはよかった。でも今思うとナメられてたなと思う。丁寧に女の子扱いはされたけど、なんかこう、下に見られてた感。
おっ悪意に気づくようになってる。大人ですね。
で、二十歳の夏に楽しくセールを回ってたらね、出会っちゃったんですよ。運命のブランドに。
新宿ルミネにあった、ガリャルダガランテに。
マネキンの着てる服がめちゃめちゃ可愛くて!!レンガ色のノースリーブと黒のショートパンツ。ノースリーブはデザイン性があって、ショートパンツはボリューミーで可愛くて!上下合わせて試着して、めっちゃめちゃ可愛くて店員さんも優しくて、本当にときめいたんだけど、当時の上下の買い物に掛ける値段を超えてて、一度退店した。ノースリーブがとにかく気に入ったからボトムスは他でなんとかもちょい安く買えないかな…!って探し回って見つけたので、ガリャルダに戻ってノースリーブを買った。このとき戻るまでに売れちゃってたらどうしよう!ってすごい焦ったのを覚えてる。…あれ?待って待って?私このとき「一セット」考えて購入してるね…………。えっ書き出すまで全然分かってなかった。そうか、このときがお初の一セット購入だったのか…。えー、なんでそんなこと出来たんだろ。それだけマネキンの吸引力が凄かったんだねきっと。
とまあ、とにかくこうしてガリャルダガランテと出会いましてね…その当時は雑誌はInRed読んでたから、また出てくる訳ですよ、ガリャルダが。メルマガ登録して毎期毎期チェックしてた。異国風(中東アジア感)で、でもナチュラル感がなくて、都会の雰囲気に落とし込んだデザインが格好よくて、ガリャルダと出会って「これが似合う大人になりたい」と思った。InRedに惹かれたのも「目指したい人物像」が働く女性だったからだと思う。二十歳のときにアラサー雑誌読んでワクワクしてた。当時はまだ女は若いほうがいい価値観が今より強くて、事あるごとに「30代、"逆に"楽しみなんです!」とかモデルや芸能人がインタビューで答えてて、今思えば、あれは若い読者へ呪いを解くためのメッセージだったんだなと気がつくけど、当時の私はド素直だったので「30代って楽しいんだ〜🎶」とか思ってた。
そんな感じで私の軸が出来たので、当時は服に迷う、困るってことがなかった。ガリャルダ以外で服を見るときの購入基準は「これは、ガリャルダガランテのセレクト棚に置かれてるか?」。置かれてそう、と思えば古着でもギャルショップでも買ってた。置かれてない、と思ったら買わない。自問自答でいう自分のコンセプトをガリャルダにしてた。あ、でもフェミニンな服とかギャルっぽい服とかカジュアルな服も着てたから、そういう服は「なんかおかしいな?」も全然あった。要らん服もたくさん買ってたし、着こなせない服もたくさんあった。あったけど、ガリャルダの基準が一番だったし、ガリャルダっぽい全身があるから自信があったというか、「ファッション分からない〜💦」とかはならなかった。ダサいときだってあるでしょって開き直れるくらいにガリャルダ基準の服が好きだった。
…ねえ待って、これって「一セットの服で自分を好きになる」では………!?ガリャルダ基準が一セットあるから、他でダサくても別に気にしなかったんだ。本当の素敵な私は他にあると分かってたから。すごい〜〜〜これを意識的にやって言語化してるあきやさんすごい〜〜〜〜!!!!私は感覚だけでやってたから今迷子なんだなあ…。またガリャルダを基準にしてたときみたいに買い物したい。今度は自分のコンセプトで。
靴に関してもそんな感じで探してたので、あるときフェミニン服にもガリャルダ基準服にもばっちり合うパンプスと出会い、全く困らなくなった。(その前に困ってた記憶は何故かない)とにかく歩けた。国際展示場のイベントだって朝から晩まで全然余裕のパンプスだった。今はちょっときつくなってしまったけど、まだ捨てられない。だってまた履きたいんだもん。
バッグはガリャルダに出会うちょっと前にrussetで買ったのを二十代ずっと使ってた。三種の神器ですね〜揃ってるね〜そりゃ迷わないわ。ガリャルダと同じくrussetも今の路線と全然雰囲気違くて、russetのバッグは重たくて分厚い本革のオレンジとレンガ色の中間?みたいな、無骨なバッグだった。そう、私はパルグループに大変お世話になってる女。このバッグとさっき書いたパンプスと今も残ってるモッズコートと合わせるとめちゃめちゃ可愛い。格好いい寄りの可愛い。粗野に扱ってもいい無骨さが本当に好きだった。ボロボロになったのでさよならしたけど、また新品で会えるならあの子が欲しい。私が今のところバッグで一番惹かれてるのがマルベリーなのは丈夫さと修繕の心強さだと思う。
そうそう、今書いたモッズコートも5年くらい探して買ったんだ。全部が全部、理想。理想を詰め込んで煮込んだみたいなコートで本当に大好き。綿100%で分厚くて重たいからずっと着れてない。中綿も袖まで取り外し可能でファーも全部取れるから秋春のライトコートにもなる。中綿とファーを付ければ真冬も着れる。いずれは擦り切れて態とらしくあて布するのが夢だった。今後の流行次第になるけど、早く着たいな〜。今着ると流石に流行遅れでやっぱり野暮ったいんだよね。
で、再び身体を壊す☆っと。
そのあとはご存知の通り衣類を着て過ごしてみごとファッション迷子になりましたとさ。ちゃんちゃん。
こうして書いてくと、私は服が好きだったんだねえ…。ガリャルダ基準の頃は自分の外見めちゃめちゃ大好きだった。「私」がいるな〜!って思えて鏡見るたびに嬉しかった。顔も体型も納得いかない部分はあるんだけど、「課題がいっぱいあるな〜!でも、今もいいぞ〜!」って感じで、電車の窓とか、思いがけないでっかい鏡とかで自分を見るとテンション上がった。ジムにでっかい鏡あるじゃん?あれ大好きだった。家に欲しかったもん。またそうなりたいな。そうなれたら、今度こそたくさん写真に残したい。(当時周囲の友達がみんな写真嫌いだった)(今度はひとりでもポトレするぞ)
長くなりそうだな〜と思ったけど本当に長くなっちゃった。短く簡潔に書けるようになりたいね。
迷子になってからはまた別の機会に書こうと思います!
お読み頂き、ありがとうございました❤
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