仕事の時は無辺(妄想?)世界に意識を飛ばす

どうも、とぅたんです。

今日のぼく、どこが違うか分かる?(めんどい恋人ムーブ)
そう、「っ」が「ぅ」になってますね。
どうでもいい!!

しかしこれ、とったん考察界隈では「入れ替わった「っ」と「ぅ」…この2つを並べかえると「ぅっ」になり、軽い鬱の症状が出ていることが分かる」として有名である。

そんなちいかわ考察よりもニッチな考察界隈はおいといて。ぼくなんて「なんかきもくてちいさいやつ、きもちい」だし。

ぼくは働いているとき、特に慣れた作業をしてるときは意識が別世界に向いていることがある。というか意識が妄想世界にある。

妄想に集中してるなら手は止まっているのかというとそうではなくちゃんと動いている。手順や段取りは体で覚えているので。

イメージとしてはソシャゲのオートプレイに近い状態。特定の行動パターンを登録して自動的に実行してる感じ。で、ぼくの自意識はネットサーフィンをするように、あるいは動画サイトで動画を見続けるように妄想か思考の海を
潜る。

そうしてるうちに休憩時間になり、それを繰り返しているうちに仕事が終わる。
ぼくなりの仕事の時間のやり過ごし方である。

今の仕事内容に不満はない。作業に没頭しているうちに時間がきて退社する。
上司が来ていちいちチャチャを入れてきたり、めんどくさい絡み方(主にバカにしてくるという意味で)をしてくることもない。←特にこれは前職を辞めた最大の理由でもある。

しいて言うなら雇用形態が派遣社員であることと給与面くらいか。まあでもこれは派遣社員ゆえに免除されている仕事(社内での書類提出等)もあるのでそれでとんとんか。

ぼくは他人との交流の幅をあまり広げないタイプだ。積極的に友達を作ろう!って感じではない。とはいえ会話に苦痛を感じている訳ではない。いや、全くないわけではないけど話しかけられたら対応できるくらいには話せる程度だ。

孤独に関しては先に述べたように意識を妄想世界に飛ばすことで対処している。

孤独なんて無視している
他人なんて気にしない
GO! in My Way の精神である。

妄想の中に没頭することでいやな気分が紛れるのである。

何かに没頭することは不安から逃れるために役立つ。映画の『ファイト・クラブ』の主人公が自助グループの集会に通ったり、ひたすら殴り合う集会に通うのもそのためである。

悪い言い方をすればただの現実逃避なのだが、つらい現実に向き合い続けすぎて壊れてしまうより一時的に逃れてそこから立て直していった方がましである。

逃げてもいいさ 人間だもの
逃げてもいいさ 人間だもの
逃げてもいいさ 人間だもの
逃げてもいつか捕まるさ 人間だもの!

アーバンギャルド『都市夫は死ぬことにした』より

例えその場から逃げてもいつかちゃんと向き合えればいいし、どっちにしてもどっかで向き合わざるを得なくなるからね。そんなもんだよ。偉そうに言うな。

こんなお説教みたいな話をするつもりじゃなかったのに説教臭い話になっちゃった。
説教されるのが嫌いなくせに自分は説教するこの矛盾よ。

そういえば前職の話でふと気づいたけど、ぼくって多分「過剰に干渉されるのがいや」なんだろうなと。そう考えると自分の人生におけるイライラの原因の大半はこれなんだろうなと思う。
そっとしといてくれ…ってコト!?

(ここからちょっと、自分語り注意!)
(いや、いつも自分語りしかしてないが?)

ぼくは高校生のとき、進路決定を親の言いなりになる形で決めてきた。ぼくの母は偏見が強くて(ぼくの通ってた中学の様子を見て市内の一個上の世代は全員ダメだっていうくらい)かつ押しが強かった。なので、文理選択ではぼくは文系に行きたかったのに「将来の選択に役にたつから」という理由で(多分理系に進んだ方が就職で有利になるという価値観からだと推測するが完全に昔の価値観でしかない)理系に変更させられたり、志望大学を「親戚が近くにいるので下宿させてもらえて教員免許がとれる」教育大一本に絞らされたりした。結果は理科系科目で毎年欠点を取ったり、教育大に落ちたりした。滑り止めで受けた大学でも絶対に「教員免許」を取らせようとしたり、だめそうになったらとにかく資格をとれと図書館司書を取らせようとしたり…。

愚痴っぽくなってしまってすまない。ここらへんよみとばしていいから。

母は自由にさせてるつもりらしいが目に見えない「圧」で干渉されていた、とぼくは感じている。
反抗せずただ言いなりになってた、何かを決定することを放棄したぼくにも落ち度はある。こればかりは自己肯定感の低さといった言い訳も通用しない。

とにかく、干渉されることが嫌いになったって、それだけの話ではある。

だからか、他人からああしなさいこうしなさいと言われると心が勝手に抵抗するのである。
なんと拗らせた反抗期だろうか。これが反抗期をまともに迎えられなかった者の末路だと言うのだろうか。

孤独との向き合い方は人生において重要で、孤独への対処法を知ることで一人でいることへの寂しさや苦しみから逃れることができる。
さすがに永遠に一人で生きることはできないけどね…。

思えば、本を読んでいる時間、あれは孤独でいられる時間だなぁと思う。自分のペースで本の世界に没入できる。文字から紡がれる物語を想像する、想像力の練習にもなる。

そんなこんなで、平日のぼくは妄想を飛躍させて時間を過ごしている。

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