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新型コロナウイルス肺炎にかかって。(時系列で整理)

時系列で記録しとこう。
①発熱し「発熱相談センター」へ相談。風邪の疑いで一般病院を受診。車の中で診察。風邪薬などを貰う。(ここから家族とできるだけ離れる形をとる)(体温の最高38℃)
②熱が下がらす再受診。レントゲンでは異常無し。(体温の最高38.5℃)
③熱が下がらす(39.5℃まで上がる)再受診。CTで肺炎像。保健所へ相談され、医師会のPCR検査(鼻)へ。
夕方に簡易検査の結果、陽性が伝えられる。
(マスクなど完全防備で母に送って貰う。母は濃厚接触者になる。)
母、妹家族も保健所にてPCR検査(唾液)、甥っ子は幼児の為唾液を貯められず、妹夫婦の結果を待って後日 PCR検査(鼻)を行う。
私自身は擬陽性の場合もある為、保健所にてPCR検査(唾液)を行い、自宅待機。
④お昼 保健所より、PCR検査での陽性があらためて通知。療養先の選定に入ることを伝えられる。すぐに、「都城市郡医師会病院」への入院が決定。自家用車で自分で運転して入院。(車の窓越しに家族お別れ。色んな思いで号泣)
甥っ子以外の陰性確認
⑤(入院手続きなど行い)入院後隔離病棟の一室でアビガン投与、夕方までは落ち着いていたが、夕食後、酸素飽和度が低下。ICUに移動
甥っ子の陰性確認
⑥一睡もできず朝を迎える、朝になり腹は減っていたが、そのまま救急車で宮崎大学附属病院のICUへ転院、オムツを付けられそうになり焦るが先生から「オムツはいいよ、思ってたより状態良いし、人工呼吸器まではいかないね。」と言われ、ちょっと安心する。特別にスマホ(看護師がいる時のみ)とテレビを許可してもらう。
「お腹が減った」と訴えると「ここに来て、ご飯欲しがったの初めて」と言われ、多少の笑いが起こるw夕食は食べた。
レムデシビルの投与が始まる。
血栓予防のストッキング
ICUは尿器で排尿(嫌で嫌でたまらなかったが、追い込まれればなんでも出来るものだ・・・)
大は簡易トイレ(バケツで固めるやつ。)
ベットが高機能過ぎて、動ける自分的には相当使いにくい。
血栓予防の皮下注射が痛くて、跡が残ってた。
3日間のICU生活(意識がある中のICU生活は相当辛い。テレビがあって良かったし、スマホで家族と話せたことで持った感じ。)
⑦隔離病棟一般へ移動。レムデシビルなどの投与が続く。咳がキツい。痰が出る。眠れない。
症状は段々改善して行くが、眠れない状態が続いて、昼間うつらうつらしている状態。ふと太ももやふくらはぎを見るとおじいちゃんの足のように筋肉が無くなっている。15キロほど体重低下(これは、逆にいいことかもしれん。)
⑧9/9 陰性確認のPCR検査の結果、感染の可能性の無い微陽性、退院のOKが1回出る(自宅で健康観察条件)
看護師さんにより歩行の状態を確認される。(特に何も言われなかったが「井ノ上さん、まだ無理だよ・・・フラフラじゃん」と思っていたらしい。そりゃそうだ。本人は帰りたくてたまらないから強がるわw)
妹に無理を言って、迎えに来てもらう段取りを無理やり行う。(完全に精神的に崩壊状態。)
⑨9/10 朝、帰る気満々で目覚める。9時過ぎナースコールで主治医から連絡、「総合的に検討した結果、退院は許可できなくなりました。」とのこと。ここで何が「バチーン」と切れる。「先生、もう無理です!!」とブチ切れ、なんとか説得され諦め自暴自棄になり家族へLINE「退院出来なかった、大騒ぎしたのにごめん。でも、もう無理だ死んだ方がマシだ」などと号泣し訴える。(完全なる精神崩壊)家族を泣かしてしまう。なんとか励まされLINEを切る。
ここで大爆発し、大号泣したことで何が吹っ切れたのかもしれない。諦めでは無いが、帰る希望を持ちすぎるんじゃなく、帰る為の準備をするんだと言う方向に気持ちを切り替える。
⑩9/11 精神科の先生に色んな不安をリモートで訴える、そして、新型コロナウイルスに感染した事への罪悪感などについても相談。仕方ない事なんだと考えるようにしようと考える。
⑪部屋にはシャワーも無く、隔離病棟から出られないので、お風呂にも入れない。これはかなりきつい。暖かいおしぼりを沢山貰えるのでそれで全身をゴシゴシ拭く。背中は看護師さんにお願いして拭いてもらう(看護師さんにとっちゃ、相当のリスクだろうなと思いながらやってもらってた。)頭は水の要らないシャンプーを使って頭を洗いおしぼりで拭く状態。
頭をどうにかして、シャンプーしたくてたまらないことを訴えたところ、吸水シートを利用してベットの上で洗ってもらった。頭をお湯で流せるだけで気持ちよくてたまらなかった。
・・・が、吸水シートの限界を超えたらしく、マットレスなどが濡れたため、替えてもらった。隔離病棟にはシャワーを付けて欲しい・・・というか付けるべきだと思う。
⑫隔離病棟というか宮崎大学附属病院はフリーのWiFiが高速で飛んでいた。宮崎はご存知のとおり民放が2局でつまらない。観たいものがほぼ無い状態の為、スマホで見逃し配信やYouTubeで時間を潰した。眠れない時もYouTubeが恋人wあとAbemaTVの格闘チャンネルで総合やプロレス見ながらボーっとしていた。
WiFiが無かったらヤバかった。
⑬退院出来なかった事から、退院に向けて、この筋力が落ちまくった状態をどうにかしよう。これじゃ歩けないということで、座った状態で足上げなどの筋トレを始める。これと同時に、隔離病棟の廊下を歩いていいことになり、朝夕歩くようになる。まず5往復から始める。息は上がるし、足も上がらない状態に自分でびっくりする。
1往復ずつ上げていく誓を勝手に立てる。最終的には15往復まで行った。勝手にキリのいいところまでやらせてもらった。
⑭PCR検査を陰性になるまで受けることになる。検査日は月・水・金。陰性になるまで3回かかった。陽性が出る度、心折れそうになりながらも、あのブチ切れ事件を考えれば、落ち込まなくなっていた。
自分の場合、ブチ切れたり号泣したおかげでガス抜きが出来たから乗り越えられた気がする。

追記していきます。

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