ラジオにはとても不思議な力がある と私は信じている。 今年のはじめ。 日常を変えた大きな地震。 衝撃的な映像。 このひとつひとつに人生があって、生活があって、その後ろに大切な人がいて、なんて考えたら、やりきれない。 思わずすがったTOKYO FM いつもと同じ時間に、いつもと同じ、やしろさんの声。安心して泣きそうだった。 不安なまま迎えた 1月2日 星野源さんが急遽生放送をしてくれるという知らせ。 こんなときこそラジオだよな、そんな想いがずっとぐるぐるしていた。
歌集を買うとかわいくて、尊くて、愛おしくて、かばんに入れずに手で持って歩いてしまう。 短歌はお守りみたいだ。 何度も口ずさんで体の中に入れていく。 お守りの短歌をひとつふたつ持っておくことおすすめですよ、とても。 たくさん増やしていくこともまた幸せですよ。
好きな作家さんが同じ人と新刊出ましたねーって、 あこの本もよかったよって やりとりすることの豊かさを忘れたくない。 ここ数日ほんとにしんどくて、心折れそうなのに奮い立たせて頑張らなきゃいけない。 そんなときに小川糸さんの新刊があるって思ったら生きていけるのです。
人それぞれに物語がある。 それは「歴史」でもあるし、「地獄」でもある。 ______________________ 人の数だけ歴史がある。 その人が生きてきた時間の分、そこには確かに積み重ねられてきたものがある。 1日ずつでも歩んだあとにしっかり跡がつく。 どんな歴史も尊重されるべきだと思う。 他人に関わるとき、その人がどんな歴史を持っているのか、その理解がその人を理解するための第一歩のような気がしている。 その人がその人らしく生きる理由がそこにある。 祖父はもう
最近は、(若くして亡くなったととされている)笹井宏之の代表作が 「えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力をください」であることの深さについて考えています、どうも。 このうたは教科書にも載っていて 彼はこのうたによって、本当に永遠をといてしまったのだなあ。
私は隠すのが得意だ。 20歳の誕生日に母からもらった腕時計を落としてしまった気がする。その時計は気づいたら動かなくなっていたのに、私は修理に出せなくて、そのまま棚の奥に隠していた。それが半年前くらいのこと。 隠していたって、そこにあることに変わりはないのにね。むしろ、隠していると思っていることで、そこにあることを強く意識しているのに、ね。 もう捨てちゃいなよって言われるたびに、 捨てられるなら捨ててるよって思う。 隠していたもの、閉じ込めていたもの、閉じ込めざるを得な
やりきれない、と思う。 誰かの傷つきを見るたびに、 傷ついているからこその優しさに触れるたびに、きみの背負っているものに思いを馳せるたびに、あなたのさびしそうな笑顔をみるたびに、 やりきれない、私は悲しい、とても悲しい、 そして悔しい。 あなたも、彼も、あの人も、みんなみんな傷ついている。 あなたを苦しませる何かなんてこの世からなくなればいいのに、って思う。 どれだけ思いを馳せても、心が足りないような、変な感覚になる。 私は、私たちはあまりに無力だ。 悔しい。 あ
考えて考えた結果 生きていてほしいあなたがたくさんいます 生きててね 朝焼け
最近母とよく本の話をする。 本を借りたり貸したりする。 本の話ができるって、趣味や価値観、好みが合うからだと思う。 やっぱり親子だと感じてしまう(吐きそう) こんな未来が来るとあの日の私に言ったとしても、きっと信じない。 母はあの頃のこと覚えているのだろうか。 私はずっと鮮明に覚えていて、ずっと抱えながら 娘でいなきゃいけない。娘として、母と関わり続けなければならない。 ある人に「親は子を捨てられないけど、子は親を捨ててもいい」と言われた。ほんとうにそうだろうか?
傷ついてだから優しいあなたには この世は苦しいかもでも希望
わがままか?生きていてと願うのは 「もうわかってるよ」つぶやく背中
人は文学、音楽、絵、言葉、ダンス、声、言葉、ラジオ、作品、芸術、、様々な表現されたものに心を救われる。 それらが私たちの心を揺さぶり、時に救い、これがあれば生きていける、くらいのものをもらえるとき、それらをつくり出した人もきっとまた、傷ついていたのだと思う。 死をうたう短歌のなんと多いことかと、そして、それらの深く美しいことに驚いた。 (死をうたう、と一括りにするのも違うかもしれないが、それは生をうたっているのかもしれないけれど) そして、その人にしかわからなかった死
悲しげにそうやってまたと君は吐き そうやってしか生きられないのに
君が今苦しいことは「どうせ」でも「ずっと」でとないよきっときっとね
生きていく覚悟を決める日の中で ずっと小さく絶望してる
春が来る 進んでしまう 何もかも 私は死にたい 冬にいたい